第87話 侍の宿願②
宿で仲間と夕食をとった後、ヒロは風呂から上がり寝巻きへと着替え、微かな月明かりのみを頼りに廊下を歩いていた。
ヒノワ皇国の風呂やトイレは、男性は全て密閉された個室となっている。
公衆浴場もあるが全て女性専用で、男は完全な裸を見られてはいけないという奇妙な倫理を肌で痛感させられていた。
「クルトやウォルター、ジーク達と入っていた頃が懐かしいよな、本当……」
ずっとギルドが運営している大浴場で身体を洗っていたヒロは、少しばかり肌寂しさを感じていた。
しかし同時に、この日は安心感も覚えていた。
「……レティシア達には、ああ言ったけど。本当の課題は、シノハラの幻聴が聞こえることだしなぁ」
部屋に戻り行燈をつけ、胡座をかいて眼を閉じ、息を大きく吐く。
かつて、バサナ共和国を支配してヒロと死闘を繰り広げた転生者、キョウヤ・シノハラ。
真央に言い寄り前世で尋と別れかける原因を作ったのも彼であり、その幻聴は如何な音よりも耳障りなものだった。
「……そして、アイツの命令が効いてしまった」
過去にも、衝動的に敵を殺そうとしたことはあった。
そして、幻聴とはいえキョウヤの能力が作用したかのように、命令通りに身体が動いてしまった。
「……アイツが生きてるのか?」
(よォ)
「――ッ!!」
ゆらりと揺らめく行燈の影が、宿敵のシルエットを形づくる。
捕食者の気配を感じたヒロは、飛び起き、影の方を向き臨戦態勢をとった。
(おいおい、そんな身構えんなよ。修行で疲れてんだろ?)
「黙れ! この亡霊が!!」
(酷ェな、まだ死んでねェだろ。こうして化けて出れるしなァ)
影が壁を沿って障子に移る。
規則正しく張り詰められた和紙の一枚一枚に、キョウヤの影が映り込んでいる。
(それに、ようやく強者の心になりかけてきたようだしな。いい心がけだぜ)
「なに言って……」
(お前、どれだけの弱者の命を奪った?)
「ッ……」
バサナの獣人たち。
プロキアに湧き出たモンスター。
そして、シンエイ藩の肥えた大名。
他にも覚えられないほどを殺していた。自ら引いたはずの命の線引きが緩まっている、そう実感させられ、息が詰まる。
(まあ何度だって出てきてやる。オレがテメェを超えるまでな)
「うるさい! さっさと成仏しろ!!」
(だから死んでねェっての。それと)
締め切ったはずの部屋から、耳にかけて生温かい風が吹いた。
(テメェ、いつまで他人の人生歩むつもりだ?)
「なに、言って――」
頭蓋にまで響くノイズを振り払うように、ヒロは背後を振り向いた。
だがそこには茶色の壁しかなく、悪魔は姿を眩ましていた。
「……どうかしちゃったのかな、俺」
スズムシに似た虫の鳴き声が、夜の静寂を誤魔化していた。
〜〜〜〜〜〜
「むぅぅ〜〜」
一方、ヒロの部屋ではなく女子部屋にぶち込まれたマオは、すっかりヘソを曲げてしまっていた。
特に身の危険がないため決闘までは能力を解除していたが、学校型モンスターによる難民が恐怖するから、という理由でミライの部屋に閉じ込められていた。
さらに最愛の尋に会えないストレスもあってか、何も事情を知らない人が見れば「喰われる」と思いかねないほどに表情を強張らせていたのだ。
「ヒノワのルールで、男性部屋には入れないからね」
「なら尋くんがこっち来ればいいじゃああん!」
「それも駄目らしい。男は一人でなければ」
「まあそうだけどさぁ! レティシアって女!」
マオが立ち上がり、前足をベシベシと畳に叩きつけながら続ける。
「前世のお兄ちゃんに似ている〜、とか! そんなクソみたいな理由で、わたしの本物の幼馴染を取ろうとしないで欲しいんだけどなぁ!?」
「いま貴方、ヒロに『真央はシノハラに寝取られかけてる、もしくは過去形』って思われてるけど」
「そんな事実ないからセーフでーす!」
「殺そうとしている時点でアウトな気がする」
「あー言えば、こー言うよね!?」
マオが目を三角に吊り上げ、夜分にも関わらず吠えに吠えた。
そこにドタドタドタと、何かが廊下を駆け抜けていく足音が加わってゆく。
「うっさい! 勉強の邪魔!」
「ごめんエリーゼ。すぐ、このやべー奴を黙らせるから」
「どーも、やべー奴ですよーだ」
バン、と扉を開けたエリーゼが怒鳴り込んだためか、マオは拗ねて顔をそっぽに向けてしまう。
「まあいいわ、ミライに教えてほしいことがあるの」
「珍しい。サリエラは?」
「めちゃくちゃ過ぎることだから、興奮してそれどころじゃなくなる気がして」
「なるほど」
ミライの頭には、身を乗り出し目を輝かせながら質問責めをするサリエラの顔が浮かんでいた。
「それで……これなんだけど」
「どれどれ……ん、医学書?」
「そうなのよ。これ、身体を切って中身を出したり縫ったり……なんて書いてあるのよ、しかも図式付きで!!」
エリーゼが顔を青くしながら、持っていた本を広げてみせた。
どうやら、これはモリモリに借りたヒノワ古来の医学書らしい。
曰く、回復魔術が確立される前の、いまは廃れた治療方法のようだった。
「あ〜、こりゃ手術のこと書かれてるね。しかも現代の学会にも通ずるレベルの代物だよ」
「そうなの?」
「うん、ミライちゃん。こりゃ医学に精通した転生者が書き残したものじゃないかな、すっごい貴重なものだよ!」
「……マオ、アタシに何を言おうとしてるのよ」
「魔術を使わずに悪いところを治す方法、だって」
「嘘ぉ、極力専門用語は控えたんだけど!?」
「いや。恐らくマオの言葉は、私にしか聞こえてない」
「うえぇっ!?」
すっかり皆に聞こえるものだと思っていたマオは、驚き、後ろにピョイと飛び退いた。
「なら安心じゃない。翻訳指輪をアップデートすれば」
「やめた方がいい。他のモンスターの声がノイズみたいに脳を揺らすから、それだけでも使い辛くなっちゃう」
「確かに、そっかぁ」
良いアイデアだったのにと言いたげに目を閉じ倒れかけるも、すぐにエリーゼは体勢を戻し、本を広げてミライに見せつけた。
「じゃあさ、じゃあさ! アタシはもっと勉強して、ヒロ達をサポートする!」
「また尋くんか〜。モテモテなのはいいけど、今も昔もわたしのだからね〜」
「それで、人間に戻ったマオとも話してみたい!」
「ぅえっ?」
拍子抜けだった。
モンスターであるマオに向けて、無邪気にこのようなことを言うとは思いもしなかったのだ。
「え、どうして」
ミライが目を細めて問うと、エリーゼは笑顔で返す。
「だって、ヒロの大切な人だもの。絶対、良い人に決まってる!」
それまで楽しみだなーと小躍りしながら、エリーゼは勉強のための個室へと戻っていった。
そんな無垢な姿を見届けた、心の汚れた一人と一匹はというと。
「……良い人、だってさ」
「ごめんね……思っているほど良い人じゃないんだよね……」
「人間に戻るまでに、一緒に性格、直そ?」
「……はい」
耳の垂れた狼を慰めるように、ミライは手を頭に置き、優しくさすっていた。




