実験体の異端
2007年。
カンボジア北部。
沼地の中にひっそりと佇む古びた倉庫。誰一人として知らなかった――その地下深くに、冷たい鋼鉄の回廊が広がり、青白いネオンの光と鉄の匂いが満ちていることを。
そこには、無数のガラスの部屋が並んでいた。
ある部屋では、人間たちが狂ったように暴れ、体は「ファントム・アイス」と呼ばれる血清の注射で歪み切っていた。
別の部屋からは、金属を叩く鈍い音。臓器を切り取って移し替える音。
暗がりの隅では、すでに息絶えた死体が山のように積まれ、焼却室で灰にされるのを待っていた。
焦げた血の臭いが、安物の消毒液と混じり合って漂っていた。
ア ン ジ ェ ルは、最奥の隔離室に横たわっていた。
両手首は金属器具で固定され、体には無数のセンサーが取り付けられている。
一見すればただの少女に見える。だが分厚いガラスの向こうで、異国の研究者たちは彼女を「財宝」のように見つめていた。
ほとんどは黒い肌の大男たちだった。
かつて軍医であった彼らは、今や金で雇われた科学者に成り下がっている。
その間に、日本人の男たちが小声で話し合っていた。冷たく無機質な専門用語が、彼らだけに理解できる言葉で交わされる。
廊下の至る所には、完全武装の警備兵が立ち、漆黒のヘルメットに顔を隠していた。
やがて――針が、アンジェルの肌を貫いた。
青白い液体が血管を流れ、全身へと広がっていく。
彼女の体は激しく震え、汗が滝のように流れ落ちた。
呼吸は乱れ、心臓は暴走するように脈打ち始める。
その瞬間――彼女の瞳が見開かれた。
まばゆい青の光が放たれ、闇に沈む部屋を切り裂いた。
右手の甲には、かつてアビマニュとアレックスと共に刻んだ三つの「A」の刻印が淡く輝き、最後の希望と共に、死を拒むかのように燃えていた。
モニターが警告音を立て、数値が跳ね上がる。
誰かが外国語で叫び、別の者が慌ただしく記録を書き込む。
だがアンジェル自身は――ただ一つのことしか感じていなかった。
それは、自らの肉体が沸騰し、命が裂けるような痛みと、死と生の狭間に引き裂かれていく感覚だった。
数人の男たちが厚いガラスの向こうに立ち、金属のベッドに縛り付けられたアンジェルの体を見つめていた。
青白い蛍光灯が彼らの顔を照らし出し、その表情は冷酷で計算高い。
黒い肌の大柄な男が白衣を纏い、胸元の名札には 「ダリウス・マリク」 と刻まれていた。腕を組み、低く重い声が狭い室内に響く。
「数百の被験体の中で、この少女の肉体だけが我々の血清を受け入れた……」
彼は低く、しかし圧を帯びた声で言った。
隣に立つ日本人の男――細い眼鏡をかけた中年の研究者、高橋博士 が静かにうなずき、慎重な口調で答える。
「その通りです、教授。だからこそ、この対象には決して軽率に手を出してはなりません。もし彼女がさらに耐えられるのなら……この計画は大成功へと繋がるでしょう。」
ダリウスは短く笑い、口元に冷たい笑みを浮かべた。
「ふん……そうだな、高橋博士。これは神が我々に遣わした‘天使’だ。研究を頂点へ導くための、な。」
高橋はゆっくりとうなずき、その視線をアンジェルの汗に濡れた体に向けた。
「ええ……教授。天使であろうと、悪魔であろうと、結果さえ残せば――世界は我々を勝者と呼ぶでしょう。」
____
アンジェルは天井を虚ろに見つめていた……
心の中には、アレックスとアビマニュと過ごした日々の記憶がよみがえる。
その瞳の端から、一筋の涙が零れ落ちる。
それは淡く蒼い光を帯び、闇の中でかすかに輝いていた。
――神よ……?
私に用意された宿命とは、一体何なのですか……?
アンジェルは虚無の中で、かすかな声を心に響かせた。




