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ゾンビパニックは、僕たちに幸福と渇望を残した

 毎日が夏休みだった。

 この世の中だ。

 そりゃ辛いこともそれなりにあるけど、時計を気にせず、ありとあらゆる予定から解放された日々は、何といっても伸び伸びしていた。


 ゾンビが人を食らう。

 そんな映画みたいな話が、今となっては誰も疑わない現実として日常に溶け込んでいた。


 幾らか前に起きたゾンビパニックは世界中に拡大して、今では小規模な寄り合い所帯が各地に点在しているのみになった。

 身内か友人か、親交のある仲間同士で集まったそれらはコミュニティなんて呼ばれ方をしていて、定住することなく生活拠点を転々としながら食料なんかを集めつつその日暮らしをする。


 科学の発展によって発生したバイオハザードが、皮肉にも返って人々の生活を縄文時代まで引き下げたのだ。

 

 でも、こうなってみると僕は、バイオハザードが起きて良かったと思う。

 引き下げられた文明レベルの中では、以前までの高度な経済活動を伴う社会にはなかった、自由がある。

 その日の飢えだけ凌いでしまえば、あとは勝手に暮らす。

 日向ぼっこして時間の風に当たっても、散歩して新鮮な空気を味わうツアーに出発するのも、その人のその時の思い付き次第なのだ。


「おーい!来てみろよー!でっけーカサゴが釣れたぞー!」


 声の方へ目をやれば、護岸工事で敷設されたテトラポットの上で釣り糸を垂らす男の姿があった。

 照り付ける日差しの中、白のタンクトップから覗く腕が焦げた、軽快な笑顔を湛える少年である。

 名はゆーちゃん。

 勿論あだ名だが、ずっとこれで呼んでいたせいで本名を忘れた。

 だから繰り上げ方式で、先日正式にゆーちゃんが本名に昇格した。


 彼の元に走り寄ってその手元を覗き込めば、ブラクリに食い付いた20センチほどのカサゴが、釣り糸からぶら下がっていた。

 確かに、カサゴにしては大きかった。


「やるじゃんか。今日はご馳走かな?」

「そう、俺はな。羨ましけりゃお前も釣りなよ!釣り具なら貸してやるからよ!」


 僕たちは、幼稚園から一緒の仲良し5人組でコミュニティを作っている。

 そんな僕たちの中には一つだけ決まりがある。


 そいつが飢えで死にかけない限り、自分の飯は自分で確保する。

 通称、『タダ飯禁止宣言』だ。

 元はと言えば、皆の食に関する好物が被り気味であったことから来ている。

 かつてそれを取り合って軽く揉めたので、それ以来この条約が僕たちの間で結ばれることになった。

 ただ勿論、命に関わるようなその限りではない。

 不作の時は、互いに協力して食料確保に臨むのだ。


「まあいいかな。今朝方にキノコを沢山採って来たし」

「お前またキノコかよ。いつか毒引き当てるんじゃないかって皆心配してるぞ?」

「毒ならもう当たったよ」

「は?お前マジで…?」

「うん、ベニテングタケ。でもね、美味しいからって何回も食べてたら、何か大丈夫になった」

「……頼むから死ぬなよ」

「おーらい」


 僕は防波堤から立ち上がると、近くの砂浜へと歩き出す。

 どうやら地球温暖化の影響でサンゴの生息域が北上して、近頃ではこの辺りでもサンゴの死骸が漂着していることがある。

 何なら、心なしか砂浜の色も白くなってきているような気がする。これは気のせいだろうけど。


 砂浜に足跡を付けて、それが波に均されていく様子に諸行無常を感じていると、また声を掛けられた。


「ねえねえ、何してるの?」


 振り返ると、同じ年齢の少女が立っていた。

 空色の水着の上から白いパーカーを羽織っており、夏の爽やかさを感じる装いだ。

 このご時世でも質を落とさない美しく長い黒髪が、その装いと良く合っている。

 以前百円ショップを探索したときに発見した日焼け止めを塗っているからか、いつもの白い肌は健在の様子であった。

 僕たち男連中は面倒くさくて日焼け対策をしていないのだが、健康のためにもしておく方が良いのかもしれないと思った。


「足の裏が、なんか不思議な感じがするなーって思ってたところ」

「あー、波で砂が攫われるアレかぁ」


 納得したように頷くと、彼女も僕の隣に並んで立つ。

 波が押し寄せて、それから引くと、彼女がむず痒い表情を浮かべた。

 本当の本当に失礼な言い方をすると、男連中がトイレで小便を解放した後の顔に似ていた。

 そんなことを思っているのが悟られたのか、一睨みされる。


「あのね、瀬良くん」

「はい?」


 瀬良くんとは僕のことだ。


「あなたはミステリアスな雰囲気があって、独特の魅力があると思うよ」

「え…は、はあ。どうも」

「でもね、もう14年一緒にいるんだよ?あなたがこんな表情をしてる時は、大体失礼なことを考えてるんだろうなーくらいは分かるんだよ?」

「ぎ、ぎくー」

「わざとらしく言っても、今日こそは笑って済まさないからね?」


 彼女…島野さんは、胸倉を掴んで僕が考えていたことを洗いざらい吐かせると、僕の手の甲を赤くなるまで抓ってすたすたと去っていった。

 彼女は淑女的な性格で昔から人気だったが、僕らの間では時折バイオレンスになる。

 といっても主に僕とゆーちゃんがその被害者だ。

 この二人だけが、「口は災いの元」という諺を信じない宗派なのだ。

 いや、正確にはもう一人いたか。


 さてと、抓られて傷む右手を冷やすため、海をひと泳ぎすることにした。

 僕らは皆、百貨店で拝借した水着を着用していた。

 そしてこれも、明日になれば捨てる。使い捨てなのだ。

 廃墟に残された資源の数々は、遺された僕らで使い切るには膨大だ。だからこうやって贅沢に使ってしまって良いのだ。

 使われるために、そしていつか捨てられるために生まれてきた道具たちだ。その使命を、少しでも多くの道具たちに全うさせてやりたい。

 …なんて言ってみたが、要は洗濯や手入れが面倒なだけだ。


 僕は海に入った。

 ぷかぷかと、入道雲を眺めながら水面に浮かぶ。

 ウミネコが鳴いている。

 深い青空を見上げていると、自分が今下を向いているか上を向いているか分からなくなる。

 平泳ぎの要領で掻き出せば、空まで泳いで行けそうだった。


 どうだ、詩人だろう?

 やることのない世の中では、人は誰しもポエミーになるものだ。

 僕もそんな終末の歌詠み達の一人なのだ。


 そんな感じでアンニュイになっていれば、不意に足を掴まれ水中に引きずり込まれる。


「あわわわわ!!!」


 みっともなくジタバタと藻掻き、顔が水中に潜り込み、海水を飲み込んでしまう直前で身体を海上へ持ち上げられる。

 まさかこんなにも空気を愛おしく想うことになるとは。


「あはは!なっさけなーい!」

「クミ太郎かあ…」

「せいかーい!」


 並び立ったのは、これまた幼馴染連中の一人である少女のクミ太郎。

 彼女は、昔からやんちゃだった故に、名前をもじられた末に太郎を付けられた悲しき娘だ。

 と、一応そういう設定になっている。

 クミ太郎自身が、そういうことにしろと煩いから、僕らは仕方なくそれに付き合っている。

 そんな栗色の髪をショートカットにした快活な彼女は、こうやってと僕やゆーちゃん、島野さんに悪戯を仕掛けてくるので、僕らの間で警戒態勢が敷かれている。


「本当にびっくりした。心臓バクバク」

「そういって貰えるんなら、悪戯っ子冥利に尽きるってもんよ」

「流石あいつの弟子だね。免許皆伝じゃない?」

「…いやー、まだまだよ。一人前は、驚かした勢いで心臓まで止められるようになってからだね」

「それじゃクミ太郎のイニシエーションで誰か犠牲になっちゃうよ」

「い、いにし…?難しい言葉知ってるね!」

「……」


 幼馴染として複雑だった。

 彼女も、本当は賢い娘なのだ。信じてあげて欲しい。


 僕が温かい目で見ていると、早くも彼女は興味の矛先が変わったのか「島野っちに悪戯してくる!」と宣言して岸へ泳いで行った。

 砂浜でしゃがんでヤドカリを指で突いている島野さんの背中は隙だらけで、この後どうなるかは大方予想が付いた。

 南無三。


 すっかり水面で浮かぶテンションでは無くなったので、僕も岸の方へのそのそと歩く。

 そのまま近くの岩場まで行き、適当にカニやハゼでも観察することにした。

 ノコギリガザミでも見つけられたら今夜のご馳走になるのだが、昼なのであまり期待できない。

 しかし、あの大きなハサミに詰まった肉厚の身。その旨さを味わってしまった僕からすると、どうしても獲れた時のことを想像してしまう。

 今度はスープにして頂いてみようか。


 そんな捕らぬ狸の皮算用を脳内で繰り広げていると、岩場に辿り着いた。

 その中で一部海に迫り出した岩があり、その先に見慣れた人影があった。

 海に相対して背筋を伸ばす凛とした立ち姿は、まるで漁船の船長の様だった。

 

 細身ながら引き締まった筋肉を纏う眉目秀麗な彼は、やっぱり僕ら幼馴染五勇士の一角であった。

 秀介だ。

 僕らのリーダー。

 彼のお陰で今まで生き残ってこられたと言っても過言ではない、外見や肉体のみならず頭まで優れる、名に恥じない秀才だ。


「こんにちは」

「ん?あー瀬良か。楽しんでるか?」

「もちろん。秀介は何してるの?」

「俺は……まあ水平線を見てたんだ」


 そう言うと、彼はまた海を眺めた。

 秀介は行動的で、いつも身体を動かしたり、或いは頭を動かしている。それがきっと好きなのだ。

 そんな彼が、僕みたいに意味も無く水平線を眺めるわけがないことは、長い付き合いなので知っている。


「船、探してるんでしょ?」

「え!?……良く分かったな」

「来ないよ、船。……もう、いないよ」

「……ああ、そうだな。確かにな」


 世界は荒廃し、高度な文明が栄えていたのは既に過去の話だ。

 秀介は、ずっと元の世の中に戻ることを夢見ている。

 夢見ているというのは少し違うか。いつも、その夢の実現に向けた行動を心掛けているから、見ているというよりは目指しているというべきだろう。

 僕らの中で、それは唯一の考えだった。

 僕を含めた他の四人は、今のままでいいか、別にどっちでも構わないか、そんなこと考える余裕がないかのどれかだ。


 秀介はリアリストだ。

 冷静な判断と、起こり得るリスクのシミュレーションをして、合理的な考え方を貫いている。

 でも同時に、一番のロマンチストと言える。

 文明の再興なんて、とても現実的ではない。それでも目指すのだから彼はロマンチストだ。


 そんな彼の夢を、否定するような言葉を吐くのは気が引けた。

 でも夢を追いかけるのは大抵の場合苦しいものだ。

 僕らは明日の安否すら分からないのだから、秀介にも今を生きてほしかった。

 難しいことなんて考えずに、一緒に今を楽しく過ごしてほしいのだ。

 まあ、これは僕のエゴでしかないんだけど。


「なあ、そろそろ現実を見る方がいいかな?」


 不安そうに言う秀介が、少し幼く見えた。

 普段はあんなに頼もしいのに、こんな姿はこれまでの付き合いの中で数えるほどしか知らない。


「秀介はいつも現実を見てるよ。誰よりも。ただ、その上で理想があるってだけなんじゃない?」

「そうか…理想か…」

「うん」


 岩場の麓で白波が揺れる。

 その上を、海藻が当てもなく浮かんでいる。

 それを見て、何だか僕たちみたいだなあと、思った。


「…俺は諦めたくないな、この理想。これ以上、悲劇を連鎖させるわけにはいかない」

「辛くない?」

「辛い…けど、俺はもう誰も…」

「悲劇は一過性だよ。僕も悲しかったけど、でも今この瞬間は、皆と海で遊べて楽しいし幸せだしね」

「…その先でいつか、ゾンビに食われて死んでも?」


 秀介が、僕に目で訴えかけてくる。

 言外に叫んでいるのが分かった。

 「俺と同じ方向を向いてくれ!」というのが強く伝わってくるのだ。


 文明の再興は、分かりやすく煌めいた到達点だ。

 そこに向かって、皆で団結して努力することはきっと素晴らしいし、青春っぽくて良いことだ。

 でも、なあ。


「そうだねぇ。ほら、僕ってマイペースでしょ」

「えっと…?」

「だから、元の世の中に戻っても、あまり馴染めないんだよね。なら、自由な今を楽しんで、その時が来たら死んじゃえばいいやって思っちゃう」


 僕はあまり、何も考えていない。

 代わりに、深層心理の奥の奥で眠っているような気持ちすら、何のフィルターも介さずに言葉にできる。

 普通なら自覚できないようなそれも、言語化できてしまう。

 その結果出てきた言葉がそれで、やはりそれも何も考えずに出た言葉だ。


 だから、まさか秀介に怒鳴られるとは思ってなかったのだ。


「良いわけがあるか!俺たちは皆、お前に死んでほしくない!お前だって、誰かが欠けるのは嫌だろ!」

「ぁ……」


 これほどの剣幕で捲し立てる秀介を初めて見た。

 つい目を丸くしてしまう。

 そして、反省する。

 そうだった、秀介はあの日のことを誰よりも自責しているのだ。

 せめて、もっと言葉を吟味するべきだった


「ごめん。僕も、誰にも欠けてほしくない」

「なら…」

「でも、本心だよ」

「っ…!!」


 気まずい雰囲気のまま、暫く二人して海を眺めた。

 方や船を探して。

 方や無心で。

 正反対な僕らだけど、親友であることには違いなかった。

 僕はやっぱり、秀介の考えは否定しない。否定したとしても、止める権利はない。

 同じように、秀介もこれ以上何も言ってこないのは、僕なりに良しとする日常があることを理解しているからだろう。


「怒鳴って悪かったな、また夜に会おうか」

「ううん、こっちこそ何かごめん。お詫びにガザミ探してくる。夜に食べよう」

「ははっ、楽しみにしとくよ」


 短くやり取りをすると、秀介は立ち上がって砂浜の方へ歩いて行った。

 僕も、宣言したからにはガザミを確保しなければならない。

 重大任務だ。


 少し経ってから僕も腰を上げた。

 それから岩場を探索するために振り返ると、島野さんが立っていた。


「あの…どうしたの…?秀介くんの大声が聞こえて来たけど…」

「ちょっとね。でも喧嘩とかじゃないよ。仲直りした」

「仲直りってことは、喧嘩したってことじゃん」


 僕はバツが悪くなって、手を頭の上で組む。

 仲直りというのは言葉の綾で、あれも喧嘩というわけではない。

 ただ、少し行動指針の根本を曝け出しただけ。

 それが互いに異なるから、違う方向を向いた矢印がちょっとかち合うのは仕方のないことだ。

 互いに悪意はないし、嫌いになったりしていない。


「ねえ、大丈夫なの…?本当に大丈夫…?」

「うん」

「私、皆と一緒に毎日遊ぶこの生活が無くなっちゃうの、嫌だよ…」

「僕もだよ」


 彼女の声が水っぽくなる。


「煩いお父さんとお母さんもいないし、虐めてくる子もいないし、こんなに楽しい日常が無くなるのなんて…うぅ…」

「どうどう」

「うぅ…怖いよぉ…」


 やがて島野さんは泣き出してしまった。


 島野さんはかつて、虐められていた。

 容姿の綺麗さや性格の良さから男子に滅法モテていた彼女は、同性の反感を買って陰湿な嫌がらせを受けていたのだ。

 加えて彼女の両親は所謂スパルタ教育の方針を掲げていて、日々の生活リズムから進路や将来の結婚相手まで管理しようとする徹底ぶり。そこに愛情がないわけではないと思うが、それでも島野さんには荷が重かった。


 当時の僕らはどうにかそこから島野さんを救おうとしていたのだけど、それでも所詮は子供だった。それらの現状を本質的に変えることは叶わなかった。

 彼女の塾が終わった後の三十分間。僕たち幼馴染組で集まって少しだけ遊ぶ。

 そんな細やかな慰めくらいしか、出来ることは残されなかった。

 

 そんな彼女だから、仲の良い幼馴染たちと束縛の無い自由な日々を送れることを、心から幸せに思っているのだ。

 そして同時に、以前のような生活に戻ることに対して、トラウマに近い拒否感を持っている。


 僕は、仲間内で唯一彼女と同じ思想を持っていた。

 自由なその日暮らしのこの世界で、その日の食事を確保して、あとは勝手気ままに生きたい。

 例えゾンビが闊歩していても、それでも今が良い。

 それを彼女も知っている。

 だから彼女は、トラウマがぶり返すか或いは今の生活の行く先に不安を感じた時、時折僕の元へやってきて、そして泣くのだ。


「なるようになるよ。僕と島野さんは、そういう生き方でしょ?」

「…うん」

「お腹一杯になってぐっすり眠れば、明日にはまた今日みたいな日が待ってるんだ。きっとね」

「そう、だよねっ…!」


 なんとなしに頭を撫でると、数分間そうした後に恥ずかしそうにこちらを睨みながら、恐らく照れ隠しの捨て台詞を吐いて島野さんは去っていった。

 方向からしてきっと、今日の拠点で火おこしでもしに行ったのだろう。

 確か今日は彼女が当番だったはずだから。


 その後、暫く海を眺めてから僕も岩場を立ち去った。

 立ち去ってからガザミを獲らなければと思い出し振り返ったが、不思議なことに僕の足跡を追うように大きなノコギリガザミが歩いて来ていた。

 僕はそのガザミを、植物の蔦で縛り上げてひょいと持ち上げ、運ぶ。

 やっぱり、人生なんとかなるものだと思った。


 帰ってから下処理でもしよう。

 そう思って砂浜を歩いていると、全身ずぶ濡れのゆーちゃんに遭遇した。

 頭にワカメを載せて歩く姿は、まさしく海坊主であった。


「うげっ!!お前見ねえなと思ったらそんな大物を…!!」

「ふふん、どうだ」

「す、すげぇよ…」


 僕が持っているガザミを見て、ゆーちゃんは悔し気に言った。

 カサゴを自慢して鼻高々だったゆーちゃんの姿は、すっかり意気消沈していた。

 まさかあのビッグカサゴを超える大物を持ってくるとは思わなかったのだろう。

 でも、僕は優しいのだ。


「これは皆で食べよう」

「へ…いいのか…?」

「うん。元々は秀介から仰せつかった捕獲任務だったし」

「昼間にガザミなんて…秀介も案外鬼畜な任務を託すんだな…」


 勿論ゆーちゃんは、岩場での一幕など知らない。

 ガザミの捕獲は僕が自分で言い出したのだが、何となくノリで秀介に命じられたことにした。

 まあこんな具合で僕は適当なことしか言わないので、これが冗談であることなどゆーちゃんも薄々気付いているだろう。


「ゆーちゃんこそどうしたの?その姿は」

「さっきクミ太郎と堤防の上から飛び込みしたんだよ。お前も誘おうとしたんだぜ?」

「あー結構です」

「拒否権はない!飛び込むぞ!…って無理やり連れてくつもりだったのになー」

「それは誘いじゃなくて連行だよ」


 そんな話をしながら砂浜を進む。

 いつの間にかすっかり空は茜色に染まっており、浜が真っ赤になる。足の裏が焼けるような錯覚を起こす。ただ、どちらかというと夕焼けに照らされた右半身だけ熱いことの方が気になった。

 ゆーちゃんも帰るつもりだったようで、僕の隣を付いてきた。

 頭のワカメをなぜだか撫でながら、ゆーちゃんが言う。


「そういえば最近、一緒に皆で遊んでないよな」

「何言ってるの?一昨日も昨日も、何なら今日も一緒に遊んだばっかりじゃん」

「ちげーよ。5人で、同時にってこと。夜は集合するけど、昼の遊びだと同じ場所にいても皆びみょーに離れてるじゃん」

「あ、確かに」


 言われるまで気が付かなかった。

 5人同じ空間にいながら、2人組か3人組とかで分かれてしまっていた。

 その内訳は知らぬ間に移り変わっていって、やっぱり皆仲は良いのだ。

 それでも、やはり5人同時に全く同じことを…というのは近頃無い気がする。


「そうだね。それじゃ明日早速何かしよっか」

「おっ、いいね!何する?釣り大会はどうだ!?」

「ゆーちゃんは釣りばっかりじゃん。僕的にはかくれんぼが良いと思う」

「それだと結局離れてねーか?」

「あ、そっか。じゃあビーチフラッグとか?折角海だし」

「最高!採用!」


 きっと、この「5人一緒にいない問題」に気が付いたのはゆーちゃんだけだと思う。

 皆、多分そんなことは考えたことも無い筈だ。

 これはひとえに、ゆーちゃんが何よりも僕たちと一緒にいることを大事にしているからなのだろう。

 生活がどうとか、社会がどうとか、自由がどうとかじゃなくて、僕らで一緒にいたいんだ。


「そうだ、クミ太郎のとこにも行ってくる。早くガザミを見せて自慢したいからね!」

「あ、ちょっと待て瀬良!今は…!」


 そう言い残して俺は駆け出す。

 クミ太郎は夕暮れ時に太陽へダッシュするという、ウチの「悪戯っ子一門」が受け継ぐ不思議な日課があるので、きっと西の突堤にいるだろう。


 何だか今日は特別な日である気がする。

 秀介も、島野さんも、ゆーちゃんも。三人の考え方を再確認したのだ。長く一緒にいると、こんなことは何度もするものじゃない。今日は珍しい日だ。

 こうなると、クミ太郎だけ話さないのも違う気がしたのだ。


 そうして突堤に辿り着くと、その先端でうずくまっているクミ太郎がいた。

 少し離れたこちらまで嗚咽が聞こえてくる。

 彼女の足元には、いくつか水の落ちた染みがある。

 と思えば、たった今嘔吐した。


 そっか。今日か。


 体調に問題は無いことは分かっている。

 ただ、大体週に1回くらいのペースで、定期的にこうなる。

 仕方のないことだ。

 あんなことを続けていれば、心が行方を失ってしまう。

 そうしてたまに、涙や嗚咽になって外へ漏れ出すのだ。


 僕らは、この状態の彼女に話しかけないことを決めている。

 それは勿論、優しさから。

 彼女もきっと、この状態で僕たちに会いたくはない。


 ただまあ、一言くらいなら大丈夫だろう。


「ガザミ獲れたから食うよー!拠点で待ってるねー、クミ太郎ー!」


 声を掛ける時は、少しばかり強調しておいた。


 帰ろうと振り返ると、遠くから秀介がこちらを見ていた。

 きっと、この状況は全部理解したんだろう。


 悲しそうに笑った。











「ふぃー、美味かった。お手柄だ瀬良!」

「まあね」


 焚火を囲みながらの晩餐は、いつもより豪華だった。

 秀介も今日は特別だと言って、カサゴを皆に分けたのだ。

 それを皮切りに、皆自分のために確保していた食料を皆に配って、その結果バリエーション豊かな食事となった。

 しかし極めつけは何と言っても、僕が獲った蟹だった。


「ああ、これは染みるね…」

「瀬良くん、あのあと捕まえたの?時間ないのに良く見つけたね」

「ないす瀬良っち!流石はウチの秘蔵の凄腕漁師なだけあるねっ!」

「おい!漁師の称号は俺んだぞ!仕方ねぇ、瀬良!今度俺と釣り対決だ!」

「返り討ちにされても知らないよ?」

「へっ!バカ言え!」


 今日の食卓は、いつにも増して賑やかだった。

 かく言う僕も、皆から手柄を褒められて鼻高々である。

 焚火から鳴るパチパチとした音が拍手のように聞こえるほどだ。


 僕たちは、ゾンビ達に対する秘策を持っている。

 理由は詳しく知らないが、彼らは火を極端に嫌がるのだ。

 だから松脂を詰め込んだ竹の筒を松明代わりにして、拠点を取り囲むように指している。

 こうすることでゾンビ避けになるのだ。

 しかもこれは、ゾンビに僕らが感知されていても通用する。僕らを襲う本能よりも、火が怖いことの方が勝つのだ。だから、火が消えない限りここは無敵ゾーンみたいなものなのだ。

 ただ、この秘策は暗闇の中に限られてはいる。だから基本的に夜限定の必殺技だ。昼に同じことをしても通用しない。


 加えてこの辺りは建造物や樹木がほぼ無いので見通しが良く、ゾンビの接近にもすぐに気づくことが出来る。

 だからこうして多少気を緩めても問題ないのだ。


 さて、腹も満たされたことだし、早めに眠ってしまおうか。


 そんなことを考えながらお腹をさすっていたら、秀介が神妙な表情で立ち上がった。


「皆、話がある」


 その秀介の姿を見て、やっぱり今日は特別な日なんだと思った。

 きっとあの話をするんだろう。


 皆もただならぬ気配を感じ取ったのか、先ほどまでの和やかなムードは薄まっていった。

 秀介に視線が集まる。


「これは俺の我儘でしかないことを念頭に置いて欲しい」

「おう、どうした?」


 間合いを図るような秀介に対して、爪楊枝を片手にゆーちゃんが促す。

 そうでもしなければ、確かに秀介は長らく言い渋りそうな気がした。


「俺、このままだと不満なんだ」


 空気が凍った。

 他意があるわけではない。ただ皆して、秀介が紡ぐ言葉に身構えているのだ。


「俺はさ、やっぱり前みたいな世界に戻りたい。ゾンビの恐怖に怯えて、明日の自分の生き死にすら分からなくて、そしてただ死を待つような退廃的な生き方が、俺には合わないんだ。どうしても、何かを目指すように生きなきゃ、人生は豊かにならないと思うんだ…!」


 秀介の声が震えている。

 それもそうだろう。

 これまで、皆がのらりくらりと、全員で話し合うことを避けていた話題だった。


「でも俺は、皆と離れ離れにはなりたくない!だから…だから…俺と一緒に人類の再興を目指してみないか…?」


 それは、本人も言う通りで、客観的には我儘でしかなかった。

 だが、僕はそれを我儘で片付けるべきじゃないと思う。

 親友だから。


 秀介は、自分の中の生き方や理想と、僕たちと一緒に今を過ごすこと。その二つの間で揺れ動いている。


 きっと、彼が本気で人類の再興を目指すなら、本格的に旅を効率化して他の人間のコミュニティを探す必要がある。そうして協力者を増やす必要がある。

 一方で、少なくとも僕や島野さんは、秀介の考えとは沿わない。人類の再興によって失われる自由が、途方も無く惜しいのだ。そうなれば秀介の旅に同行するとは限らない。

 だからこそ、完全な両立は不可能なのだ。

 彼はそこに苦しんでいる。


 そしてやはり、彼の言葉に真っ先に食い付いたのは島野さんだった。


「嫌だ…!秀介くんの我儘があるなら私の我儘もあるよ…!私は今の生活が良い!このままがいいの…!」


 きっと、今の生活への執着は僕よりも島野さんの方が大きい。

 それほどまでに、かつて虐められた経験は彼女の奥底に今も根付いている。

 彼女は、僕ら幼馴染連中を除いて人間不信なのだ。

 多様な人間が無数に渦巻くかつてのような社会は、彼女からすると恐ろしいものだった。


 だから秀介の提案に、首を縦に振ることは出来ないのだろう。

 しかしながら、島野さんもまた皆で一緒にいたいという気持ちは確固たるものである。


 これまで、こんな言い合いは無かった。

 それもこれも、ゾンビ対策であったり、食料調達のコツであったり、そういったものが充実してきて心に余裕が生まれた故に起きたのだ。

 生きる他に、「自分のしたいこと」「自分の生きたい生き方」に目を向ける時間が生まれたからだ。


「ゆーちゃんはどう?二人はああ言ってるけど」

「えー俺からかよ。先に瀬良から言えよ」

「わかったよ。そうだなぁ…僕も島野さんの考え方と同じだね。今日のため以外には頑張れないし、先々を見据えないといけない人間社会は少し生き辛いよ。だから今のままがいい」

「…そうか」


 あれから自分の考えを見つめなおした。

 でもやっぱり、ダメだった。

 僕は根っからの社会不適合者だった。

 あとは、人類が消え去った後に生まれたこの大自然が好きだった。

 だから今が良い。


 死ぬ前に穏やかな表情を浮かべる人もいるっていうけど、僕は多分それだ。

 文明が滅んだなら、それに無理に抗わずにその流れに従ってしまえばいい。

 このままゆっくりと朽ちていく中で、なんちゃって哲学に浸りながらグラデーションを描くように死んでいければそれで充分なんだ。


「ほら、言ったからね。次はゆーちゃんだ」

「俺はだなー。どっちでもいいんだよなー。みんなで一緒にいられれば、それだけでさ」


 気楽な口調で言う。


「人類立て直しの旅でも、今のままの生活でも、どっちでもさ。この話し合いがどう落ち着くかはわかんないけど、もし結果的に俺たちが離れ離れになるんなら…」


 一呼吸置くと、ゆーちゃんはこれまで見たことないほど真剣目をして言った。


「力尽くでも繋ぎ止める」


 言い終えるとにこりと笑った。腕を巻くって冗談めかしたりもしていた。

 そして「だから安心して喧嘩しな」とも言い残して、横になった。

 寝るつもりは無いんだろうが、きっと自分から言うことは何もないという意思表示だろう。

 普段は陽気でバカしている癖に、大事な時は兄貴肌を発揮して頼もしくなる。

 同い年なのに、不思議な安心感があった。


 彼は皆で一緒いることだけを大切にしている。

 皆もそれは同じだと感じて、一人安心して一抜けたと言った具合だ。


 そして最後に、視線はクミ太郎に集まる。

 秀介は、ここに来てまた少し弱気になりながら、クミ太郎に聞いた。


「なあ、その…どう思うんだ?」

「へ?」


 クミ太郎は間違いなくこれまでの僕らの話を聞いていたが、まるで今聞いたかのようにとぼける。

 軽いボケだ。


「いやーいやー、耳が遠くて聞こえなかったよ!あたしも歳かな…?」


 僕は視線を自分の右にずらす。

 隣で島野さんの肩が震えていた。

 何かを我慢する様に。

 少なくとも笑いではない。


 次に視線をその先へ向ける。

 秀介もまた、複雑そうな表情だ。

 バツが悪いとも言うような顔である。

 こっちにも、ウケは良くなさそうだ。


 仕方ないので僕が言う。


「まだまだ若いでしょ。それで、ほら。どう思うの?」


 適度にボケに乗って、その後に本題に戻す。

 笑いを取るような、そんな空気じゃないのに。

 正直、あまりに場違いな冗談に乗っかるのも憚られたが、僕以外にこれをいなす人もいない。

 貧乏くじだと思って受け入れる。


 しかし、まだ続く。


「え、え~?いやいや最近は老眼もキツくて――――っ!?」


 瞬間、島野さんが険しい表情のままバッと立ち上がる。


 それに驚いて、クミ太郎も声を詰まらせた。


 島野さんの身体は震えている。

 もう我慢ならないという様子だった。

 殺気立っていると形容しても過言ではない。

 これはまずい気がした。


 しかし、そんなときに場を収めるのは、やはり秀介だった。


「待って、島野さん」


 そう言われて、島野さんははっとする。

 しかしまだ腹の虫は収まらないようで、不服そうな顔をしながら腰を下ろした。


 ああ、今日言うのか。


 やっぱり今日は特別な日だ。

 そう思う。


「僕はあなたに聴いているんだ」


 そう言って、秀介は彼女を睨んだ。


「だ、だから~」


 それでも逃れようとする彼女の両肩を、秀介は掴む。



「林太郎じゃない、来実に聴いているんだ!」



「っ…!」


 その言葉に、来実が固まった。

 横になっていたはずのゆーちゃんも、その声を聞いて跳ね起きた。


 クミ太郎……じゃない。

 本当の彼女。


 来実がこうなったのは、あの日からだった。











 ゾンビの氾濫は、世界中を恐怖に陥れた。

 物量に圧し潰されて、秩序は急速に崩れ去っていった。


 ゾンビに噛まれたらゾンビになる。

 そんな創作上の鉄板設定は、やっぱり現実でも変わらない。

 多くの人間が、歩く屍となった。


 屍というのは厳密な表現ではないかもしれない。

 ただ少なくとも、身体の制御は彼らの手元を離れた。

 そして、重度の麻薬中毒者のように虚ろとした目と千鳥足で、正常な人間を襲い仲間へ引き込もうとする。

 対する人間は、時に戦い、時に逃げ惑う。


 僕らは幸運だった。

 田舎の中学校に通っていた僕らは、比較的人口が少ないためにゾンビ化の感染拡大速度が遅かったのだ。

 だから最初は、街の大人たちの判断に従って公民館で避難生活を送っていた。

 だけど、付近の大都市から逃げて来た人々の群衆が街まで押し寄せて来た。

 その中にはゾンビに噛まれた人も混じっていて、そう時間を要せずに、故郷もボロボロになってしまった。


 皆散り散りに逃げた僕らは、奇しくも街外れにある廃工場で再会したのだ。

 その奇跡は、僕らに生きる希望を授けてくれた。


 僕らは、当然だが街に戻る選択はしなかった。

 しかし、集まった中に大人はいない。

 中学生だった僕らは、命の賭けた選択を自らの判断で下さなければならないという事実に、足が竦むようだった。


 そんな時に、僕らを救ったのは二人の少年だった。


 一人は秀介だ。


 早熟だった彼はこんな時でも落ち着いていて、食料と安全な場所の確保の段取りを立ててくれた。

 人口密集地帯を避けつつ、見通しの良い海沿いを歩こうと方針を立てたのも彼。

 本で読んだ知識を用いて、山小屋の廃材を活かしながら兎を獲る罠を作ったのも彼。

 裏山の鉄塔から街を見下ろして、ゾンビと人の流れを観察して安全な区域を予測し、街から物資を確保する計画を提案したのも彼。

 秀介は重圧の中でも僕らを取り纏めた。

 彼がいなければ、僕らもゾンビの仲間入りをしていたに違いない。


 もう一人は、末包(すえかね)林太郎。


 彼はその変わった苗字ゆえに、名前からも文字を借りてカネ太郎なんて呼ばれていた。

 彼は、僕らの中でも一番のお調子者だった。いつも誰かに悪戯を仕掛けては、憎めない笑顔を浮かべながら肩を窄める。

 お笑い芸人を目指していた彼は、一発ギャクや一人ショートコントを作って皆の前で披露していたような人気者だった。

 それでいて変わり者で、夕暮れ時に夕日を追いかけて街中を走り回るから、彼は街一番の愉快な男として名を馳せていた。


 そんなカネ太郎は、あのパンデミックの中でも意気消沈することは無かった。

 沈んだ空気の中でも笑顔を忘れず、それどころか可笑しな冗談やギャクを通して僕らにまでそれをお裾分けしてくれた。

 彼が、僕らの間の陰鬱な空気を吹き飛ばしてくれた。

 彼がいなければ、僕らは集まった廃工場でめそめそ泣きながら、そのまま朽ちていたに違いない。


 特に来実は、聡明で穏やかな反面、心配症で怖がりなところがあったので、カネ太郎の存在に誰よりも助けられただろう。


 二人は、僕らにいなくてはならない存在だった。

 僕を含めた他の皆も、二人に元気付けられて自分の出来ることを探した。

 後ろ向きな人なんて一人もいなくて、生き延びるために必死に動いた。

 六人で、生きたのだ。



 いつしか、2年の時が過ぎた。14歳になった。

 それまでの間、海沿いを移動して他の生き残りを探していたが、碌な成果は無かった。

 たまに人に出会ったが、彼らは人の心を無くしていて、廃人みたいに生きているか僕らを歩く資源と見做して襲い掛かってくるか。そんな感じで、協力しようとはならなかった。


 気が付けば、人っ子一人いない閑散とした地域へ辿り着いた。

 人がいなくなれば、人を求めてゾンビもいなくなる。

 その街のゾンビの数は、街の野良猫の数よりも少ない。

 これまでと比べると、安全と言っても差し支えないほどだった。


 だから僕らは、油断してしまったのだ。

 探索に、その油断が現れた。


「へー、でっけぇ学校だなぁ。中学校か」

「私たちが通ってた校舎とは全然違うね」


 ゆーちゃんと島野さんが、二人して感心しながら広い廊下を歩く。

 その後ろから僕や皆も付いていく。

 僕らはすっかり、ゾンビなんて警戒していなかった。

 それほどまでに、街にゾンビが少なかったから。

 或いは、これまで何だかんだ生き延びたことによる慢心もあったのだろう。

 今にして思えば、本当に馬鹿だった。


 ああ…この辺りから靄掛かってきた。


 故郷の中学校は小さくて、生徒数も少なかった。

 だから、かつて大きな街だったのだろうここの、大きな校舎が物珍しかったのだ。

 物資集めの一環ではあるが、半ば観光でもしているかのような心持ちである。


「見ろ――ら、―――し星人だ――!」

「何――んのよ――――しょーも―――なぁ」


 朧気だ。

 でも、カネ太郎が何か物を使って変な動きをして、それに来実が呆れ笑いをしていたのは覚えている。

 そうだった。

 来実はカネ太郎のことが好きで、来実はそれを隠していたようだけど、その気持ちは傍から見て丸分かりだったのだ。

 だから、カネ太郎が何かして来実が「もう…」と言って呆れ笑いするいつもの流れを、僕らは微笑ましく眺めていた。

 懐かしい。


 でも、苦しい。


「おい――しろ!あぶな――――」


 ダメだ。

 もう無理だ。


「逃げろ!!!!」


 秀介が大声で叫ぶ。

 カネ太郎が、来実を庇う。


 それだけ覚えている。


 もう、やめにする。

 これ以上は、記憶が混濁していて思い出せない。

 否、思い出したくない。

 僕だって友達を失うのは辛いんだ。

 あの日のことは、そのストレスからか、碌に思い出せない。


 要するにあの日、僕らは仲間を、友達を一人失ったのだ。


 そしてそれから、来実は変わってしまった。

 自分が庇われた自責の念からか、或いは亡くしたことを受け入れられないからか、まるで自分がカネ太郎であるかのように振舞った。

 僕らにも、そんな設定を押し付けて来た。

 僕らも悲しくて混乱していて、どこかでそんな設定に甘えてしまった。

 カネ太郎がいるように錯覚できたから、少しだけ現実から目を背けられた。



 それが良くなかった。



 僕たちはきっと、彼女に背負わせすぎた。

 僕たちが彼女の設定に甘えて、それで少しずつ立ち直ってきた頃に、やっとその歪さに気が付いた。

 カネ太郎はもういないんだと。その現実に向き合わねばならないのだと。


 しかしその時には、来実は週に一度ほど、カネ太郎の真似をして夕日を追いかけては、その先でぐちゃぐちゃになって泣き喚き、苦しみに嘆くようになっていた。

 彼女はカネ太郎の死から立ち直るどころか、彼女は自分自身の在処を忘れてしまっていたのだ。

 他人の真似を四六時中続けることの負担は、計り知れない。


 見ていて痛々しかった。

 でも、安易にそれを止めることは出来なかった。

 それに甘えていたことへの後ろめたさもあるが、それよりも皆思っていたのだ。

 

 彼女が自身に掛けた変身の魔法を解こうとすれば、彼女もそのまま消えてしまわないかと。



 彼女は今も苦しんでいる。

 想い人の死と、自分の在り方に。


 それが、来実に起こった悲劇の顛末だった。











 焚火を囲む面々は、誰一人として笑えてなんていなかった。

 もう一人の幼馴染の死は、今も思い出そうとすると苦しくなる。

 そして、彼女に真実を突き付けることの辛さ。或いはその罪悪感を前にして、笑うことなんて出来る筈がなかった。


「来実」

「……違う」

「いいや、来実は来実だ」

「やめてよ!!」


 意を決したように秀介は呼びかける。

 それに対して来実は、頭を抱えるように両耳を塞いで蹲る。


 僕らは、僕らの行く末について話し合っていた。

 これはとても大事なことだ。

 人生に関わる、本当に大事なこと。


 だから、来実は自分の言葉で答えるべきなのだ。

 カネ太郎の言葉じゃなくて。

 彼女自身の意思で。


 だから、彼女が自分を取り戻すための賭けに出るべきタイミングは、ここ以外なかった。


「なあ来実ちゃん。俺も来実ちゃんに帰ってきて欲しいぜ」

「私も。また昔みたいに、オススメの本とか教えてよ」

「……うぅ」


 ゆーちゃんが語り掛けた。島野さんも来実の隣に寄り添って、背中を摩った。

 来実はあの日から、話題や言葉選びまでカネ太郎の真似をした。

 昔のことを懐かしむような話の中でも、来実自身の視点を避けて会話に混ざる。

 それほどまでに徹底していた。

 もはや、一つの人格として確立していた。


 かつては、奥ゆかしくて本を読むのが好きな女の子だった。

 それが今では、周りに悪戯を仕掛けたり一発ギャクを放ったりして、ムードメーカーを背負っている。

 そして明らかに、無理している。

 人の本質や性格は、変えようと思って変えられるものではない。

 彼女はずっと、サイズの合わない着ぐるみの中に押し込められているのだ。


 僕は、彼女のそれを無理に止めようとはしていなかった。

 むしろ、存分に続けさせるつもりだった。

 苦しいけど、でも彼女が選んだ彼女なりの、カネ太郎の死を乗り越える工夫なのだ。

 

 だから僕は、たぶん誰よりも彼女の設定に乗っかった。きっと、今の彼女と一番沢山話したのは僕だ。

 一方で、例えば秀介なんかは彼女の仮面を直視しなかった。彼が彼女を「クミ太郎」なんて呼んだことは一度も無くて、それとなく濁して呼んでいた。


 でも本音を言えば、誰も分からなかったのだ。

 どの状態が、最も彼女が楽なのか。

 偽る苦しみと、現実を見る苦しみ。

 その比較が、来実でない僕らにはできなかった。


 だけど、僕はたった今決めた。

 来実のことを考えるのをやめるのだ。

 思いやることをやめるのだ。


 自分は今を変えたい、自分は今のままがいい。

 そうやって僕らはエゴを押し付けている最中だ。


 大事なのは、相手を思うことじゃ無い。

 皆が自分勝手になることだ。


 僕は僕らの絆を信じている。

 だから、僕が思うがままを言って、来実が思うがままに振舞う。

 その両者が噛み合い得ると、心の底から確信した。


 今更になってから。


 僕は立ち上がる。

 そして、力強く実来へと歩む。


「来実、その猿芝居をやめよう」

「「「……!!!」」」


 来実だけじゃない。

 皆が僕を、ぎょっとした目で見た。


 僕の口から飛び出した、無遠慮な言葉に驚いたのだ。

 彼女がこれまで被ってきた仮面を、まるで馬鹿にしているかのような言い方だったから。


「何言ってるんだ瀬良!!」

「冷静じゃねえよ、お前!!」


 秀介とゆーちゃんが、僕と来実の間に入って止める。

 きっと、今の僕が何をしでかすのか想像し切れなかったのだろう。

 そして悲しいことに、僕の貧弱な体では彼らを無視して進み続けることは出来ず、あっさりと歩みを阻まれる。


 でも、口は止めない。


「この4年で、来実の大根役者ぶりは良く分かったよ」

「へ…?」

「きみがおふざけしても、僕はなーんにも面白くなかった」

「なにを…」

「きみにカネ太郎…末包林太郎の再現は出来ないよ」

「う…」


「彼は、死んだ。きみを庇って」


 瞬間、頬をぶん殴られる。

 背中が地面に叩きつけられる。

 顔を上げるとそこには、鬼の形相をしたゆーちゃんがいた。

 絆を大切にするゆーちゃんだ。それを壊しかねない僕を、力尽くで止めるつもりなんだ。

 有言実行である。


「瀬良!言葉を選べよ!」

「いやだ」

「は、はぁ!?どういうつもりなんだよ!傷を抉るような言い方してよお!?」

「そんなつもりはない。ただ僕は事実を言うんだ。優しい皆にはできない。来実の心を気にして、遠回りに言っちゃうでしょ?」

「…!」

「だから、代わりに僕がしたんだ」


 ゆーちゃんが皆を繋ぎ止めてくれるように。

 正直に全部言っちゃう役割は、僕がする。


 僕は立ち上がる。


「来実」

「…な、なに?」

「見てほしい」


 僕は、自分の心に嘘がつけない。

 だから、昔は生き辛かった。

 だって、社会のために自分の心を我慢することが苦しかったから。


 でも、そんな僕だからこそ。

 そんな僕を知っている彼女にこそ、全身を使って心を投げかける。


 僕がこれからすることは、僕の本意じゃない。

 それでもやる。

 自分の心に嘘を吐けない僕が、それでもやる。


 その意味は、きっと来実にも伝わる。


 二足のビーチサンダルを脱いで、両手に掴んで額に持ってくる。


 本当は、こんな場面でウケなんて狙っちゃだめなのに。



「仮面ライダー、参上!!」



 空気が凍った。

 極寒である。

 誰も笑ってないどころか、酷く困惑している。

 面白くないし、間も悪いし、タイミングも終わってる。

 けどこれでいい。


「ほら、面白くないでしょ?」

「瀬良さん…」


 来実が複雑な目で僕を見る。


「そんな目で見ないでよ。来実の方がいつも滑ってるよ」

「え…」

「でもカネ太郎は割とウケてた。あいつはいつも、笑わせることばっかり考えてたから、しょーもないことでも上手く笑わせるからね」


 サンダルを履き直す。


「僕らはカネ太郎にはなれない」

「………」

「そんなあいつが、きみを庇って死んだ。笑わせることよりも、来実のことの方が大事だったんだ」


 暫くの沈黙が、小さな世界を支配する。



「いつも笑ってくれる、来実のことが」



 カネ太郎は、誰よりも笑顔を大事にしていた。

 彼が、あの日からの僕らを見てどう思うだろう。

 きっと、「笑いが足りていない」と言うに違いない。

 彼は間違いなく、クミ太郎とかいう大根役者の仮初の苦笑いを、認めやしない。


 沈黙が、鼻を啜る音で途切れる。


「…そっか。うん」


 来実が顔を上げた。


「そう、だね。私は来実だったよ」

「うん」

「今の今まで忘れてた。ありがとう、皆。目を覚まさせてくれて」


 彼女の声は、弱弱しいがかつての来実と同じだった。

 僕らは、彼女の帰還を笑顔で歓迎した。


 ゆーちゃんに「殴って悪かったな」と言われて、彼が取っていたカサゴの唐揚げを差し出された。

 それに僕が「お腹一杯だから勘弁して」というと、そんな可笑しなやり取りに来実が笑って、それからは終始穏やかな空気が流れた。


 また、彼女が帰ってきた。

 僕らは、僕らに残されたわだかまりを一つ解消できたのだ。











 来実は、元の社会に戻りたいと言った。

 カネ太郎の死に誰よりも苦しんだ彼女は、ゾンビなんていない世界を恋しく思っていたようだ。

 これでいよいよ意見が二分されてしまったように思えたが、ゆーちゃんがある提案をしてその場は丸く収まった。


 今いるこの街の、手入れをしよう。


 ――人々を集めて文明の再興を図るにしても、その拠点が必要だ。これまでのように、フラフラと各地を移動しながらでは身体が休まらず、社会の再構築なんて大業なことはできない。人々の住む場所が必要だ。だからこの街を、文明復活の第一拠点にしよう。

 そんなことをゆーちゃんから力説されて、秀介と来実は渋々ながら一理あると思ったようだった。


 一方でゆーちゃんは、僕と島野さんにこうも言った。

 ――どれだけ住処が恵まれていても、5人ぽっきりなら文明ではないだろう。人を呼ばなきゃ文明にはならない。それまでの間は、二人にとってこれまでの生活と変わらない。だから二人も一緒にここにいられるだろう。

 その言葉に、僕と島野さんは曖昧に頷いた。


 要するに、僕らの今後はこうだ。

 秀介と来実はこの街の整備をし、かつての綺麗な姿に戻して、やがて人々を呼び込んで真の意味で街にする。

 僕と島野さんは今まで通り、その日の食料を集めて、あとはのんびり過ごす。

 ゆーちゃんはその両方をふらふら行き来する。

 そしてたまに、皆で集まって一日中遊ぶ。


 これが折衷案になった。

 結局のところ、街の整備がひと段落付くまでの先延ばしだ。

 人を探して呼び込む頃になれば、また僕らはぶつかり合うことになる。

 でも、誰もそれを指摘することは無かった。

 分裂の危機だったので、少なくとももう暫くは一緒にいられることに安心したのだ。

 と言っても、秀介は先を考えるのが好きだし来実は心配性なので、きっとその時が来たときにどうしようなんて思案しているのだろうけど。



 僕らは、これまでの僕らの最後として、夜が明けてから皆でビーチフラッグ大会を開催した。

 勝ち抜けでルールのもと、最下位を決めるまで繰り返す。


 結果、来実が敗者となった。

 罰ゲームの一発ギャクを皆の前で披露することになったが、やっぱり欠片も面白くなかった。

 それどころか、堂々としていた昨日までとは違って恥ずかしげに顔を赤くしていたので、むしろ微笑ましかった。

 これを以てして、「クミ太郎の追い出し会」兼「来実のお帰りなさい会」となった。











 海辺に作った、枯れ枝と蔦で作った十字架の前で目を閉じる。

 色々あって出来なかったが、やっと弔うことが出来た。


 僕らのもう一人の仲間。その墓だ。


 彼にも聞いてみたい。

 文明の再興を望むか、このままのんびり暮らすのか。

 きっと前者を選ぶだろう。彼は人が好きだったから。

 でももしかすると、後者を選ぶかもしれない。賑やかなら何でもいいみたいな適当さもあったから。


「さてと」


 僕は立ち上がる。


「キノコでも集めてきますか」



 伸びをしながら、ゆっくりと歩き出した。




ゾンビパニックものとして書き始めましたが、ゾンビが一度も出て来なかったのでジャンルを変えて投稿します。

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