オイビソノ――東方のバイソン
太鼓の響きが胸を打ち砕く。
夜空を裂き、観客の欲望に火をつける。
一つの舞台、一つの光――命を賭けた闘い。
「――諸君!」
「今宵ここにおいて、法は法廷ではなく!」
「血で刻まれ、素手で運命が決まるのだ!」
場内に響くアナウンスの声は、まるで古の呪文。
数千の観客の魂を燃え上がらせる。
「見よ、この男を!」
「人か? 幽鬼か? それとも闇に生まれし魔か!?」
「奴には名などない。ただ一つ、この《闘技場》が与えた呼び名――」
「呼ぶがよい、オイビソノ!」
「――《白き髑髏》!」
鉄の門が開く。
白煙が立ちこめる。
闇の中から現れたのは、白い髑髏の仮面を纏う男。
静かな歩み、しかし一歩ごとに戦鼓のごとき響き。
観客は叫ぶ――「ビソノ! ビソノ! バイソン!」
「そして対するは!」
「鉄格子の奥、監獄の底より解き放たれし裏切り者!」
「死刑囚にして、なお生を貪り続ける獣!」
「法ですら、その命を絶つこと能わぬ男!」
「血は煮えたぎり、魂は砕けぬ!」
「立ち上がれ――インドラジット!」
鎖が唸る。
大きく逞しい肉体の影が現れる。
古傷に覆われた体、赤き炎のように燃える瞳。
地を揺るがす咆哮と共に、闘技場へ突き進む。
アナウンスが両腕を高々と掲げる。
「今宵の闘い、武器は己の拳のみ!」
「骨よ砕け! 肉よ裂け! 血よ証人となれ!」
「生き残る者はただ一人――死者が勝者を飾るのだ!」
轟音のような歓声が渦を巻く。
「殺せ! 壊せ! 引き裂け!」
鐘が鳴り響く。
一瞬の静寂――息を呑む闇。
そして世界は裂け、
死闘は幕を開けた。
____
観客の怒号がアリーナを揺るがした。
空気は吐き気を催す臭いで満ちている。
アビマニュは観客席から黙って見つめていた。
周囲の多くは黒いローブをまとい、帽子や覆面で顔を隠している。
闇に溶け込み、まるで存在しないかのように。
彼らはただの観客ではなかった。
その奥に漂う気配――アビマニュには覚えがある。ダルマスータの血だ。
「やはり…こんな世界にも奴らはいるのか」
心の中で彼はつぶやいた。
スポットライトがアリーナ中央を射抜く。
二つの影が相対する。
オイビソノ。
インドラジット。
今宵、運命により相まみえた二人の闘士。
鐘が鳴るや否や、戦いが始まった。
拳と拳がぶつかり合い、
轟音が走る――まるで鉄と鉄が激突するように。
仮面の奥から、低く冷たい声が漏れる。
「インドラジット隊長…あの裏切りの後、処刑されたと思っていた。
お前はもう死んだはずだと…」
インドラジットは口角を吊り上げ、重い笑いをアリーナに響かせた。
「ハッ…やはり覚えていたか、オイビソノ。
俺の部下だったお前か。
だが見ろ…俺は死んでいない。国家が俺を守ったのだ。
獄中で権力を与えられ、実験体にされ…
今の俺は肉は鋼線、骨は鉄だ。
お前の“鉄拳”などでは…俺は倒せん!」
オイビソノはわずかに俯き、
その声は氷の刃のように鋭く響いた。
「本来なら…あの時に殺すべきだったのだ…」
インドラジットの瞳が赤く燃え上がる。
「ハハハ!だが今の俺は、あの頃の俺ではない。
今度は俺がお前を殺す番だ!」
獣の咆哮のごとき声を上げ、インドラジットは拳を振り抜いた。
その一撃が床を震わせ、大地を揺らす。
衝撃から吹き出す風が渦を巻く中、
オイビソノは静かに、しかし鋭く身をかわし、反撃の拳を放つ。
白き拳が空を裂き、耳を切り裂くような風鳴りを生む。
観客の叫びが重なり合い、ひとつの咆哮となった。
「殺せ!粉砕しろ!」
インドラジットが一気に突進する。
拳、肘、膝――嵐のような連撃が炸裂した。
ドガァッ!
オイビソノの体が吹き飛び、鎖の柵に叩きつけられる。
観客席から狂乱の咆哮が響き渡った。
オイビソノは荒い息を吐きながら立ち上がる。
だが、インドラジットは容赦しない。
鋭い蹴りが腕を直撃し、ガンッ! と鈍い音が鳴り響く。
その衝撃でオイビソノの体はまた弾き飛ばされ、口元から血が滴り落ちた。
「無駄だ、オイビソノ!」
インドラジットが獣のように吠える。
「俺の骨は鋼鉄だ! お前の拳ごときで砕けるものか!」
オイビソノはよろめきながらも視線を鋭く研ぎ澄ます。
怒涛の攻撃――だが、そこに不自然な癖を見つけた。
インドラジットは常に腹部を庇っている。
わずかに身をそらし、ねじり、かわす。
「……腹か。」
低く呟く。
「そこがお前の弱点だ。」
インドラジットが咆哮しながら再び迫る。
拳が胸を抉り、オイビソノの体が揺れる。
だがその瞬間――彼の拳が閃いた。
ズドォンッ!
鉄拳が一直線に腹へ突き刺さる。
インドラジットの目が見開かれ、ゴボッ! と血が口から噴き出した。
観客席が悲鳴と歓声で揺れる。
「クソッタレェェェ!!」
インドラジットが狂乱したように暴れ出す。
攻撃は激しさを増すが、動きは荒れ、隙だらけだ。
オイビソノは低く沈み込み、身体を滑らせるようにかわす。
そして――二度目の鉄拳。
ドガァッ!
再び腹を直撃。
インドラジットが膝を折り、ビチャッ! と血を吐き散らす。
巨体が震え、観客が総立ちになる。
最後の一撃を狙い、オイビソノは拳を高く掲げる。
眼光が仮面の奥で燃える。
ドオォォンッ!!
三度目の拳が腹を砕いた。
肉と骨が軋み、メキメキッ! と嫌な音を立てる。
インドラジットの瞳が虚ろになり、口から血が溢れ落ちる。
巨体は膝をつき、そして――
ドシャァンッ!
地面に崩れ落ち、二度と動かなかった。
沈黙。
次の瞬間――観客席が爆発するように沸き立った。
「勝者ァァァ――オイビソノ!!」
「白き髑髏の男!」
「東のバイソンだァァァ!!!」
狂気の叫びが轟く中、オイビソノは一人立ち尽くす。
血に濡れた体を揺らしながら――。
____
VVIPの暗いガラスの向こうで、ジョナサン・ワンは一人立っていた。
腕を組み、静かに見下ろす。
今しがた倒れたインドラジットの死体、ざわめく観客。
口元に浮かぶのは冷たい笑み。
「――国家の実験兵器も、結局はただの屑か。」
呟きは誰にも届かず、硝子に吸い込まれる。
だがその胸は、不意に高鳴っていた。
奇妙な鼓動。熱。予感。
まるで、探し続けた“何か”が、この場に潜んでいるかのように。
「……この感覚は何だ。誰だ? どこにいる……?」
ジョナサンは思わずガラスに近づいた。
⸻
観客席。
アビマニュは黙って前を見据える。
煙と喧騒の向こう、ただ一つの暗い窓。
その奥に――視線を感じた。
鋭い眼差し。獣のような存在。
互いに名を呼ばずとも、分かる。
――そこに、宿命の相手がいる。




