第111話 悪夢の世界を①
少女の意識が戻ると、そこはアパートの一室だった。
昼下がりの日光が電気のついていない部屋を明らかにしている。
「おはよう、未来」
「……?」
ソファから身体を起こして目を擦る。
いつも仕事ばかりしている父が家にいることに驚き、思わずどうしてと問う。
「今日は休みだからね。せっかくだし、イタリア語でも教えようかなって」
「また転勤?」
「ああ……まあ、うん」
男は申し訳なさそうに俯き、頬を人差し指で掻いている。
「現地のイタリア料理や素材を仕入れるため、現地チームに加わってほしいって言われてさ」
「……」
「ごめんな、タイに慣れてきた頃だったのに」
慣れてなんてない。友達なんていないもの。
未来は、そんな本心を殺すことしかできない。
「……買い物行ってくる」
結局、逃げるようにして家を出ることしかできなかった。
「……」
そのまま市場の雑踏に溶け込み、孤独をじっくりと噛み締める。
「お目覚めデスね」
「誰」
突如話しかけてきた女は、人の波の中でハイライトが掛かったように浮いていた。
髪は栗色のボブ、肌は褐色気味。彫りの深い吊り目の美人といった様子だ。
当然、未来にタイや中東系の知人は居ないため、刺々しいオーラを放ち威圧する。
「おぉ怖。報告通りデスねぇ」
「要件は早く」
「ミーはパディス帝国第六軍隊長ヘルナンデス・ヴァル・ザハンと申すデス。端的に言っちゃうと、アナタの敵デスねぇ」
「そんな国は無い。それに私には敵も味方も居ないもの」
「うーん、思春期拗らせてるデスね」
「どうでもいい。貴方を知らないし、話の無駄」
「コミュニケイトが成立しないデスねえ」
「私には必要ないもの」
眉一つ動かさずに答える少女に、やれやれといった様子で首を振る。
これ以上の話は意味がない。
そう判断したヘルナンデスが懐に手を入れ、ガスバーナーのようなものを取り出して敵へと向けた。
「だからこそ今のうちに倒すデスよ。転生者が力を使えないうちに」
「コイツ、頭やって」
軍隊長がスイッチを入れた瞬間、火球がバーナー口から飛び出した。
未来は反射的にかわし、街の人々に気配を溶け込ませてその場を逃げ去る。
「チッ、逃げ足の速いことデス」
悪態をつきながらヘルナンデスも後を追う。
友達が居らず鍛えられた逃げ足で未来はアパートへ逃げ込む。
そして咄嗟に部屋の鍵をかけ、扉を背にして肩で呼吸をする。
「どうした、未来。買い物に」
「やめた、気分じゃない。それより籠城させて」
「それはできないな」
「なに言って」
心配して寄ってきたと思っていた父親の姿が黒く染まってゆく。
「お前の居場所は、地獄にしかないからだよ」
「っ」
そのまま目と口に闇を宿した長細い異形へと変形し、棘のような腕を娘へ飛ばした。
殺意に満ちた化け物に恐怖し、避けた途端に壊れたドアから外へと転がり、巣窟から脱出する。
「どうなってるの、これ……!」
思えばそうだ。市場の人々も、火球が飛来したのに何事もなかったかのように過ごしていた。
全てがおかしい。そう思いながらも、無我夢中で手足を動かす。
「ほらほらぁ! はやく逃げないと死んじゃうデスよぉ!」
「うるさいハエめ」
路地裏へと逃げ込んだ標的を発見したヘルナンデスが、上空から狙い撃つようにして火球を飛ばす。
解決策もないまま逃げ続ける。異形の腕を避け、火の弾丸をかわし続けた。
「夢なら覚めてよ……!」
思わず未来が漏らした弱音が、逃げ込んだ廃工場に木霊していた。
「そこに誰かいるの!?」
「しまっ」
また敵が来る。
そう身構えたが、姿を現したのは金髪を三つ編みにした純朴そうな少女だった。
彼女は未来を見た瞬間、何かを思い出したかのように目を見開き、駆け寄る。
「えっ、ミライ!? 髪黒いけど!」
「誰?」
未来のことを知っているようだったが、そのような知り合いなど居るはずもない。
しかし金髪の少女は構いもせずに詰め寄る。
「アタシよ、エリーゼよ! アンタの友達の!」
「私には友達なんて居ない。ヨーロッパで出来たことなかったし」
「昔に戻ってんじゃないわよ! サリエラに、ウォルターに、クルトにマオにレティシア、他にも居るでしょ!」
「……あっ!」
瞬間。ミライの脳内に、アルテンシアで過ごした日々が溢れ出した。
刺々しいオーラは柔らかくなり、エリーゼの手を握りしめて温もりを感じ取る。
「そうだった。私は転生したはず」
「やっと思い出してくれた! 目覚めたら知らない国に居るし襲われるしで、頼れるのがミライとレティシアくらいしか」
「待って。ヒロは?」
「え?」
ミライは違和感を感じていた。
エリーゼはヒロに好意を抱いている、にも関わらず名前を口にしないことに。
「誰よ。それ」
「はっ?」
だが彼女は、そうキョトンとした様子で答えた。
嘘を言っているようには見えず、ミライは冷や汗を垂らして周囲を見渡す。
「忘れてるわけないでしょ。どういうこと」
「いやアンタこそ何言ってるのよ。転生者の知り合いなんて、アンタとレティシア、それにヒムラくらいよ」
「……いったん状況整理しよう」
アゴに手を当て、脳内に図式を展開する。
この世界はアルテンシアともジアースとも異なり、人々は一部を除いて敵対的な異形である。
現在の敵は、パディス軍のヘルナンデス。コイツを倒せば脱出できるだろう。
また、エリーゼはヒロを忘れている。仲間を目にするまでは、頼れる人すらも忘れているようだった。
ミライも忘れ人が居ないか脳内を探ってみると。
「ウォルター、って名前に全く覚えがない……」
「そんなわけないでしょ。何度も助け合ってたじゃないの」
「本当に無いんだって。つまり」
不自然に穴の空いた記憶と照らし合わせ、改めて廃工場を見渡した。
「この世界は、大切な人を忘れるよう出来ている……?」
悪夢は、まだ始まったばかりだ。




