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バタラカッラ 最後の血統  作者: カンボロ


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選ばれし子

最初の夜は静寂に包まれて過ぎていった。

聞こえるのは木々のざわめきと、遠く空に響く雷鳴だけ。

やがて朝が訪れ、黄金の光が木々の隙間から差し込むと、アビマニュはゆっくりと目を覚ました。


胸の奥に、不思議な感覚が広がっていた。

見知らぬ場所にいるという違和感ではない。

それは――なぜか心が少し軽くなっていることに気づいたからだった。

説明はできない。だが、何かに守られているような安らぎがあった。


縁側に腰を下ろしたバタラ・ワリは、谷間に漂う朝霧をじっと見つめていた。

小さな足音を耳にして振り返ると、そこにアビマニュの姿があった。


「見てごらん、坊や」

低く、しかし確かな声で彼は言った。

「生きるというのは、ただ生き延びることじゃない。世の中はな、諦める理由のほうが多いものだ。だが――それでもお前はここにいる。まだ立っている。つまり、お前はまだ諦めていないということだろう?」


アビマニュはうつむいた。

言葉は単純だったが、その一つひとつが胸の奥に突き刺さる。

――自分は、まだ諦めていない。昨日も、今日も。


「しばらくここにいてもいい」

バタラは続けた。

「だが忠告しておくぞ。ここで私と暮らすことは楽じゃない。学ぶべきことがある。お前が想像したこともないようなことをな。」


その日から、アビマニュの日々は新しい色を帯び始めた。

夜明け前に起き、庭を掃き清め、川から水を汲み、そして祖父の前に座して心を鎮める術を学ぶ。


ある朝、悪夢にうなされ沈んだ顔をしているアビマニュに、バタラ・ワリは食事を口に運びながら笑みを浮かべて言った。

「いいか、坊や。大人になればわかることがある。世の中の“偉い人間”なんて、実は何も分かっちゃいない。分かっているように見えるのは――上手く誤魔化しているだけさ! ハハハ!」


アビマニュはかすかに笑った。

まだ心から笑えるわけではなかったが、その胸には小さな光が戻りつつあった。


夕暮れになると、二人は丘の大岩に並んで腰を下ろし、地平線に沈んでいく太陽を黙って見送るのが日課となった。


ある日の黄昏、涙を堪えているアビマニュに、バタラ・ワリは静かに語りかけた。

「無理に隠さなくていい。泣きたいなら泣けばいい。悲しみや不安を抱くことも――人間である証なのだからな。大丈夫だ。お前はきっと、また歩き出せる。」


____


夜が訪れると、アビマニュは星々に覆われた夜空の下で、ひそかに涙を流した。

木々のざわめきと遠い梟の声だけが響き、冷たい夜風が彼の頬を撫でていく。

だが――泣くことを恥じないのは、これが初めてだった。


「いいか、アビ。人生を笑い飛ばす術を身につけろ。

どんなに世界が暗闇に沈んでも、笑える自分でいろ。

見てみろ、この私を。独りで、老いて、時に置き去りにされても……それでも笑っている。

ハハハ……。笑いがある限り、人生はまだ負けじゃないのだ。」


静かな森に響いたバタラ・ワリの笑い声は、不思議と温かく、夜の冷たさを和らげた。

その言葉を胸に、アビマニュは少しずつ自分を受け入れ始める。

たとえどれほど重い運命を背負っていようとも――この世にはもっと過酷な道を歩む者がいるのだと。


「休め、坊や。」

バタラ・ワリはそっとアビマニュの肩を叩き、優しく続けた。

「今日、お前には計画なんてなくてもいい。だが明日……きっと宿命が何かを用意しているだろう。」


夜空に浮かぶ無数の星々は、まるでその言葉を裏付けるように瞬いていた。


_____


その朝、森の空気はいつもより澄み渡っていた。

だが静けさはすぐに破られた――大空を震わせる羽ばたきの音が響いたのだ。

その音を、アビマニュは知っていた。


彼は跳ね起きるように寝床から立ち上がり、急いでバタラ・ワリの家を飛び出した。

そして目を凝らすと――壮麗な鷲が、バタラの右腕に堂々と止まっていた。


あの鷲……。

彼を導き、森を抜けさせ、人の目には見えぬ次元を越えさせた鳥だ。


だが今の姿は違っていた。

羽根は光を帯び、輝きを増し、ひと振りごとに天空の力を秘めているかのようだった。


アビマニュは戸口に立ち尽くし、目を見開いたまま瞬きすら忘れていた。

鳥と老人――二人は、永遠を生きる者だけが交わせる言葉で語り合っているように見えた。


やがてバタラ・ワリはゆっくりと振り返り、少年の顔に浮かぶ驚愕を見て薄く笑みを浮かべた。

そして片手を高く掲げる。


その動きは軽やかでありながら威厳に満ちていた。

鷲は一声も発さずに翼を大きく広げ、矢のように天空へと舞い上がる。

雲を突き抜け、その姿は瞬く間に消え去った。


「――ガルーダ……」

バタラ・ワリは朗々と名を呼んだ。

その響きは天地を揺るがすほどの力を帯びていた。


「名はガルーダ。ただの鳥ではない。

奴は私の魂の一部……神々から託された存在だ。

戦の時には、剣へと姿を変える。山すらも断ち切るほどの剣にな。」


アビマニュはごくりと唾をのみ、未だに動けずにいた。


「奴は私の目でもある。この秘められた次元のすべてを見張る守護者だ。

そして――お前が七重の結界を越えたとき、最初に見つけたのはガルーダだった。

人の世の最も深い孤独から、お前をここへ導いたのだ。」


その顔に、バタラ・ワリは揺るぎない真剣さを浮かべた。


「お前が足を踏み入れた時――私は長き瞑想の眠りから目覚めた。

幾百年、時に侵されず、世に干渉されることもなかった私を……お前の気配が揺り起こしたのだ。

その存在は、時と空間を揺るがすほどの震動を生み、沈黙を打ち破った。」


バタラ・ワリはアビマニュを深く見据えた。


「神々がお前を導いたのだ、坊や。

選ばれし者を誤って導くことなど、この宇宙にはありはしない。」



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