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バタラカッラ 最後の血統  作者: カンボロ


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第一章 アビマニュ

2004年のある日。


ボゴールの夜空は、星一つ見えないほど濃く暗く垂れ込めていた。

冷たい橋の下、三人のストリートチルドレンが古びた荷車のそばに肩を並べて座っている。

骨の髄まで染みる夜風の冷たさも、彼らの間にある温もりを消し去ることはできなかった。

それは火から生まれたものではなく、互いを「家族」として信じ合う心から生まれた温もりだった。


その朝、エンジェルが擦り切れた表紙の古い本を抱えて小走りにやって来た。

そこにははっきりとこう書かれていた――『初心者のための手話入門』。


「アレックス兄ちゃん! アビ兄ちゃん! いいこと思いついた!」

少女の顔は輝くような笑顔で満ちていた。


ちょうど破れたポケットを気にしていたアレックスが、半ば呆れ顔で彼女を見上げる。

「今度は何だ、エンジェル? まさか俺たちに大統領になれって言うんじゃないだろうな?」

そう言って、彼はからからと笑った。


「違うよ!」エンジェルはぶんぶんと首を振り、本を胸に抱きしめる。

「本気なの。みんなで“学ぼう”よ!」


「学ぶ?」アレックスは眉をひそめた。「俺たちに家すらないんだぞ。勉強してどうする。」


エンジェルは一歩近づき、真剣な眼差しで二人を見つめた。

「手話を学びたいの。」

その声は小さいが、揺るぎない決意に満ちていた。

「アビ兄ちゃんはいつも地面や紙に書かないと伝えられないでしょ。

でも、私たちが手で話せたら、もっと簡単にわかり合えるんだよ。」


アレックスは鼻で笑い飛ばそうとした。

「エンジェル、俺たちは飯を探すだけでも大変なんだぞ。勉強なんて――」


「だからこそだよ!」エンジェルの声は鋭く割って入った。

「私たちは家族でしょ? アビ兄ちゃんが言いたいことを、ちゃんと分かってあげたいんだ。」


その言葉にアビマニュは胸を打たれた。

彼はそっと小枝を拾い、地面に一言だけ書いた。


――同意する。


アレックスはその文字をじっと見つめ、深いため息をついた。

「……わかったよ。お前らが望むなら俺もやる。けどな、俺が間違えて『晩ご飯』を『お前、牛臭い』ってやったらどうするんだ?」


その冗談にエンジェルは吹き出し、アビマニュも小さく微笑んだ。


「じゃあ、明日から始めようね!」

エンジェルはアビマニュの手を取って笑顔を向けた。


こうして、道端での手話の学びの日々が始まった。

ボロボロの一冊の本だけが唯一の教師だった。


最初は失敗ばかりで、笑いの絶えない日々だった。

「なあ、エンジェル。今、お前俺のこと“水牛”って言っただろ?」

アレックスが夜、眉間にしわを寄せて問いただす。


「違うよ! “夕飯”って言ったの!」

エンジェルは爆笑しながら、必死で正しい手の動きを見せる。

「兄ちゃんの手の形が変だっただけ!」


「ふん、牛でも晩飯でも、結局腹は空いてるけどな。」

そうぼやくアレックスに、また笑い声が広がる。


やがて三人は少しずつ上達していった。

不器用だったアビマニュも、自信をつけはじめる。

「はい」「いいえ」「ありがとう」――小さな言葉から少しずつ。


だが、路上の生活は相変わらず過酷だった。

新聞紙を敷いて眠る夜、空っぽの腹を抱えて眠る日も少なくなかった。


それでもアレックスは、弟や妹を笑わせようと必死だった。

ある夜、古い荷車の上に立ち、ペットボトルをマイク代わりにして叫んだ。


「こんばんは、ボゴール! 伝説の歌手、アレックス・ザ・グレート登場だ!」


その姿にエンジェルは涙が出るほど笑い、アビマニュは苦笑しながらも口元に微かな笑みを浮かべた。


けれどエンジェルは気づいていた。兄の笑顔の裏に隠された影を。

夜更け、ひとりで背を向け、肩を震わせているアレックスの姿を。


「アレックス兄ちゃんは強がりだよね。」

小声でエンジェルが呟くと、隣にいたアビマニュが目で問いかける。


「でも、私たちで支え合わなきゃ。だって兄ちゃん、いつも言ってるでしょ?

“俺たちは家族だ”って。」


アビマニュは黙ってうなずいた。


彼の日常は、二人といる時よりもっと厳しかった。

声が出せないせいで仕事を探すたびに門前払いされる。


「俺にガキの相手をする暇はない!」

罵声を浴びせられ、追い払われることも少なくなかった。


疲れ果てて帰る日もあった。

段ボールの上に腰を下ろし、虚ろな目で川を見つめる。


その隣にそっと腰を下ろすアレックス。

「なあ、アビ。俺がお前に嫉妬してること、わかるか?」


アビマニュは首をかしげた。


「お前、どんなときでも諦めないんだ。」

アレックスは苦笑しながら言った。

「俺なら、とっくに投げ出してる。」


その言葉にアビマニュの目が潤む。


「お前はすごい奴だよ、アビ。」

アレックスの声は優しく、力強かった。

「周りは気づかなくても、俺とエンジェルはちゃんと見てる。」


エンジェルも駆け寄ってきて、アビマニュの手をぎゅっと握った。

「そうだよ。アビ兄ちゃん、私たちは誇りに思ってる。

だって、兄ちゃんはいつも私たちのために頑張ってくれてるんだもん。」


アビマニュは小さくうなずき、涙をこらえながら笑った。


暗いボゴールの夜空の下。

三人は肩を寄せ合い、互いを支え合う家族として生きていた。


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