ジョーカー
控室で、オイビソノは近づいてきた医療班の手を払いのけた。
彼はただ手を上げ、触れるなという明確な意思を示した。
先ほどの死闘はあまりにも凄惨だった。
敵の頭部を粉砕し、焼き尽くした光景を目の当たりにした医療班は、言葉を失い、結局そのまま立ち去った。
オイビソノは浴室へと足を運ぶ。
シャワーの水が勢いよく流れ、血に濡れた身体を洗い流す。
赤い水流が床を伝い、薄暗い排水溝へと消えていく。
胸の傷は焼けただれていたが、ゆっくりと塞がり始めていた。
肉が再生する痛みは鋭く、彼に生きている証を刻みつける。
だが――それこそが彼の選んだ生。痛みと共に歩む道であった。
鏡に視線を移す。
白き髑髏の仮面はまだ外されていない。
彼はその仮面を外そうとは微塵も思わなかった。
やがて痛みが引き、浴室を出る。
ドアを開けたその先に――一人の青年が立っていた。
整えられたスーツに身を包み、重圧を纏うその姿。
目には冷たい光、全身から放たれる威圧感。
――ジョナサン・ワン。
「見事だったな。」
低く響く声が空気を切り裂く。
「鉄拳のオイビソノ。先ほどの闘い……言葉では言い表せぬほど圧倒された。――恐ろしいほどにな。」
オイビソノの瞳が鋭く細められる。
青年の顔には、見覚えのある影があった。
そうだ……かつて兄弟のように過ごした男――アレックスに、あまりにもよく似ている。
沈黙。
オイビソノは答えず、ただ仮面越しに睨み返すだけだった。
ジョナサンは静かに口角を吊り上げ、一歩踏み出す。
「俺はこの闘技場の支配者だ。」
その声には確信と支配の響きがあった。
「そして――お前に提案がある。」
______
張偉、申すは神林十龍のひとり、齢すでに古を越えしも、
その威はなおも衰えぬ。
龍を彫りたる椅子に端然と腰を据え、
ひと息ごとに重き威厳を放ちぬ。
眼前には龍紋の卓。
その上に置かれし茶碗よりは、淡き湯気が立ちのぼり、
まるで嶺の霞のごとく漂いけり。
傍らには金龍を描きたる壺、燈明の揺らぎを受けて仄かに光る。
一人の若き伽女、茶を注ぎ終えるや、
しずしずと下がり、片隅の箏の前に坐す。
その指先、絹の糸に舞う蝶のごとく動き、
幽艶の調べを織り成す。
――されど、その美音は、
かえって室の空気を重く澱ませたり。
張偉、茶を啜る。
その時――
*トン、トン、トン……*
戸を叩く響き、静謐を破りぬ。
張偉は掌を上げ、箏の音止む。
「入れ。」
声、静かにして剣の如し。
現れしは一人の護衛。
「張偉様、闘場よりの使者参上仕り候。
されど……奴は土人にて御座る。」
張偉、瞳を細め、刃のごとき光を放つ。
心中に呟く――
「ジョナサン……あの若造、また災いを招くか。」
声高らかに命ず。
「其の意を聞け。余は会う気はないと告げよ。」
護衛、深く拝し退く。
張偉は再び掌を揚ぐ。
音色、再び室を満たす。
だが程なくして、またも扉叩く。
掌再び上がり、楽の音、絶ゆ。
「入れ。」
護衛、重き鞄を捧げ持ちて入る。
「張偉様、これはジョナサン殿の闘場の利潤にて候。
使者はただこれを渡せと。」
張偉、軽く顎を動かし、鞄開かせる。
*カチリ……カラリ……*
中よりは溢れんばかりのドル紙幣、緑の光を放ちて現れ出づ。
張偉、口元に微笑を浮かべ、護衛を退ける。
再び沈黙、外は雨の囁きのみ。
その眼差し、箏を奏でる伽女に移る。
「――凌凌、此処へ。」
声は低く、絶対の力を孕みたり。
娘、しとやかに進み出づ。
張偉は鞄を指し、言葉を重ねぬ。
「其の中より幾ばくか取れ。
されど、その前に――」
眼光、蛇のごとく鋭し。
「衣を、すべて脱ぎ捨てよ。」
室内、ただ雨の調べと心臓の鼓動のみが響く。
老いたる龍の威は、優雅にして恐ろしきものなり。
____
ジョナサンは静かに立ち、白き髑髏の仮面を纏った男を真っ直ぐに見据えていた。
口元には薄い笑みを浮かべているが、その胸の奥には抑えきれぬ苛立ちの炎が潜んでいる。
沈黙はあまりに長く、閉ざされた部屋の空気を鋭い針のように刺し貫いていた。
「なぜ、黙ったままなのだ?」
声は平静を装っていたが、その響きには強い圧が込められていた。
オイビソノはただ、ゆっくりと首を横に振った。
虚ろな眼差しは遠くを見つめ、まるで人の言葉そのものが価値を持たぬかのように。
そして彼は簡潔かつ揺るぎない仕草で、自らの口を指差した。
――「話せない。」
その動作は雄弁に真実を告げていた。
一瞬、ジョナサンは沈黙した。
だがすぐに、その口元に微笑が浮かぶ。
それは礼儀のためのものではない。そこには僅かな苛立ちと共に、奇妙な好奇心、そして薄い賞賛が滲んでいた。
「……そうか。失礼した。」
彼は軽く身を屈め、礼を示すように頭を下げた。
再び背筋を伸ばした時、その瞳は鋭さを増し、彫刻家が稀なる石を見つけたかのように妖しい輝きを放った。
心の奥で、言葉が反響する。
「戦士……強く、無敗。
言葉もなく、妥協もなく。
ただ無音のまま敵を断ち切る剣のごとく……。」
ジョナサンは息を呑み、その幻像に酔うように身を浸した。
彼の目の前に立つのは、ただの仮面の闘士ではない。
――生きた武器。
世界に逆らうために振るわれる、比類なき秘められた刃。
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そして、ここに——かつてアビマニュと呼ばれ、今やオイビソノと名乗る男と、ジョナサン・ワンの運命的な最初の会合が実現した。この瞬間、ジョナサンは長らく追い求めていた切り札、ジョーカーを手にしたと確信した。
ジョナサンは深く、その男を見つめる。声は静かだが、強い意志に満ちていた。
「君を何と呼ぶべきか…まだ決めかねている」
彼は一瞬言葉を止め、何かを吟味しているようだった。
「いずれ、君に新しい名を与えよう。だが、これだけは知っておいてほしい——私が求めているのは、ただの部下ではない。ましてや、道具などではない。私と並び立つことのできる人物だ。従者としてではなく…兄弟として、だ。」
オイビソノは、ドクロの仮面越しに無表情な視線を返すだけだった。静寂。それは吟味か、あるいは無関心か。
ジョナサンは薄く笑みを浮かべ、その沈黙の意図を読み取ろうとする。しかし、諦めるどころか、彼の確信はさらに深まった。
「よかろう」彼は静かに言った後、天井を見上げ、頭の中で何かを計算する。
「次の戦いでは…全ての力を見せるな。手加減をして戦え。そして、六度目の戦いで——敗北しろ。自ら倒れるのだ。」
ジョナサンの視線が再び降り、研ぎ澄まされ、確信に満ちる。
「君の不死の能力をもってすれば…私が死から蘇らせてみせる。」
長い沈黙が部屋を支配した。
やがて、オイビソノはゆっくりと頷いた。言葉なき、承諾の印。
ジョナサンは、深い感慨を込めて彼の肩を叩いた。
「感謝するぞ…兄弟。」




