闇の裏で
ジョンはアビマニュを残して家の中へ入った。
しかし、外へ戻ったときには、アビマニュの姿はもうなかった。
古びた机の上には、数枚の紙幣だけが残されている。
ジョンは辺りを探したが、影も形も見えない。
アビマニュは、本当に幽霊のように消えてしまったのだ。
――
その頃、アビマニュは街を一人歩いていた。
歩みに目的はない。ただ本能のままに、見知らぬ街角を辿っていく。
狭い路地、湿った石畳、そしてひしめく古びた建物。
やがて彼は中華街に辿り着いた。
祭りはすでに終わり、赤い提灯だけが風に揺れていた。
商人たちは荷物を片づけ、木箱や荷車が軋む音が夜に響く。
だが、一人の中年の男はまだ片付けを終えていなかった。
そのとき――闇の中から四人のチンピラが現れる。
半分闇に隠れた顔、吐き出す言葉は湿った夜に響く悪魔の囁きのようだった。
アビマニュは遠くから見つめた。助けに入ろうと体が反応する。
だが、足が止まる。
――何かが来る。異様な気配。強大で、冷たい存在。
その瞬間、声が轟いた。
「アオォォォ――ッ!」
狼の遠吠えにも似た絶叫が、路地裏に反響する。
風が冷たく吹き抜け、提灯が激しく揺れ、影が不気味に踊る。
屋根の上から黒い影が飛び降りた。
全身を黒衣に包み、顔にはジャワの人形劇を思わせる仮面。
凍りついた笑み、大きく見開かれた目。提灯の灯りに照らされ、生きているかのように不気味に揺れる。
チンピラたちは一瞬硬直するが、すぐに吠えた。
「誰だテメェ!? ヒーロー気取りかよ!」
刃物を構えて飛びかかる。
だが――黒衣の影は速すぎた。
一撃の蹴り、一振りの腕で最初の男が吹き飛び、荷車に激突する。
次の二人も操り人形のように地面に叩きつけられた。
残る一人がナイフを振りかざすが、仮面の影は舞うように避け、手首を掴む。
ボキッ――!
骨の折れる音が夜に響く。ナイフは宙を舞い、すぐにその手に収まった。
刃先が一気に突き出され、男の眼球寸前で止まる。
仮面の奥から低く、掠れた声が響いた。
「他人のものを奪うのはやめろ……さもなくば、次はその目を抉り取る。」
男は震え、息を荒げる。
黒衣の影はナイフを投げつけ、仲間の耳元をかすめて木板に突き立った。
悲鳴と共に、四人は闇へ逃げ去っていった。
残されたのは、膝をつき、震える中年の商人と、夜の冷たい風だけ。
仮面の影は顔を上げた。
その目――あるいは仮面の奥の何かが、一瞬だけ光を宿したように見えた。
次の瞬間、彼は壁を駆け上がり、屋根の上へと消える。
アビマニュは闇の中から鋭い目でその動きを追った。
すると、屋根の上にもう一人の影が立っていた。
同じ黒装束、同じく顔を隠している。二人の影が並び立ち、提灯の光に逆らって不気味に浮かび上がる。
そのうちの一人が振り向き、仮面越しにアビマニュの目を射抜いた。
言葉はない。ただ重苦しい沈黙だけが交わされる。
そして二人は動いた。
影のように、風のように、瞬きの間に屋根の闇へと消え去った。
アビマニュはその場に立ち尽くし、唇を固く結んだ。
心の中で、ただ一言を呟く。
――「ダルマスータ」
―― ――
二つの影、夜の闇を切り裂きて高楼の頂に舞い降りぬ。
ただ一つ、淡き光――明滅する昇降機の灯のみ、暗黒を照らす。
声なく、影は歩を進め、鉄の箱に身を委ねたり。
やがて轟音を立てて機は沈み、地の底へと導かれたり。
扉ひらかるるや、幾千の光、瞬きて彼らを呑み込む。
無数の鏡の如き屏風に映るは、都の巷、行き交う人の群れ。
冷気は骨を刺し、空気は電の匂いを孕みたり。
すでに三つの影、そこに待ち受けたり。
言葉なく、ただ沈黙。
ただ仮面の奥より放たる視線、刃のごとく二人を裁く。
その中より、一人、前に進み出たり。
黒き面を戴き、長き髪の一房、面の隙より垂れ落つ。
されど、その眼の光は、氷の刃にて魂を貫かんとす。
声、低く、地底より響き出づるがごとし。
「……遅いな。」
若き影の一人、息乱れ、言葉を紡がんとす。
「わ、我らは……老いたる者を助けただけにて……見過ごすこと能わず――」
「黙れ。」
その一言、雷鳴のごとく鋭く、されど叫びにあらず。
静寂の中に落ち、万鈞の重さを持ちたり。
一歩また一歩、長髪の影は歩を進め、鉄の床に靴音を響かす。
「幾度申せば覚ゆるか。――我らは影にあらず。
一命を救わんための徒にあらず。
我らは刃なり。
大いなるものを護らんために在る。
一たび姿を見せし時、この任は瓦解す。
小さき過ちひとつが、すべてを破滅へと導かん。」
若き二人、首を垂れ、声なくただ沈黙。
その静けさ、まるで氷獄に囚わるがごとし。
長髪の影、二人の前に立ち止まり、声を潜めて告げたり。
「兄としてならば……許そう。
されど――ユディシュティラとして、これが最後の戒めなり。」
再び沈黙。
ただ機械の唸りと、光の明滅のみが、仮面の群像を青白く照らし出した。




