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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある歩荷の体験談

 XXX年 XX月 XX日


 天候は晴れ。ほぼ無風。五合目までは車で移動し、登山口へ。

 本日は歩荷ではなく、高山植物の調査の為の入山の為、軽装。

 とはいえ、山小屋で一泊することになるので二十五キロほど。

 行動食、非常食、レインウエア、保温着、グローブ、タオル、ヘッドランプ、水筒、パッグカバー、地図、コンパス、救急用品、シェラフ、ツェルト、エマージェンシーシート、スマホを持った。


 天候は変わらず。六〇〇メートルほど登ったあたりでガスってきた。スマホを確認すると、電波が届かなくなっていた。

 時間は十時三十分を回ったばかり。これなら一度登山道を外れ調査し、また戻って山小屋を目指せば、日没までには山小屋へ辿り着けるだろう。ここで一本とる。


 八〇〇メートルほど登って、鎖場を行かずに右方の沢の岸壁の残置の梯子に足をかけた。

 この時、もう少し慎重な選択をしておくんだったと今になって後悔している。

 梯子の設置が甘かったのか、梯子が岸壁を離れ、こちら側に倒れてきて、そのまま十メートルほど下の沢に落下した。


 いつの間にか意識を失っていたらしい。寒くて目が覚めた。

 上半身が水の中に浸かっており、荷物まですっかりずぶ濡れになっていた。

 しかし背中から落下したため、背骨や腰は無事なようだ。

 立ち上がろうとすると、左足に激痛が走った。

 おかしいと思って左足を見ると、なんとつま先が背中側に向いていた。

 骨折は明白だった。

 以前先輩から聞いた話を思い出して、左足を掴んで正しい向きになるようにえいやと思いっきり捻った。

 すでに全身が痛かったから耐え切れるかと思ったが、この時の痛みは今まで以上だった。思わず絶叫をあげ、その後は大声をあげて泣いた。


 しばらくして落ち着いてからスマホで時間を確認しようとしたが、画面に大きな亀裂が入っていて、電源も付かなくなっていた。

 立ち上がろうとするが、足に体重をかけると左足に激痛が走る。

 沢から元いた場所まで戻るには、ザレ場を上がらなくてはならないようだ。


 助けが来るまでここでビバークするしかない。

 這うようにして荷物からツェルトを出し、転がったままそれを組み立てた。

 ツェルトを組み立て終えると、ずぶ濡れになった上の服を脱ぎ、レインウェアを着た。保温着とシェラフは濡れてダメになっていた。

 エマージェンシーシートを身体に巻き付け、ツェルトに潜り込む。

 バッグへ入れていたヘッドランプを付けようとしたが、水没して壊れていた。

 灯りの無い中一晩越さなくてはならないと思うと、かなり心細くなった。

 シェラフがずぶ濡れになってしまったのも痛かった。

 ゴツゴツした砂利の上で横になるのは、寝心地が悪かった。

 水筒の水と非常食を少しかじって、そのままツェルトの中で眠りについた。


 息苦しくて目が覚めた。月明りでほんのり明るいツェルトの中が、何故か歪んで見える。

 どうやら熱があるようだ。

(病院へ運ばれてから分かったことだが、この時骨折が原因で三十八から三十九度の熱を出していたようだ)


「……ラナ……シ……」


 動物の鳴き声のような音が、ツェルトのすぐ横でした。

 顔をあげ見回すと、いつの間にかツェルトの周囲を何かが動き回っているようだった。いや、動き回っているといより、這いずり回っていると言った方が正しいのかもしれない。 ぐちょぐちょという水音と、砂利の上をガサガサと動き回る音がした。

 最初はイノシシが嗅ぎ回っているのだろうと思ったが、歪む視界の中で観察するうちに、それが誤りであったことに気付いた。


 ツェルトを探るように時折触れるそれが、巨大な人の手であることに気付いたのだ。泥のような汚れがツェルトに付く。

 月明かりに透けて見えるその手は、俺の顔の二倍ほどの大きさだった。

 それが、よりツェルトに近づいて来たことで、気が付いた。

 ……その何かは、人の声のような言葉か単語を囁いている。


 その動き回る()()が、丁度月を背にした。

 月光により生み出されたその()()の影が、ツェルトにかかる。

 それは、全身に針のような尖った何かを身に纏っていた。

 その影から、人の腕のようなシルエットのうねうねと動く棒が六本か、七本か生えている。その腕のようなものは数カ所に関節があるのか、ツェルトに映る影が持つその腕は、途中途中、いくつかに折れ曲がっていた。


 ふと、その手のようなものが、ツェルトのチャックの入口に伸びた。チャックをなぞるように、上から下までを、なぞるように動く。ツェルト表面とその手のようなものが擦れて、ザリザリという不快な衣擦れの音が耳にこだまする。

 その腕のようなものは本数を増やし、ツェルトの出入り口に触れる腕の本数を増やしていく。

 思わず、音を立てないように後ずさり、荒くなりそうな呼吸を必死になって殺す。

 その間にも()()は、時折人の声のようにも聞えるうめき声をあげ、ツェルトの出入り口を四本の腕でさわさわと触っていた。


 不意に、その何かが呟く、その言葉が聞き取れた。


「シラナイ……シラナイ……シラナイ……シラナイ……シラナイ……シラナイ……シラナイ……シラナイ……シラナイ……」


 怖い。怖い。布一枚越しの向こうに、理解し難い存在がいることに、心が耐えられない。思わず、目をギュッと閉じて膝を抱える。

 早くこの時間が過ぎ去ってほしい。

 一刻も早く、どこかに消えてほしい。

 あの何かが、チャックの開け方を知ってしまったら、このツェルトに入ってきたら、一体どうなってしまうのか。

 怖い。怖い。

 どうか、気付かないでほしい。


 突然、ツェルトの入り口付近で動物の鳴き声がした。

 瞬時に、布一枚越しに存在していた何かが、電灯を突然に切ったかのようにフッと消えた。

 ほっとしたと同時に、この動物の鳴き声はなんだろうかと疑問が浮かぶ。

 しかし、ぼんやりする頭でそれ以上考えることが出来ず、そのままうつぶせに倒れるようにして寝てしまった。



 ◆



「おい! 大丈夫か!」


 声をかけられ、目をこすり顔を上げると、良く知った顔があった。

 山小屋の管理人さんだ。


「連絡がなかったからどうしたのかと思ったが……災難だったな。もう大丈夫だ」


 そう言われ、目頭が熱くなって、手の甲でゴシゴシと目を擦った。


「俺にも何があったのかよく分からんが……明け方、狐が俺の枕元にいたんだ。びっくりして起きると、その狐が『こちらへ』って言葉を言って、歩き出したんだ」

「き、狐が?」

「ああ。どうしてもその狐に着いていかなきゃいけないような気がして、とにかくここまで来てみたら……どっか怪我してんのか?」


 それから、管理人さんに左足に添え木をしてもらい、救助要請を出してもらった。

 その際、管理人さんがここまで案内したという狐を探してみたが、見つからなかったとのことだった。


 それからは、救助隊によって下山し、そのまま病院に搬送された。

 足の骨折、全身打撲、発熱、その他裂傷多数。


 一ヶ月は病院内で車椅子生活となってしまい、体が鈍るのが嫌でこっそり筋トレをしていたところ、看護師さんに見つかってしまい、さらに入院を延長させられてしまった。

 そんな感じで、なんだかんだで二ヶ月ほど入院することになった。


 そういうことがあり、一番の稼ぎ時に仕事が出来なかったのは懐が痛かったが、俺はその足を引き摺って就職活動を行った。

 もう、山には登らないと思う。


 俺が出会った異形の何かについては、結局何も分かっていない。

 山小屋の管理人さんが言っていた、俺を助けてくれたらしい喋る狐のことも、未だに情報がないままだ。



 ◆



 残置物による怪我に関する報告


 ××月××日、この日は途中から雨が降ってきました。

 下山も考えましたが、今から下山となると日没までに安全地帯まで戻れる確証がないため、このまま上昇し、山小屋まで避難することに決めました。

 この時、若干雨を被っており、体力を消耗し少し焦ってしまったのが良くなかったと思います。

 途中岩場への取り付きの際、残置物の梯子を用いました。錆ている様子もないし、揺らしてみてしっかりと岩場に固定されているのも確認したつもりでした。

 しかし、足をかけて登り始めて11歩か12歩目、ガクンと自分の身体が揺れて、そのまま背中側に向かって倒れてしまいました。

 背中から落ち、そのまま斜面を20mほど(後で痕跡を確認したところ、そのくらいは滑り落ちていたようです。体感ではもっと滑っていたように感じていました。)背中のリュックをソリがわりに滑り落ち、雪渓でなんとか止まることができました。

 リュックは破れ、荷物の大半が辺りに散らばっていました。行動食もこの時紛失しています。

 荷物はボロボロでしたが、後頭部付近にあったシェラフのおかげで大惨事を免れました。

 シェラフは擦り削れてほとんど布切れだけになっていました。

 これが私の頭だったとしたら、今頃はきっと棺桶で対面できる顔すら残っていない状態だったかもしれません。


 止まってから身体の異常に気がつきました。

 自分の左脚を見ると、付け根付近から不自然に背中側に捻れているではないか!

 しかも、視界に入れた途端、左足に激痛が。

 しかし、このままにしていたら骨が繋がらなくなるかもしれない。

 そう思って、付け根の少し下のあたりから、えいっと力を入れて足の捻れを直しました。

(ちなみに完全骨折でした。今は手術してボルトで繋いでいます。当時20歳だったので、リハビリも短期間で済みました。)

 かなり痛かったので捻って戻した時に後悔しましたが、結果的にはこれのおかげで術後の回復も良かったようです。

 救助が来るまで時間がかかったので、かなり乱暴だったけれど足の向きを直しておいて正解でした。

 そのあとは、なんとかツェルトを張って、ひたすら救助を待ちました。


 そのあと

【何回も書き直したらしい消しゴムの跡がある】

 ただひたすら朝まで待ちました。


 朝には救助が来たので、一時期はリハビリで大変でしたが、今は歩行にも問題ない状態になっています。


 残置物を使用する際は、きちんとした安全確認をしましょう。また、体力を消耗したと感じた場合は、その場でビバークした方が良いこともあるので、強行するようなことのないよう、注意しましょう。あと、登山計画書を忘れずに出しましょう。

 私はもう、登ることはないと思いますが。


 最後に、山小屋の管理人の××さん、××総合病院の皆様、早々に発見され病院で治療を受けられた幸運は皆様のおかげです。本当にありがとうございました。


 この報告書が山頂を目指す誰かの役に立つことを願って。かしこ。

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