あの子は、成し遂げた
夜空が裂けた。
星の光ではなく、大地を幾度も打ち砕く稲妻の閃光によって。
その轟音は、人間と七人のバタラ、そしてアスラと闇の軍勢との最大の戦いの始まりを告げていた。
山々は震え、海は裂け、森は燃え尽きた。
火炎、嵐、大地を吹き飛ばす爆発が入り乱れ、世界を揺るがす。
天の獣たち――バタラたちを護る霊の化身である鳥たちが空を舞う。
ガルダ、巨大な烏、孔雀、群れなす鳩。
彼らは聖なる叫びをあげて急降下し、主と一体となり、プラーナの武器――剣、槍、矢、槌――へと姿を変え、再び獣の姿に戻り、戦いを続けた。
人間と闇の化物の悲鳴が入り乱れ、大地を赤く染める血の川が流れる。
アスラ――黒鉄の如き身体に無数の角を持ち、瞳は灼熱の炎。
その一振りで人の軍勢は吹き飛び、咆哮一つで大地は裂け、天空は震えた。
だが、七人のバタラは立ち続けた。
傷だらけの身でありながら、彼らは一糸乱れぬ調和で力を合わせる。
アスラが追い詰められたその時――
六人のバタラが大地に掌を当て、大地のプラーナを流し込む。
すると大地から光り輝く巨鎖が湧き上がり、角の先から足元までアスラの全身を縛り上げた。
アスラは咆哮し、もがき叫ぶ。
「我は決して滅びぬ! 貴様らに我を殺すことなどできぬ! 我は人間を一人残らず喰らい、この世を破滅に沈めてやる!!」
轟音の中、一歩前へ進み出たのはバタラ・ワリであった。
その身体は血に塗れ、無数の傷口はなおも口を開いていたが、プラーナの癒しによりゆるやかに閉じてゆく。
一歩ごとの足音が大地に響き渡り、まるで地そのものが彼を支えているかのようだった。
アスラの双眸を真っ向から見据え、彼は震える手を掲げた。
「人を滅ぼさんとするその所業は、均衡を汚し、生命の聖なる理を踏みにじった。
サン・ヒャン・ウィセサの御力をもって、我らは汝を人の届かぬ異界へと封ずる!」
バタラ・ワリの掌がアスラの額に触れた瞬間――
聖なるプラーナが奔流となって流れ込み、光が闇を呑み尽くす。
アスラの肉体は石化し、ひび割れは頭から胸、そして全身へと広がり、ついには巨山の姿を成した。
その山はさらに六人の鎖に縛られ、逃れられぬ牢獄と化す。
だが魂が消え去るその刹那、アスラは最後の咆哮をあげた。
「聞け! バタラども! 我は再び甦る! 千年、万年、いかほどの時が流れようとも! その日が訪れた時――誰一人、生き残ることは叶わぬ!」
その声は世界に轟き、やがて石に閉ざされ、虚無の異界へと呑み込まれた。
静寂。
残されたのは、荒い息をつくバタラたちの音だけ。
互いに体を支え合いながら立つ彼らは知っていた。
この戦いは終わりではなく、いずれ訪れる闇の再来への誓約にすぎぬことを――。
アビマニュははっと目を見開いた。
息は荒く、冷たい汗が額を伝う。気がつけば彼はまだ洞窟の奥、修行の座法のまま座っていた。両の掌の間には、一粒の小石が静かに挟まれている。
だが、彼が今見たものはただの夢ではなかった。――それは古の記憶。バタラの血に刻まれた大戦の残響だった。
洞窟の壁は震え、遠い戦の轟きがいまだ残っているかのように響いた。胸を押さえると、奔流のようなプラーナが体内を駆け抜けていた。今までにない、荒ぶる力の胎動。
「また…あの幻影か…」
胸の内でそう呟き、重い呼吸を吐き出す。だが先ほどまでとは違い、今のそれは彼を脅かすものではなかった。――それは呼び声、より強くあれと告げる声だった。
アビマニュは一度瞼を閉じ、静かに立ち上がった。洞窟の外へ歩み出る。そこには朝靄に包まれた山の気配。
思い返されるのは――二年に及ぶ修行の記憶。
――石と山を通して、大地を知る旅。
バタラ・ワリは初日から彼に課した。
「毎日、山頂まで登り、一つの小石を持ち帰れ。」
理由は告げられなかった。なぜ一粒なのか。なぜ山頂の石なのか。彼は幾度も心中で問うたが、師の命には逆らわなかった。こうして小石は彼の修行の日々を語る無言の証となった。
初めの頃、山頂に辿り着くには一昼夜を要した。足は血にまみれ、呼吸は途切れ途切れ。だが彼は必ず小石を握りしめて戻ってきた。
日が巡るごとに、積み重なる小石の山。彼はそれを修行場の大岩の前に積み上げていった。――かつて師が「亜時庵ワトゥグヌン(岩山秘術)」をもって砕いたあの岩の隣に。
やがてアビマニュは悟る。小石はただの石ではない。ひとつひとつに大地の鼓動が宿り、それはやがて彼の血潮と響き合うものだった。
一年が過ぎたある朝、師はこう言った。
「今日からは石をただ積むだけではない。その石を握りしめ、大岩に打ちつけよ。」
それ以来、小石は試練の具となった。夜の瞑想を終えると、彼は石を全力で岩へ叩きつけた。石は砕け散り、粉塵となって地に落ちる。だがそれと共に、己の弱さも一片ずつ剥がれ落ちていくようだった。
数え切れぬ夜と朝。洞窟の前には千を超える小石の残骸が積もった。彼の掌は傷だらけでありながら、鍛え上げられた岩のように硬くなった。
⸻
八百日目。
彼は再び山頂に立っていた。もはや登頂は数時間で済む。山は恐怖の相手ではなく、友であり師となっていた。
その日、彼が拾った小石は今までと違った。小さくとも、手にずしりと重みを感じる。彼はそれを大切に握り、山を下った。
そして、あの大岩の前に立つ。隣には二年前、師の拳によって砕かれた岩の残骸。残されたもう一つの巨岩は、今も威容を誇ってそびえていた。
アビマニュは目を閉じ、掌の小石を強く握る。
その時――聞こえた。耳ではなく、魂で。
大地の詩。岩に眠るプラーナの調べ。
⸻
「我が魂よ
天地とひとつに
結び合え
崩れぬ山の如く
石は命ぞ」
⸻
アビマニュの全身が震えた。血脈は沸き立ち、地のプラーナが噴火のごとく湧き上がる。
彼は拳を握りしめ、その力を大岩へと解き放った。
「ドオオオオオォォォンッ!!!」
大地が震え、轟音と共に巨岩は粉々に砕け散った。破片は宙を舞い、砂煙が空を覆う。
荒い息を吐きながら、アビマニュは目を見開いた。
――岩は、本当に砕けた。
自分の拳で。
その瞬間、遠くで瞑想していたバタラ・ワリが目を開いた。口元にわずかな笑みを浮かべ、心の中で呟く。
「……あの子は、成し遂げた。」




