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バタラカッラ 最後の血統  作者: カンボロ


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還れ


結界が崩れた瞬間、

俺の内側でも何かが崩れ落ちた。


強くあろうとする――

そのエゴだ。


代わりに現れたのは、

もっと静かで、もっと重いものだった。

誰かの命令でもない。

野心でもない。

ましてや盲目的な服従でもない。


ただ、すべてを守りたいという衝動。


任務のために死んでいった山の民たちを見て、

俺は確信した。


――これは、ダルマではない。


俺は目を閉じた。


任務が始まって以来、初めてだった。

理性も義務も介さず、心に語らせたのは。


柔らかな振動が胸の奥から広がっていく。

それは力ではなかった。

押し付けるものでもない。


ただ、そこに在る意識。

澄み切って、静かで、絶対的なもの。


俺の意識は魂の領域へと投げ出された。


そこに、彼はいた。


アーリャ。

俺の前のユディシュティラ。


説明を必要としない穏やかな微笑みで、

彼は立っていた。

肩に手を置く。その動きは軽く、しかし確かだった。


「ジュダイズ」


そう呼ばれて、背筋が伸びる。


「お前は、これまでで最も若く選ばれたユディシュティラだ。

背負う責任は、他の誰よりも重い」


彼の視線は、俺の力ではなく、

揺るがぬ覚悟を測っているようだった。


「歴代すべてのユディシュティラの遺産を、お前に託す」


世界が揺れた。


俺ははっと目を開く。


全身の関節を、巨大な力が満たしていく。

それは暴力的な奔流ではなく、

意志に完全に従う、整然とした流れだった。


初めて、

本当の意味で本能が俺を導いていると感じた。


俺は塔の頂を見据える。


一瞬、まばたきをしただけだった。


世界が折り畳まれる。


大地も、樹木も、戦場の叫びも消え失せた。


一秒――

いや、時間の外側かもしれない。


音もなく、

俺の足はラザレスの塔、中央司令区画の床を踏んでいた。


――パンドラ・システム中枢。


円筒形の広大な空間。

段状に配置された制御コンソールが壁面を取り囲み、

半透明のデータスクリーンが宙に浮かぶ。


プラーナコードの流れ。

エネルギー安定率のグラフ。

リアルタイムで変化する血清循環マップ。


すべてが、空間そのものに刻まれている。


中央では、パンドラの核が

六角形の拘束フィールドの中で浮遊していた。


複数の制御リングがゆっくりと回転し、

プラーナ繊維のケーブルが四方へ伸びる。


発信塔。

生体濾過システム。

外部結界ネットワーク。


すべてが一本に繋がっている。


低い駆動音が空間を満たしていた。

それは単なる機械音ではない。


生命。

変異。

破壊。


その均衡を保つための、閉じた律動。


そこに、一人の人物が立っていた。


まばたきのたびに、何度も脳裏に浮かぶ顔。

何年も前に失われたはずなのに、決して消えなかった顔。

ずっと、会いたかった顔。


――父さん。


「……父さん?」

声は、ほとんど音にならなかった。


彼は振り返り、明らかに息をのんだ。

その眼差しは、昔と変わらない。

重すぎる責任を背負いながら、それでも立ち続ける者の目だった。


「パンダワか……」

彼は低く呟いた。

「ついに、ここまで辿り着いたのだな。」


リンクコム越しに、ビマの声が割り込む。

「ナクラ、サデーワ。爆薬を設置しろ。

パンドラ血清が発射される前に、この塔を破壊する。」


「時間がない。」

アルジュナの声が続いた。


――彼らは、近づいている。


俺は手を伸ばし、ヘルメットを外した。

素顔を、完全にさらす。


「……ジュ、ダイズ?」

父は信じられないというように俺を見つめた。

「お前が……ユダイズなのか? 俺の息子なのか?」


「そうだ。」

俺は静かに答えた。

「俺はユダイズ。あなたの息子だ。」


父は小さく笑った。

それは、苦く、疲れ切った笑みだった。


「想像もしなかった……」

彼はゆっくりと言った。

「置き去りにした子供が、やがて伝説の戦士となり……

その上、彼らを率いる存在になるとは。」


「どういう意味だ?」

俺は尋ねた。


「俺の知るユダイズは、まだ幼かった。」

父は静かに言葉を選ぶ。

「もし、俺の推測が正しければ……

お前は、未来から来たのだろう。」


疑問が、一気に頭の中で弾けた。

ここは、どんな世界だ?

死者さえ呼び戻すほどの――どんな“試練”なのだ?


だが、時間は待ってくれない。


リンクコムから、再びパンダワたちの声が重なる。

爆薬は設置された。

足音が、確実に近づいている。


俺はヘルメットをかぶり直した。


「逃げてくれ、父さん。」

声を抑え、しかしはっきりと告げる。

「ここは、すぐに爆発する。

あなたがこの世界をどこまで理解しているかは分からない。

パンダワの正体も、使命の意味も。

だが俺は――パンドラを守るために、ここにいる。

血清は、必ず予定通りに発射させる。」


視線が、カウントダウン表示に落ちる。


――残り、十 分。


父の顔を見る。

そこには困惑、警戒、そして恐怖があった。

それは、この世界をまだ理解しきれていない俺自身の表情でもあった。


「いや。」

父は、きっぱりと言った。

「俺は行かない。

外の世界に、俺の居場所はもうない。

パンドラが発射される、その瞬間まで……俺はここに残る。」


俺は、言葉を失った。


そして――

小さく、うなずいた。


「分かった。」

静かに言う。

「……どうやら、他の四人のパンダワも、もうすぐ来る。」


俺は背を向け、制御区画を出る。


「俺が――

彼らと向き合う。」


外へと歩み出た。


外の風は違っていた。

重い。

目に見えない重荷を運んでいるかのようだった。

空気には――色があった。


その塔の高みから、俺はついに“本当の世界”を見下ろした。


空と森は、淡く赤い霧に包まれていた。

それは毒を含んだ煙のように、静かに、しかし確実に広がっている。

ただの色ではない。

それは生きていた。

空気に溶け込み、呼吸を汚し、生命の脈動を蝕んでいる。


――これが、アシュラのプラーナなのか。


それはすでに、世界の隅々にまで染み渡っていた。


だが、その赤く染まった世界の中心に、異質な光景があった。


緑の領域。


原住民の部族が暮らす土地の木々は、澄んだ空気に守られるように立っていた。

赤い霧はそこから遠ざかり、触れることを拒むかのようだった。


純粋。

穢れなき。

汚染されていない。


彼らは……影響を受けていなかった。


胸が締め付けられる。


従順さだけでは辿り着けない場所で、

俺はようやく“真実”を目にした。


通信リンクを起動する。

静かだが重みのある声が、距離を越えて響いた。


「……なるほど」

俺は眼下の世界を見つめながら、ゆっくりと言った。

「これが、お前の言う理想の世界なのか、ビーマ?」


一瞬の沈黙。

だが、分かっていた。

彼らは確かに聞いている。


「兄上の気配を感じる!」

ビーマの声が返ってくる。

「もう上にいるようだな……そして、俺たちから背を向けるつもりか?」


俺は息を吸った。


「お前はビーマ。

そして、お前たちはパーンダヴァだ」

俺ははっきりと言った。

「これは俺の試練だ。

そして、今の俺の信念だ」


声を強める。


「俺は――お前たちを止める!」


塔の壁面を、四人の兄弟が高速で登ってくる。

その動きは揃い、正確で、

何度も見た“影”そのものだった。


かつてのユディシュティラたちの記憶。

今、俺はそれを理解し始めている。


俺は跳んだ。


空間が、俺の周囲で折り畳まれる。


跳躍の最中、両手が勝手に動いた。

血に刻まれた記憶から、三つの印が結ばれる。

掌に、古代文字が輝いた。


「還れ。」


ビーマの肩に触れる。

光が広がる。


アルジュナ。

ナクラ。

サハデーヴァ。


触れた痕跡が、同じ文字となって彼らの身体に刻まれる。


そして――


ブゥゥンッ!


世界が崩壊した。


目を開けると、

俺は静かな洞窟の中、

流れる川の中央にある岩の上に座っていた。


水滴が落ちる。

その音が、長く響く。


時間が……逆流していた。


俺はこの場所を知っている。


ここが始まりだ。


試練が――

今、始まったばかりの場所。



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