表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バタラカッラ 最後の血統  作者: カンボロ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/66

望まぬ宿命

オイビソノは、部屋の壁に掛けられた曇った鏡の前に立っていた。

淡い傷跡が残る顔。その映像は、必要以上に多くの地獄を見てきた男のものだった。

鷹のような鋭い眼差しが、自らの影を追い詰めるように睨み返す。

探しているのは――失われた威厳か、それともかつての自分か。


部屋の隅、古びた木の机の上に仮面が置かれている。

沈黙のまま、ただ時を待つように。


彼を知る者なら誰もが言うだろう。

―― オイビソノはただの人間ではない、と。


かつて軍の諜報員として名を馳せた男。

歩けば羽毛のように軽やか。

だが次の瞬間には、獣のように鋭く、素早い。

一挙手一投足、その全てに隠された力が宿っていた。


人々が彼を恐れた理由。

異名――「鉄のアイアン・ハンド」。


選ばれし者のみが知る秘術。

孤独な修練と追放の果てに刻まれた力。

その力こそが、彼を諜報機関の頂点へと押し上げた。


――だが今、その名は皮肉にも「死生の闘技場アリーナ」で呼ばれる。

かつて祖国のために戦った男が、今は闇の輪に堕ちようとしているのだ。



_______



スカルノ・ハッタ国際空港、タンゲランの夜。

人の波がターミナルを出入りする中、その喧騒を切り裂くように、一人の男が確かな足取りで歩いていた――オイビソノ。

護衛もなく、ただ黒い鞄を片手に固く握りしめて。


雑踏の中からジョンが姿を現す。黒いスーツに身を包み、その存在感は際立っていた。

彼はすぐに歩み寄り、オイビソノの腕を軽く叩き、低い声で囁く。


「こちらへ。」


言葉少なに二人は歩き出す。外の駐車場には一台の車が待っていた。

運転席にはマックスが座っている。表情は穏やかだが、その目は油断なく周囲を警戒している。

ジョンは助手席へ。後部座席のドアが開かれ、オイビソノのために用意されていた。そこにはすでにアビマニュが座っている。


オイビソノが腰を下ろした瞬間、アビマニュはそれを感じ取った。

重く、濃く、圧し掛かるような気配――。

それは馴染みのあるもの。ダルマスータの気。目に見えぬ震動が、オイビソノの身体そのものから滲み出ていた。


オイビソノは言葉を交わさず、鞄を開けた。

中から数枚の書類を取り出し、ジョンへ差し出す。

ジョンは真剣に目を通し、その文面を読み上げるように心で確認する。そこには明確に記されていた――

「オイビソノの素顔は、決して誰にも知られてはならない」 と。


ジョンは眉をわずかに上げ、静かに問いかける。

「では……顔を隠すために、何を使うつもりだ?」


オイビソノは答えず、再び鞄の中に手を伸ばす。

取り出したのは一つの仮面。柔らかな素材で頭部全体を覆い、残されたのは二つの眼孔だけ。

闇のように黒い地に、白い髑髏の紋様が鮮烈に浮かび上がっている。


彼は迷いなく、それを顔に装着した。

瞬間、男の素顔は消え失せ――そこに残ったのは冷たく、幽鬼のごとき闘士の姿。


仮面越しに響く声は低く、揺るぎない決意を帯びていた。

「俺が戦うのは……これを身に着けた時だけだ。以後、二度と外すことはない。」


沈黙が車内を支配した。

アビマニュは目を逸らさずに見つめ、ジョンは薄く笑みを浮かべる。


薄暗い駐車場の灯りの下で――新たな仮面の闘士が、今まさに産声を上げた。


_____


アリーナは息苦しいほどの熱気に包まれていた。

汗とアルコール、半分燃えたタバコの匂いが入り混じり、重く沈殿している。

薄暗い照明が観客の顔を照らし出す。その目は血走り、欲望と暴力を求めてぎらついていた。


アビマニュはジョンとウィンと並んで座り、周囲を警戒する。

マックスは別行動で、ウィビソノの登録手続きを済ませに行っていた。


ジョンは身を乗り出し、低い声で囁く。

「見ろ、アビ…ここに集まってる奴らがどんな連中かわかるか?」


彼の視線が客席を舐める。そこには、犯罪者の顔、復讐に取り憑かれた顔、勝利に飢えた顔があった。

「こいつら全員、罪と欲でできている。」


アビマニュは無言のまま観察を続けた。

ジョンはさらに声を落とす。

「だがな…この地獄をまとめ上げたのは、まだ二十一の若造だ。」


アビマニュが眉をひそめる。

ジョンは乾いた笑みを浮かべ、呟いた。

「ジョナサン・ワン…奴は天才だ。噂じゃ、一千万に一人の頭脳。俺たちみたいな人間を、知らぬ間に盤上の駒にしてしまう。」


一瞬、二人の視線が交わる。

ジョンの瞳は焦燥に濁っていた。

「このアリーナはただの入り口に過ぎない。奴はここで強者を集め、血の娯楽を演出している。だがその裏には、もっと大きな計画が隠されてる。」


言葉が終わる前に、場内に轟音のような歓声が湧いた。

司会者がマイクを握り、試合開始を告げている。

床が震えるほどの叫び声。熱気は一気に臨界点に達した。


アビマニュの胸に、得体の知れない圧力がのしかかる。


ジョンは唾を飲み込み、視線を上げた。

バルコニー席。ガラス張りのVIPルームが、闇の中で不気味に光っている。


「クーデター…」


その一言に、アビマニュの表情が固まる。

ジョンは声を潜め、ほとんど聞き取れないほどの調子で続けた。

「もしジョナサン・ワンが今夜ここにいるなら…奴は必ずあそこにいる。」


そこは特権階級の檻。

入れるのは選ばれた少数だけ。

そして今夜、運命はあの部屋で決まろうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ