再びの喪失
街外れの古びた倉庫が、今回アレックスの戦いの舞台だった。
だが三人が中へ足を踏み入れた瞬間、異様な空気が漂った。
歓声もなければ、約束されたはずの少年たちの群れもいない。
そこにいたのは、わずかな大人たちだけ。獲物を狙う獣のような目で彼らを見つめていた。
ひとりが立ち上がり、嘲るように問いかける。
「おい、ガキ。こんなところで何をしている?」
アレックスは一歩前に出て、毅然と答えた。
「闘いへの招待状を持ってきた。」
だが返ってきたのは歓待ではなかった。
その場にいた大人たちは一斉に哄笑をあげた。
「こいつがそうか、地下組織を潰すとかほざいてるガキは? ハハハ!」と一人が吐き捨てる。
アビマニュは周囲を見回した。
鼓動が早鐘のように打ち鳴らされる。
そこにいる顔ぶれは――かつてエンジェルを狙った連中だった。
悪い予感は、やはり現実となったのだ。
暗がりの奥から、一人の少年が現れる。
足取りは静かだが、瞳は嘲笑に満ちている。
アレックスは息を呑んだ――その顔を知っていた。
「ルシェル……?」彼は震える声で呟く。
かつての友であり、共に汗を流した稽古仲間。夢を語り合った相手。
「どういうことだ、ルシェル?」アレックスは困惑して問いかける。
青年は口元を歪め、嗤った。
「お前はいつも言っていたな。闇の組織を内側から潰すって。その度に笑いを堪えるのに必死だったよ。ガキのお前に何ができる?」
アレックスは拳を握りしめ、顔を紅潮させる。
「チッ……そうか。じゃあ、今ここで俺と戦うつもりか?」
エンジェルは震えながらアレックスの手を強く握り、下がるように訴える。
だがアレックスは短く視線を送り、彼女を安心させようとした。
ルシェルは冷たく笑みを浮かべる。
「戦う必要なんてないさ。俺が欲しいのは――お前の妹だ。あいつは俺と一緒にいた方が、よっぽど“安全”だからな。」
「妹を渡せ。」ルシェルは唾を吐き捨て、目をぎらつかせて言い放った。
「絶対に渡さない……!」アレックスはかすれた声で叫び、毅然と立ち上がった。
アビマニュ、アレックス、そしてエンジェル。三人は背中を合わせ、古びた倉庫の中央に立っていた。
彼らを囲むのは武器を手にした大人たちの群れ。先頭に立つのはルシェルだった。
アビマニュは一瞬だけ目を閉じた。夢で見たあの乞食の姿が脳裏に浮かぶ。
「偉大なる宿命、だって?……それが何かは分からない。だがもし本当なら、今こそ二人の兄妹を救わせてくれ。頼む、力を貸してくれ……!」
血が沸き立ち、体が震える。魂の底から、得体の知れない力が滲み出してくる。
アビマニュは前へ踏み出し、エンジェルに手を伸ばす賊たちを阻んだ。
思考よりも先に体が動き、一人、また一人と大人たちを倒していく。だが数はあまりに多い。
一方その頃、アレックスはルシェルと対峙していた。
「いいだろう、アレックス。本当に俺と戦いたいなら……」ルシェルは指を鳴らし、次の瞬間、影のように飛びかかった。
ドガッ!
拳がアレックスの顔面を捉え、彼の体は埃まみれの床へ叩きつけられる。
必死に立ち上がったその腹部へ、容赦のない蹴りが突き刺さった。
「ぐっ……!」
ルシェルは冷笑を浮かべ、見下ろすように言った。
「知っているか、アレックス? 七人のバタラの伝説を……。永遠に生きる七人の戦士、その血は戦う者の子孫に受け継がれた。」
ドガッ! 再び拳が頬を打ち抜き、アレックスの口から血が飛び散った。
「ダルマスータ……正義の血を宿した子ら。死なぬ力を受け継ぐ者たち。だがな、お前は――その一人じゃない。」
アレックスはよろめきながらも拳を振るった。
だがその全ての動きは読まれ、簡単に躱されてしまう。
ドガッ!
再び床に叩き伏せられ、呼吸は荒く乱れた。
一方、アビマニュは必死に戦い続ける。伸びる手を払い、襲い来る刃を躱し、エンジェルを守ろうと立ちふさがる。
エンジェル自身も蹴り、噛みつき、必死に抗ったが、賊たちは鍛えられていて容易には防げなかった。
ルシェルは地面に伏すアレックスに顔を近づけ、耳元で囁く。
「セクター27に新しい遊興施設が建ったばかりだ。若い娘はいつでも求められている。俺があの妹を弄んだ後は、そこへ送ってやるさ。金は山ほど手に入る。」
アレックスの胸に、絶望が広がった。
「そうか……これが本当の狙いか……。すまない、アビ……お前の言葉を無視した。俺は……この男に触れることさえできない。努力しても……俺は不適格なんだ……」
ルシェルの蹴りが腹を抉り、体が大きく揺れた。
「ハハハ! どうした、アレックス! お前はいつも組織を潰すって夢を語っていただろう? さあ立て! 俺を倒してみせろよ!」
その嘲笑が倉庫中に響き渡る中、アビマニュはなおも戦い続けた。
新たに芽生えた力に突き動かされ、一人また一人と倒していく。
だがその視線の先では――エンジェルが次第に賊の手に捕らわれていった。
ドガッ!
ルシェルの拳が鋭く突き刺さり、アレックスの体は大きく弾き飛ばされ、アビマニュのそばへ叩きつけられた。
アビマニュは心の中で叫んだ。
「アレックス!」
即座に身を翻し、前へ突進する。
彼の拳がルシェルに直撃し、ルシェルはよろめき床に倒れ込んだ。
しかしアレックスはもう立ち上がれなかった。体は震え、唇から鮮血が滴り落ちる。
アビマニュは攻撃を畳みかけ、連打を浴びせる。
ルシェルは必死に腕を上げて防ぎ、後退を余儀なくされる。
その時――
「カク・アビ! 助けて!!」
エンジェルの悲鳴が空気を切り裂き、アビマニュの胸を貫いた。
反射的に振り返ろうとしたが、その腕をルシェルにがっちり掴まれる。
次の瞬間、数十人のチンピラが一斉に襲いかかり、殴り、蹴り、無慈悲に群がった。アビマニュは押さえ込まれ、身動きが取れない。
その隙に、エンジェルは口を塞がれ、か弱い体を無理やり引きずられていく。
悲鳴は布に遮られ、恐怖に濡れた瞳だけが助けを求めていた。
「エンジェル!!」アビマニュは咆哮しようとしたが、声は喉で潰れ、空気に溶けた。
血に塗れたアレックスは、ただ涙を流すことしかできない。
伸ばした腕は力なく床に落ち、震えながら妹の影を追った。
アビマニュは心の底から叫び、全身に力を爆発させた。
その瞬間、謎めいた力が弾け、群がるチンピラたちは次々と吹き飛ばされ、倉庫の床に転がった。
だが、すでに遅かった。
ルシェルはエンジェルを抱え、闇の向こうへと消えていた。外から車のエンジン音が轟き、ライトの光が遠ざかっていく。
必死に追いかけるも、アビマニュの足は届かず、光は夜に飲み込まれた。
荒い息のまま戻ると、そこには瀕死のアレックスが横たわっていた。
アビマニュは震える腕でその頭を抱き上げる。
「アビ……」アレックスの声はかすかに震えていた。
「お前は正しかった……すまない……。お前は強い……頼む……エンジェルを……救ってくれ……」
涙がアビマニュの頬を伝い、血に染まったアレックスの顔に落ちた。
返したい言葉は喉で塞がり、一言も声にならなかった。
やがてアレックスの瞳は閉じられ、呼吸が止まった。
倉庫には死体と呻き声だけが残り、静寂が支配した。
アビマニュは天を仰ぎ、口を大きく開けて絶叫した。
だが喉からは何の音も出ない。
夜を震わせたのは――声なき叫びと、止めどない涙だけだった。




