1 2つの人生(3)
六月。冷たい雨が、私の気分を一気に暗くした。
そんな中、私は異世界で役に立ちそうだと思って『神話ノート』を作り始めていた。
『神話ノート』。神の能力や最期についてまとめたもので、技を発動させるときに確認できるようにしたもの。
今はこんなに地味な作業を進めているが、いつかは自分の命を救うほど大きな役に立つのだ!
そう考えると、今にもにやけが止まらない。
学校のチャイムが鳴ると、クラス会長が号令をした。
私は急いで神話ノートをしまい、授業に集中する。
過去には学級崩壊が起きていたけれど、今は怪我なく安全で、楽しい生活を送れている。
――――ただ、それは少しずつ崩れていくものだ。
神話ノートを作り始めて半月がたったときの休み時間。私は今日も神話ノートを作っていた。
(やっぱ神様多いな……)
ずっと書いているのに作業が全然終わらない……。
そう思いながらも、自分のためだと渋々書いていたときだ。クラスの男子に話しかけられたのは。
「お~い、何やってんの」
――小川連。
過去に問題行動を起こしていたグループの1人である彼は、私の作っている『神話ノート』に疑問を抱いていた。
「なにって。神話のキャラクターを調べてる」
「なんで?」
…………そこを聞くなよ。
そんなの、だれにも教えるつもりない。
そう簡単に「異世界に行ったときの自分の身を守るため」なんて言えるものか。
言ったらどうせ嘘だと言われるし、バカにされるのが目に見えている。
連は黙りこんでいる。……きっと、私の言葉を待っているのだろう。
簡単な言い訳を探しているうちに連の口が開いた。
「…………だったらやる意味なくね? それだとただの時間も無駄遣いじゃん。休み時間は友達と仲良くする時間。わかる? この感じ、趣味ではなさそーだし。やってて損しかないんじゃねぇの? あと、そこら辺の席使うから、早くどけ。おれらが遊べなくなる。そうしたらどうなるのか、わかってんのかなぁー?」
連は笑いながら言った。
(……あーあ)
去年も似たようなものを見た。それが今回、私に行っちゃっただけだ。
だからそこにはそんなに心の火はつかなかったけど、『やる意味がない』ということにはとてもいらだちを隠せなかった。
そうだ。私が今やってることは趣味ではない。けど、時間の無駄遣いでもない。これは、私が『生きるため』に自ら行ってることだ。……それを、だれにも邪魔されたくはない。
「おい。なんで怒ってんだよ」
「おれは何もしていない。勝手に怒んじゃねぇ。……もういい。別のところで話す」
たぶん、すっきりしたんだと思う。彼が別のところに行こうとした。
「ねぇ……」
海によって止められるまでは。
「なんだよ」
「あのさ。ぼくは美鈴が『生きるため』に調べてると思うんだよね」
「なんだよ中原。おまえは関係ねぇだろ」
「いや、関係あるから。それに、関係ないのはそっちの方でしょ」
「……はぁ?」
「…………生き物の数だけ、生き方がある。だから調べやすい『神話』を通して憧れを作ってもよくない? あと、あなたに反論される理由はないから。」
連は何か言いたげな様子だったが、彼は黙って静かに目を閉じ出した。
そして彼は目を開けると、じっと私の目を見つめていた。
目をそらすと、彼はそのまま別のところに行く。
(うわ……‼)
海が、連に勝った!
あの面倒でうるさい『あの』グループのメンバーにっ!!!
ついに勝てるということが証明されたよ!
「海、ありがとう!」
「美鈴、あのさ」
海は申し訳なさそうに私に聞いてくる。
申し訳なくないし、むしろありがたいのに。
ただし続きを促した結果、出てきた言葉には驚いた。
「さっきの話、うそ」
「え⁉」
「ぼくだったらこう考えるだけ」
私のために嘘の情報をすぐに考えて行動してくれてたんだ……。
ありがたいを超えて感謝感激でしかない。
「あとさ、このクラスの崩れる感じ、とても嫌な予感がするの……」
「うわ……」
「ここに居なくても十分注意してよね」
私は返事だけして、再びノートを書き始めた。
冷静に考えると、思ってしまう。
どうして海は、瞬時に考えた嘘で私の正解を突き付けられたのだろう? と。
授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。
私は次の教科を取り出して、そのまま授業を受けた。
七月。先日の雨が嘘かのような暑い日が続いています。
そのころ、私は夏休みに入ったので心機一転、異世界に行っていた。
最初に入ったあの日から神についてたくさん調べていたので、今日でこっちに来るのは2回目。
もちろん、今まで必死に用意してきた『神話ノート』は手元にある。
(今いるのは森林か……)
どうやらスタート地点は前回、現世に戻ったところと同じらしい。
――目標の町にはいったい、いつたどり着けるのだろう?
質問したいときはあちら、某ロボットをフル活用していきます。
「教師~?」
<教師ってだれのこと?>
「あんたに決まってるでしょ。まだ1人にも会ってないんだから…………」
『教師』とは、某ロボットの名前。ちなみに今さっきつけたものだ。
初めて会ったあのときに、何でも教えてくれる姿が教師に似ていたから、『教師』。
心の中でため息をついていると、脳内から教師の声が響いた。
(うわっ……!)
まだ2回目だし、突然、声を出されるとやっぱり驚いてしまう。
「空ってどう飛ぶのー?」
<『飛びたい』って思ってジャンプする。そしたら羽が生えて飛べるはずだよ!>
教師はなぜか自慢げだ。
顔が見えないあいつだけど、見えない中でもドヤついている光景が想像できてしまう。
「さすが」とか「頼もしい」とか言ってあしらっておくと、それに気づかない教師はかわいい部類の小さい子用の人形のように笑った気がした。
<そういえばだけど、別に口で話そうとしなくても大丈夫だよ? 頭の中で質問とかぼくに話そうとしたら届くからね>
(……え、本当ですか?)
<……うん>
――最悪だっ‼
私は人を見かけていないけど、もしだれかに見られていたら?
私はその人に変人判定をもらっているのでは⁉
そう考えるととても恥ずかしい。
けれど、もう過去の出来事なので次から気を付けよう、と思うことにした。
空を飛んで数十分と少し。
何個か村もあったけど通り過ぎて、今も空を飛んで大冒険中。
とりあえず人がいるところに行きたいのに着地しようか迷ってやめたのには2つの理由があった。
1つは、もっと大きな街があるかもしれないという欲。
もう1つは、自分が着いたあとにどうするか、未だに決められていないから。
奇跡を起こしたかのように――実際、奇跡を起こしたのだが、私には『命』という名の『人生』を2つ持っている。この世にいないんじゃないかと思えるぐらいのことを成し遂げたのだ。
小さいころも私は臆病で、だけどもう1人の私を作れるのなら、その私は普段なら絶対にやらないことをやりたいと、昔も最近も、強く思っていた。
でも、実際ずっと思っていたことが勇気を出すことで叶うとなると、やっぱり勇気が出ない。
長く得られることを重視して、安全なほうを選んでしまう。
そう思っていると、また1つ村を見つけた。
(……これはパスするか)
私はまだ飛び続けている。
しばらくたつと、石だけでできていると思われる、とても重圧感のある塔が見えてきた。
それは、コケなどの緑が石に張り付いていて、それが暗い雰囲気を漂わせている。
また行こうかどうか迷っていると、教師がいきなり脳内に声を響かせた。
<この世界では、何を目標にして生きたい?>
(目標……?)
<そう。目標がないとさ、なあなあになっちゃうでしょ? だからなあなあにしないために、目標を決めてそれに突き進むのがいいと思ったんだー!>
教師がまたドヤついているのが想像つく。
(そうだね……)
少し迷った。しかし、私は教師の意見に賛成することにした。だって今まさに、目的を決められずにずっと迷っていたのだから。
(教師は何がいいと思う?)
<そういうのは自分で決めるもんだよ。ぼくは母さんじゃない。母さんでもそうするべきじゃない>
教師はそう言うが、『目標』について言及したのがこのタイミングだ。
『普段ならしない行動を取ること』や、『迷ったら進む』ということしか考えられない。
目標が決まった。だから、私はその目標に従うことにした。
(じゃあ、あの廃墟に行ってみるけどいいよね?)
<あぁ、もちろん。いってらっしゃい>
教師は満面の笑みで言っているが、あのことに本人は気づいていない。
(……教師も一緒に行くんだよ?)
徐々に教師の顔が青ざめている気がする。
ただ、そんな理由で教師を置いていくのもまた違う。
私は教師を引き連れ、あの廃墟へと向かって空を飛んだ。