第三話 クラスメイト
それは数分の間だったろうが、とても長い時間に感じた。
里奈は俺の方へ体を向けると、ニヤけた顔を必死に抑えようとしながら、足取り早く俺の前を通り過ぎる。
俺はそれに触れることなく、里奈の横に並んだ。
「神渚くん、やっぱかっこいいな」
呟くようにそう言うと里奈は「うん」と頷くだけだった。
※
次の日の朝。教室に入ると、神渚くんが里奈に話しかけてる姿を見つけた。
里奈はぎこちない笑顔を見せながらも楽しそうに、神渚くんの話に相槌を打っていた。
良かったじゃないか。
俺はそんな様子をチラッと見ながら自席を目指す。すると、唯一の友達である鳴神颯斗が俺の肩を叩いた。
「よ!」
「おはよう」
「なんだ眠いのか?」
「いや、しっかり八時間寝たよ」
俺が無表情で言うもんだから無愛想だと思われたのだろう。申し訳ないと思いながら話題を変えようと口を開くと、鳴神は吹き出すように笑った。
「やっぱ瀧川面白いわ」
「そう?」
「うん。なんか返しがズレてるっていうかさ。てか、昨日のゆいねこの生配信見た?」
「うん、見た見た」
ゆいねことは動画配信サービスのフューチューブで動画投稿や生配信を行なっている人だ。
世間で言う地雷系のメイクなのだが、コアなオタク話をだらだらしながらゲーム配信をしている。俺と鳴神は、ゆいねこの話題をきっかけに仲良くなれたといっても過言ではない。
「ゆいねこ可愛いよなぁ。好きな漫画とかアニメもメチャ分かってるし、ゲーム上手いし。理想だわ。付き合いてー」
「はは……。そうだね」
確かに可愛いし漫画やアニメの話ができたら楽しいかもしれない。だけど、あれだけチヤホヤされてる子だ。なんとなくだけど、価値観は絶望的に違うだろうな。
と冷静になってしまった俺は、ふと里奈の方へ視線を移した。
既に里奈と神渚くんは別の人と話していた。神渚くんは男友達も多いし、里奈も自身の友達を無視してまで神渚くんと会話できないだろうし。
朝の数分間か。どうなんだろう。短いのかな。それとも長いのか。
分からないけど、友達と話す里奈の顔はどこか嬉しそうというか、いつもとは違う笑顔を見せていた。
※
放課後。俺は環境委員会の活動のために駐輪場横の花壇に来ていた。右手にじょうろを持ちながら、無心で花に水をあげていく。すると。
「お、遅れました! ごめんなさい!」
顔を向けると、同じクラスの結根飛鳥さんが申し訳なさそうな顔をしながら駆け寄って来た。
目にかかるほど長い前髪から覗く目は、どこか小動物のように怯えている。
「大丈夫。結根さん先生に捕まってたし、ゆっくり来ても良かったのに」
「ご、ごめんなさい。でも、のんびりしてたら瀧川くんが全部やっちゃいそうだし……」
「はは、さすがに全部は無理かな」
思わず笑みをこぼす。ふと結根さんの顔を見ると彼女は口角を上げていた。
「どうした?」
「ううん。何となく瀧川くんって怖いのかなって思ってたから笑うの意外で」
「あぁ……。ごめん」
自分でも愛想がないのは分かっている。それ故、誤解を生んでしまっている。
何とか直さないとなとは思っているけど、中々変わることができずにいる。
視線を結根さんに向けると、彼女は不思議そうな表情を浮かべていた。
「いや、何でもない。作業を進めよう」
そう言って俺は水やりを再開する。その言葉に結根さんは、特に言葉を返すことなく竹箒で辺りの掃除を始めた。
サッサっと竹箒がコンクリートに擦れる音が響く。いつも通り、少しだけ気まずい時間が流れていく。
あと少し、あと少しで水やりが終わる。そんなことを考えていた時だった。
後方から何かが倒れる音がした。乾いた竹の音だった。嫌な予感を覚えながら振り返ると、結根さんが膝をついてへたり込んでいた。
「ゆ、結根さん?!」
俺は急いで駆け寄り、声をかける。
何が起こったのかは分からないが、良くない状況ということは分かる。
「ご、ごめんなさい。ちょっと貧血かも。よくなるの……」
話すのも辛そうだ。あまりに急なことに動揺してしまう。とりあえず保健室に行くのが正解なのだろうか。分からない。
だけど、結根さんは歩ける状態でもないだろうし。それでも何とかしないと……。
結根さん、ごめん!
俺は『無心、無心』と自分に言い聞かせ、結根さんを背中に担ぐ。そして、保健室まで彼女を運んだ。
保健室に着くと、先生が後は対応すると言ってくれた。俺は結根さんの鞄を取りに行って先生に渡し、委員会活動の続きをした。
その日の夜は心配だった。目の前で人が倒れるところを初めて見たのだ。
俺が落ち込んでどうするんだ。そう言い聞かせる。気分転換に一言日記SNS、ツリッターでゆいねこのつぶやきをチェックしてみた。
しかし、今日の朝のつぶやきを最後に更新がなかった。
「はぁ……」
思わずため息をついてしまう。きっと前兆とかもあったはずだ。もう少しコミュニケーションを取りながら委員会活動していれば気付けたのだろうか。
そんな罪悪感のような感情を抱きながら、俺は眠りについた。
※
翌朝、教室に着くなり、俺は結根さんの姿を探した。
彼女は友達と楽しそうに会話をしていた。
良かった。元気な姿を確認できた俺は安堵の笑みを浮かべていた。すると、ふとこちらを向いた結根さんと目が合った。
目が合った気まずさを誤魔化すように俺は軽く手を挙げる。すると結根さんは俺の前まで駆け寄ってきた。
「瀧川くん、おはよ」
「うん。おはよう」
挨拶を返すと結根さんはお腹の前で指を絡ませて、少しだけ俯いた。
「昨日は……ありがと。あと、ごめんね。迷惑かけちゃって」
「あ、いや……迷惑だなんてことないよ。それより良かった。その……無事? でさ」
言葉の選び方が若干違うような気がして苦笑いをする。そんな俺を見て結根さんはクスクスとおかしそうに笑った。
「それじゃあ、また委員会で」
結根さんはそう言って小さく手を振ると友達の元へ戻っていく。
本当に良かった。そんなことを考えていると入れ替わるように鳴神が俺の横に並んだ。
「よ!」
「おはよう」
「何話してたん?」
「え? あぁ、昨日の委員会のことだよ」
わざわざ貧血で倒れたことを言うことはない。上手く誤魔化せている気はしないが、鳴神は「へえ」と言ってそれ以上詮索はしてこなかった。