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Lukewarm Lie  作者: 八尋ヨカ
7/11

Ⅵ 罪と罰

 次の日、俺は朦朧とする頭で学校へ行った。もともと鼻炎持ちのうえに思い切り風邪をひいて鼻水が止まらない。熱がある気がするのは、風邪のせいなのか、浮かれてるせいなのか、あるいは両方か。昨夜は、もとい、今朝はばあちゃんに酷く叱られた。普段はお淑やかなだが、昨日はさすがに心配させすぎたらしい。まあ当然だ。唯一の孫が突然、授業中に荷物を置いて消えたのだ。通報されなかったのが不思議なくらいだ。そうならなかったのはたぶん、古矢のお蔭だ。俺はこれでも、一応ヤツに感謝はしてる。家には帰る前に一度電話したが、着いた時間が午前零時を回っていたのもまずかった。もしこれで、授業をサボっていることまでバレたら、ばあちゃんは俺を、見捨てるかもしれない。俺は体調が悪かったの何だのと言い訳しながら、明日の温泉旅行のことで頭をいっぱいにして、何とかその場を凌いだ。ばあちゃんには心配かけたくないが、昨日はあの屋上が悪い。


 寝不足と風邪で重い身体を引きずって教室の前まで来ると、入口ですれ違った顔が幽霊でも見るような目で俺を見た。俺は睨むでもなく普通に顔を上げただけだが、そいつは気まずそうに避けて通り過ぎ、声をかけてはこなかった。どうせまた何か勝手な想像で噂でもしていたんだろう。半日サボったくらいで何だ。

「あ、玖珂くん、おはよー」

机に座って三、四人と話し込んでいた高橋が俺を見つけて、いつも通り明るく手を上げた。こいつは俺が半日消えたことなんて気にもしていない。この誰とでも肩を組めるような軽さに会うと俺の心はゆるみ、気楽になれる。

「おはよ」

俺は鼻声で応え、荷物を机の上に放って席に着いた。

「また風邪?」

「うん、ちょっとな」

高橋に何か礼を伝えたくて考えてみたが、何をどう言えばいいのかわからない。高橋が俺の方に向き直って座ると、その後ろにいた数人はそっと離れて教室の中に散らばった。高橋はそれすら気にもとめない。真顔でも笑っているような人懐っこい丸顔はすっかり俺の方を向いている。

「なぁ、お前ならもう聞いてるよな」

落ち着きのない様子で座っていた高橋が唐突に顔を近づけて来た。

「何を?」

何かまた新しい情報でも仕入れたようだ。他人の噂話なんてどうでもいいが、高橋が話したそうにうずうずしているので、俺はポケットからくしゃくしゃのティッシュを取り出し、鼻を抑えて訊いた。

「古矢くん、故郷くにに帰るんだろ」

「は?くに?何それ、今度はどこの王子様だよあいつ」

俺は笑いながらカバンに手を突っ込み、ティッシュをもう一枚取り出した。またどこかの暇な連中のくだらない妄想が尾鰭をドレスみたいにくっつけて流れてきたようだ。ハーフだの金持ちだのどこかのモデルと付き合ってるだの、今年入った一年の廊下でも、そんな噂がまことしやかに囁かれている。なぜかそれすら拾ってくるのがこの高橋のアンテナだ。

「やっぱ知らなかったかー。何かそんな気がしたんだよなあ。昨日さあ、職員室で渋谷が増田と話してるの聞いたんだけど、何か親父さんが具合悪いらしくて、転院するから引っ越すんだって」

「……どこ、故郷って」

「北海道だってよ」

熱が、血の気が引いた。こいつは今、何て言った。頭がぐらりと揺れ、手元を見つめていたはずの視界がぐわんぐわんと波打ち始めた。心臓がでたらめに騒ぎだし、気がつくと俺は荷物を掴んで立っていた。

「あ、玖珂くん、もうチャイム鳴るよ」

驚いている高橋に何か言おうとしたが、声が出せなかった。固唾を呑み、教卓の前に視線を投げたが、いつもの席に古矢はいない。俺は衝動に駆られるまま、そこらで駄弁る女子を避けて教室を出た。色んな顔が俺を見ていたが、どうでもよかった。カバンの肩紐を引きずりながら、ぼやけた視界をただひたすらにずかずかと進んだ。登校してくる呑気な視線が逆流していく俺を物珍しそうに見送った。下駄箱の辺りでチャイムが鳴った。

「おい、何してる…またお前か、どこのクラスだ、三年生だな、名前を言いなさい、

 渋谷先生のクラスか?」

偉そうな声がつらつらと背中に飛んできた。俺は意に介さず、何の反応も示さずに投げた靴に足を突っ込んで外に飛び出た。怒鳴り声が聞こえたが、半端な度胸の教員は下駄箱の手前で止まったらしい。俺は遠くの門だけを見つめて、砂埃を蹴りながらだだっ広いグラウンドの真ん中をまっすぐ進んで校庭から消えた。

 頭が重く、視界がぼうっと揺れている。無意識に足だけが動き、慣れた道をたどって家に帰ると、靴を脱ぎ捨て階段を上って自分の部屋の扉を開けた。俺の逃げ場はここしかない。カバンを散らかった雑誌の上に投げ、制服のまま布団をはぐってベッドに潜り込んだ。

「仁哉さぁん、どうしたの、学校は?」

階段の下から淑やかな声が響いている。足腰が弱っているので二階にはよほどのことがなければ上がって来ない。

「風邪ひいて熱があるんだよ。しんどいから今日は休む」

俺は喉が痛いのを我慢して、聞き返されないよう大声で応えた。

「まあ、熱があるの?大丈夫?お薬飲む?」

しつこく気遣う声が聞こえたがもう返事はしなかった。そんな余裕は俺にはない。頭が割れるように痛い。頭の中に心臓がある。布団に包まって身を縮こまらせても背中の寒気は少しも治まらない。顔だけが異様に火照り、唇がかさかさに乾いている。寒い。また寒い。まぶたの裏に、昨日の古矢の笑顔が浮かんできた。

何で俺ばっかこんな目に遭うんだ。

何でこんな罰を受けなきゃいけねんだよ。

酷すぎるよ。

ちょっとふざけただけだろ? 

ただちょっと嘘をついただけだ。

それだけだろ。


 遠くから、がしゃがしゃした着信音が無神経に鳴りだした。携帯が部屋のどこかで騒いでいる。俺は不機嫌に目を覚ました。布団から腕だけを伸ばして闇雲に携帯を探したが、CDやゲーム機らしきものに当たるばかりで、届かない。苛立って、一気に布団を撥ね退け、ベッドから半身を乗り出して転がり回っている携帯を拾った。寒気はどこかに消えていたが、飛び起きたせいか今度は頭の中で重たいボールが転がっている。べったりと張り付いた前髪をどけてから、通話ボタンを押してもう一度布団に潜り込んだ。

「はい」

「あぁ、仁哉?」

「鈴……」

「声すげぇぞお前。誰かと思った」

「鼻詰まってるから、あと寝起きだし」

「今日どうしたんだよ、朝学校行ったんだろ?何帰ってんの」

「あぁ、朝行ったけど熱出たから……何か風邪ひいたみたい」

「へぇ、あぁ昨日の?大丈夫?」

「うん、まぁ……」

「へぇ、ま、お大事に。あ、そうそう、温泉な、明日朝五時に俺んち集合な」

「はや!五時ってまだ外真っ暗だろ……俺風邪ひいてんのに……マジで行くのかよ」

「行くに決まってんだろ」

「……五時?」

「そ、五時」

「……わかった」

「おう。ほんじゃな、また明日」

「……なぁ、鈴」

「あぁ、何」

「お前さ……引っ越すの?」

「え?」

「……帰んの?実家に」

「……何で知ってんだよお前」

「昨日高橋が言ってた、職員室で話してるの、聞いたんだって」

「……んー、めんどくせぇな……誰にも言うなっつったのに……」

「何がめんどくせぇんだよ! 何で言ってくれなかったんだよ、俺に黙って行く気だったのか?」

「お前だって黙ってただろ」

「……何を」

「留学すること」

「いや、あれは……」

「まぁいいよ。ちょうどよかったな、お互いさまで。じゃあな、俺もう寝るわ。明日

 ちゃんと来いよ。五時な」

古矢は早口で捲くし立てると、一方的に電話を切った。何も音のしない硬い機械を耳に当てたまましばらく動けなかった。ヤツの声が俺をぐちゃぐちゃにしていった。真っ暗な部屋に俺を独り、置き去りにした。ベッドも布団も携帯も意味がない。誰も何も意味がない。もうどうしようもない。


助けて。誰か助けて。


握り締めていた携帯を力任せに投げつけた。それは布団に弾かれ、畳の上に虚しく転がり落ちた。

「ちょうどよくなんかねんだよ……くそ」

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