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メンズコーチ異世界転生する  作者: 双子相
第1部: 黎明編 エピソード1: 【目覚めと憤怒のコーチング】
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第4話 対話せよ、己の肉体(マシン)と

夜明け前。まだ街が深い眠りに包まれている中、ジョウイチはレオンの家の粗末な扉を叩いた。叩いた、というよりは、扉が砕けかねないほどのノックだった。

「起きろ、レオン! トレーニングの開始だ!」

叩き起こされたレオンが、眠い目をこすりながら現れると、ジョウイチはすでにトレーニングウェア姿で腕を組んでいた。その圧倒的な存在感の前に、レオンの眠気は一瞬で吹き飛んだ。


「まず、現状のお前の肉体(からだ)が、どれほどのポテンシャルを秘めているか、正確に把握する。いわば、身体測定だ」

ジョウイチがレオンを連れてきたのは、街外れの広場だった。

「いいか。まずは腕立て伏せだ。俺が手本を見せる」

ジョウイチは地面に手をつくと、鋼鉄の板のように真っ直ぐな姿勢から、寸分のブレもなく体を上下させ始めた。一回、二回、三回…。その動きは、まるで精密機械のように正確無比で、力強く、そして美しかった。

「…このように、胸を地面スレスレまで下ろし、体を一直線に保ったまま押し上げる。さあ、やってみろ」

レオンはゴクリと唾を飲み込み、見よう見まねで地面に手をついた。そして、教えられた通りに体を下ろそうとするが、腕がガクガクと震え、半分も下がりきらないうちにお腹から地面に崩れ落ちてしまった。

「う…」

「もう一度だ」

非情な声が飛ぶ。レオンは必死に体を持ち上げようとするが、腕に全く力が入らない。ミミズのように体をくねらせるのが精一杯だった。

結果は、一度もまともにできないまま、無残なものに終わった。

腹筋、背筋、スクワット。あらゆる基礎的なトレーニングを試したが、どれもこれも数回こなすのがやっとで、正しいフォームなど夢のまた夢だった。


「…ひどい、ですね…僕の体…」

地面に大の字に寝転がり、荒い息を繰り返しながら、レオンは惨めさに打ちひしがれていた。分かっていたことだ。だが、こうして現実を数字として突きつけられると、心が折れそうになる。

すると、ジョウイチはどこからか取り出した炭の棒と、一枚の羊皮紙をレオンの前に置いた。

「書け」

「え…?」

「今の結果を、お前自身の手で記録するんだ。『腕立て伏せ、0回』とな」



それは、あまりにも残酷な宣告だった。自分の不甲斐なさを、自分の手で記録しろというのか。レオンが躊躇していると、ジョウイチの鋭い視線が突き刺さった。

「現実から目を背けるな、レオン。それはお前のスタート地点だ。弱い自分を認め、向き合うことから全ては始まる。今日のこの『0』という数字こそ、お前が未来で乗り越えるべき、最初の壁だ」

その言葉に、レオンはハッとした。ジョウイチは、自分を貶めているのではない。これは、未来へのロードマップ作りの第一歩なのだと。レオンは震える手で炭を握りしめ、羊皮紙に、はっきりと刻み付けた。『腕立て伏せ: 0回』。


一通りの身体測定を終えた後、ジョウイチは意外なことを口にした。

「さて、トレーニングの第二段階だ。狩りに行くぞ」

「か、狩り、ですか?」

「そうだ。筋肉はトレーニングだけで作られるのではない。いや、むしろトレーニング後の栄養補給こそが、筋肉を創る。お前のその貧弱な肉体は、栄養失調の証拠でもある」

ジョウイチは栄養学の重要性を説いた 。タンパク質が筋肉を修復し、成長させること。炭水化物がエネルギーになること。ビタミンやミネラルが体の調子を整えること。レオンにとっては、まるで魔法の呪文のように聞こえた。



二人は街のすぐそばに広がる森へと入っていった。ジョウイチは驚くべきサバイバルの知識を持っていた。木の枝をしならせて作る簡易的な罠の作り方。小動物の足跡の見分け方。食べられる野草や木の実の知識。

「いいか、レオン。これもトレーニングだ。獲物を追い、仕留める。自然の中から、己の血肉となる糧を勝ち取る。これもまた、男としての重要なスキルだ」

ジョウイチの指導のもと、レオンは生まれて初めて罠を仕掛けた。そして数時間後、その罠に一羽の大きな鳥がかかっているのを見つけた時、彼は思わず声を上げた。自分たちの手で、食料を確保したのだ 。


その日の夕食は、レオンの家で準備された。捕まえた鳥を焼き、森で採った香りの良い野草を添えただけの、シンプルな食事。だが、その香ばしい匂いは、レオンが今まで口にしてきた干し肉や薄いスープとは比べ物にならないほど、食欲をそそった。

レオンは、飢えた獣のように肉にかぶりつこうとした。その瞬間、ジョウイチの雷のような声が飛んだ。

「待て」

ビクッと体を震わせるレオンに、ジョウイチは静かに、だが厳かに告げた。

「レオン。食事は、空腹を満たすための単なる作業ではない」



彼は、こんがりと焼けた肉を指差した。

「それは、お前がこれから創り上げる、新しいお前の肉体(からだ)の『材料』だ。お前という名の最高の肉体(マシン)を創るための、神聖な儀式だ。一口一口を味わい、感謝し、そしてイメージしろ。この肉が、お前の腕の筋肉になる様を。この草が、お前の血となり、体を駆け巡る様を」


その言葉に、レオンは衝撃を受けた。食べるという行為が、そんなにも崇高な意味を持っていたとは。

彼はジョウイチの教えに従い、ゆっくりと肉を口に運んだ。しっかりと噛み締める。肉の旨味と、生命の力が、じわりと体に染み渡っていくような感覚。うまい。心の底から、そう思った。

初めて経験する、まともな食事と、目的を持ったトレーニング。その一日を終え、疲労困憊でベッドに倒れ込んだレオンだったが、その体には今まで感じたことのない、微かな熱が宿っていた。それは、自分の身体が、ほんの少しだけ変わろうとしている狼煙(のろし)のようだった 。



絶望的な現実を突きつけられ、泥にまみれ、クタクタになった一日。だが、不思議と心は晴れやかだった。

(僕の体は、変われるかもしれない…)

長年、彼の思考を覆っていた灰色の霧が、少しだけ晴れた気がした。顔色も、昨日よりいくぶんか健康的になっているように感じられる。それは、栄養のある食事と、そして何より「希望」という名のスパイスがもたらした、確かな変化の兆しだった 。

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