第97話 惨劇の開幕②
「……ん、ぅう?」
ヒロが目を開けると、そこは高校の教室だった。
沈みゆく太陽のみが照らす箱の中で、一人机に突っ伏していたようだ。
「俺、なんで……」
先ほどまでファンタジックな世界で、狼になった幼馴染と野を駆けていたはずだった。
しかし身体は重く、筋肉は殆ど無く。
良い思い出のない現実に戻っているかのようだった。
「違う、これは夢だ」
「そうだ」
スピーカーから忌々しい声が鳴り、反射的に尋はガタンと立ち上がった。
「しっかし、教室がまるで牢獄じゃねェか。オレが忘れるくらいのモブキャラだったってことだし、仕方ねェか」
「黙れ。いい加減、成仏しろよテメェは」
「間違ったこと言ってねェだろ。家庭や教室に居場所が無くて、頼れるのは幼馴染とその家族だけ」
「勝手に知ったような口をききやがって」
「まあオレも暇だったしな? テメェの深層を見てたんだよ、随分と転生してからよくやってんじゃねェか」
「黙れっつってんだろ!!」
前後の黒板にチョークで描かれたキョウヤの顔に向け、かき消すような勢いで怒鳴りつける。
「まあいい、いつか永遠に黙るのはテメェだ。テメェはオレに勝った、だから奪い尽くしてやる」
「ざけんな!! これ以上、なにを」
瞬きの間に黒板の顔が消え、何の脈絡もなく瞳の中にキョウヤの顔が入り込む。
「言ったろ。テメェの全てだよ」
瞬きの間に視界が切り替わり、教室全体が赤血球のように蠢いていた。
「っ、あ……ぅあっ」
そして纏っていた学生服は。
まるで血色の鱗を纏ったような鎧へと変化していた。
〜〜〜〜〜〜
「ぅああああああっ!?」
日のあまり当たらない中で目を覚まし、すぐさま辺りを見渡す。
そこはヒロが白猫の爪団で借りている部屋だった。
「はぁー、はぁっ、はぁ……!」
寝汗で濡れたベッドの感触と意識の混濁加減から、ここが現実だと察し、深呼吸をして動悸を鎮めようとする。
「あっ、ヒロ起きた!」
「クルト……俺は?」
「マオに運ばれて寝てたんだよ。んで、めちゃくちゃうなされてた」
同じくギルドの寮に住み込んでいるクルトが顔を出し、すかさず見舞いの薬草を部屋主の口に突っ込む。
「むぐぅ!?」
「マオに渡された薬草だから食えって! たぶん、また採りにいってると思うし!」
「ぷ、ふぐぉ!?」
青臭い草を噛み締め、仄かな甘みと強い苦味の混ざった汁を徐ろに飲み込んだ。
心配してくれたこともあってかある程度はマシになった身体をベッドから剥がし、プロキアで愛用していた白い服へと着替える。
「よ、よーし! 復活したぞー」
「ほんとに大丈夫かよ」
「大丈夫だって! 薬草食えば体力も回復するって言うしさ」
何かあったことを隠すかのように、ヒロは空元気を見せていた。
「ならさ、ならさ。ちょっと、相談があるんだ」
「ん、どしたの」
「その……ヒロにしか、相談できないことだからさ」
それを良しとしたクルトが、珍しく顔を赤らめながら呟く。
「……オレさ。レティシアさんの事を想うと、なんかドキドキバクバクするんだよ」
「それって」
「めっちゃ肌スベスベだし、綺麗だし、いい匂いするし……股間もムズムズすんだよ」
「やましいこと考えてない?」
「無ぇよ大丈夫だよ! でもさ……とにかく、なんか最近は直視できねーっていうか……これってさ」
「恋、であるな」
「どおぉう?! ウォルター様!?」
顔を寄せ合っていた二人の間に、恰幅の良い貴族が割り込んできた。
クルトが驚き飛び退いたため、ヒロはウォルターの持つ果物の入ったカゴに目線を移す。
「なに、健全なことだ。確かにジークに聞かれたら流布されるものな」
「兄ちゃん、そういうデリカシー無いですし……」
「むしろ、アレだけの女に囲まれて平然としていられるヒロやジークが異常なのだ」
「不服なんだけど」
「そうだぜ! 聞いたぞ、ヒノワだと男は裸はダメだけど女は良いって!」
「確かに海で素っ裸になってたなぁ」
「何なのだその反応は! 羨ま、いやけしからんであろう!!」
「いやだって、裸なら真央ので見慣れてるし……着替えも風呂も手伝っているせいで、ねぇ?」
日常生活が致命的な幼馴染を介護し続けていたせいか貞操観念がバグっている少年の発言受け、二人の表情は凍りつく。
そして阿吽の呼吸で男の敵に飛びかかり、身体をガシリとベッドに拘束した。
「よぉし、クルト腕押さえておけ。男の風上にもおけぬ此奴を去勢するぞ」
「チ○コバイバイですね、任せてくださいよ!」
「離せ! 流石に理不尽だろ!」
「何やってんのさ、全く」
そんな馬鹿三人を部屋に入った途端に見せられた勇者ジークが、やれやれといった様子で頭を抱える。
「ジーク助けて! コイツら止めてくれ!!」
「兄ちゃん、オレらを助けてくれよ!」
「男の正義に伴い、この女の敵を討伐するのだ。貴様も手伝え!」
「過労って聞いて見舞いに来たらこれだよ、全く。元気そうでなにより」
「これから元気じゃ無くなりそうなんだけど!?」
ヒロの泣きそうな声に背を向けるようにして、ジークは何食わぬ顔で部屋を後にしようとする。
「また遠征なのかよ?」
「……」
だが、そんな兄の背を心配するように、クルトが純粋な声を投げる。
「……まあね、バサナ方面でモンスターが出たらしくて。シンヴァ、サラと共に遠征しなきゃだね」
「休まないとダメだろ! 働きすぎだって」
「いや、行かなきゃ。僕は」
「それ以上口を開くな」
ジークの声の震えを、ウォルターは見逃さなかった。
ヒロの脚から手を離し、立ち上がる。
「ヴォルフガング家の名において、勇者ジークに任を与える」
すぐさま勇者の両肩を掴み身体の向きを部屋へと向け直し、告げた。
「今すぐ、休暇を取れ」
「っ、どうして!」
「こうでもせねば休まぬであろう、貴様は。プロキアの平和より自分の平和を守れ」
「本当に、そうだよ」
拘束の解けたヒロも、身体を起こして同調する。
「ジークは今までずっと、ずっとプロキアを守ってくれた。俺たちが居ない間も、平和を守り抜いてくれた」
ウォルターもクルトも、ヒロの言葉に真っ直ぐ頷いていた。
「ジークは俺たちの永遠の憧れなんだ」
「……ッ」
「だからこそ、身体を大切にしてほしい」
純粋な想いだった。
心から憧れている仲間が無理をしている姿を見たくなかった。
だからこそ、これからはプロキアの勇者を支えたい、その一心だった。
「よし、なら夜はジークの好きなもの作るよ! 何がいい?」
「オレ、チーズピザがいい!」
「クルトのではないであろう、このアホ」
三人が勇者の話題を中心に、ワイワイと騒ぎ始める。
「……」
そんな純粋な者たちを、ジークは直視できなかった。




