夏の邂逅
きっと、恋ではない。背中合わせの沈黙が心地良いから。
本作含む短編3作は、連載予定の長編『紅華四季恋浪漫譚 夏の章』の一年前を描く前日譚です。
大正浪漫と魔術が息づく帝国。苛烈な令嬢・火花と、滅びた隣国の青年・玲。
正反対だがどこか似ている二人が出会い、ぶつかり合いながらも、運命の糸は絡まっていきます。
この短編だけでもお楽しみいただけますが、長編の前に触れていただくと二人の距離感がより鮮やかに味わえます。
紅華帝国の夏は、まるで炎に包まれているかのように暑かった。
帝都の洋風カフェは、真夏の暑さを避けようとする人々で賑わっていた。
白布の日除けが広げられたテラス席には、氷を浮かべたクリームソーダやアイスコーヒーを楽しむ洋装の令嬢たちが集い、硝子窓の外には浴衣姿の娘が団扇を仰ぎながら歩いていく。
通りの先では、ちょうど路面電車がガタリと音を立てて停まっている。人々の話し声や車掌の声がざわめきとなって、カフェの中にいる黒宮火花の耳にも届いた。
普段は黒い高等学院の制服で過ごす火花だが、この日は珍しく、藤色の着物に濃紺の袴を合わせ、友人と並んで座っていた。
レモネードのグラスに口を付けると、氷が触れ合う涼やかな音とともに、柑橘の香りが喉を清める。首筋の汗も、ほんの少しは和らいだ気がした。
「火花、ここのケーキは帝都一って評判なのよ」
友人が嬉しそうに皿を差し出す。
「……ありがとう」
火花は微笑み、フォークを取った。
けれど、華やかな洋装の令嬢たちや、路面電車を見送る浴衣姿の若者たちを眺めながら、どうしても誤魔化しきれない違和感が湧き上がる。
(やはり、刀を握っている時の方がいい)
友人達のことは好きだ。彼女達はいわゆる社交が苦手な火花のことを理解していて、それでもこうしてカフェに誘ってくれる。皆で食べる、レモネードやケーキも美味しい。
それなのに、拭いきれない違和感がある。
火花は自嘲気味に笑みを漏らし、視線を窓の外へやった。
ふと、気づく。
真夏には似つかわしくない黒い浴衣をまとった青年が、柔らかな黒髪を揺らしながら、喧騒の中、ゆっくりと通りを歩いていた。
数多の人が行き交う中で、どうして彼にだけ目がいったのかはわからない。
ただ、真夏の陽を浴び、その紫水晶のような瞳がきらめくのを、火花は見た。
息を呑み、思わず見入る。
自分がそうしているのに気づくまで、数秒は要しただろう。
綺麗。
いつのまにか笑みは火花の表情から消えていた。
硝子越しに、視線が交錯する。
どちらが先に視線を外したのか、火花にはよくわからない。
青年が人混みに紛れていくと、火花は再びレモネードに口を付けた。
氷が触れ合う澄んだ音の向こうに、友人達の噂話が届く。
「今の方、紫苑玲様だそうよ。滅んだ紫雲国の王子ですって……」
胸が大きく跳ねる。
その噂は、流行に疎い火花ですら知っていた。最近滅んでしまった隣国の王子。以前から帝国と友好関係にあったことから、皇太子の推薦で火花たちも通う紅苑高等学院に入学するらしい、と。
それに加えて、類稀なる剣才の持ち主だとも。
(噂は本当だろう)
あの瞳の強さは、きっとそういうこと。
胸の奥が熱を帯びていく。
「……戦ってみたい」
小さく呟いたその言葉に、友人が笑った。
「また始まった。いくらあなたでも、今回は負けてしまうかもよ?」
火花はふんと鼻を鳴らし、唇の端をわずかに上げる。
「負けない」
日が傾きはじめ、ガス灯が石畳を照らす頃になっても、夏の帝都の熱はまだ衰えなかった。
紫と黒の視線は、その中で確かに交わっていた。