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第十四話 球技大会の練習②

 自分の気持ちに気づいてからは、俺は上の空だった。サッカーの練習にも、身が入ってなかったと思う。


 里奈と並んで歩く帰り道、俺は里奈の顔を見ることができなかった。というより、今までそんなに見ていたっけと、過去の自分がどうしていたかも分からなくなっていた。



 家に着いても、考えることは里奈のことばかり。ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、ふとした時に考えてしまう。その度に、胸の底に鉛が乗っかったような気持ちになっていた。


「はあ……」


 自分の部屋で椅子に座りながら、俺は何度もため息を吐いていた。


 一度走り出した気持ちは、どんどん加速していくばかりで、止まることを知らない。


 小学生の頃は、毎日のように遊んでいたっけ。でも中学に上がる前くらいからは、段々と遊ぶ友達や場所が違ってきて……。


 ふと思い出したように、本棚の一番下にしまってあるアルバムを取り出した。里奈と一緒に映ってる昔の写真を、一枚一枚眺めていく。


 いつから好きだったのだろうか。


 写真に映る場所や俺と里奈の表情を見ながら、俺は当時のことを思い出したりしていた。


「葵ー! 里奈ちゃん来てるよー!」


 部屋の外から母さんの声が聞こえた。俺はアルバムを机の上に置いて、玄関まで向かう。


 扉を開けると、里奈が後ろで手を組んで俺を待っていた。


「どうした?」


「はい! これ上げる!」


 そう言って里奈はラッピングされたクッキーをくれた。可愛いリボンが施されたものだ。


「ありがと。また急だね」


「うん、気分が乗ったから! ……ていうのは嘘。昨日のお礼じゃないけどさ。本当は学校で渡そうかなって思ってたけど、家に置いてきちゃって」


 そう言って里奈は、照れ臭そうに笑った。


 視線をクッキーに向ける。


 俺は緩みそうな口元を必死で抑えていた。さっきまで感じていたモヤモヤは、いったいどこへ行ってしまったのか分からない。


「うん、後で食べる。さっきさ、久しぶりに昔の写真見てた」


「えー、私も見たい!」


「部屋、来る?」


「うん!」



 部屋に入ると、里奈はすぐに俺の机の上にあるアルバムに気付いた。


 ベッドの上に座り、アルバムのページをゆっくりと捲る里奈は、どこかに思いを馳せていそうな、柔らかい表情をしていた。


「懐かしいね。私ね、結構昔を思い出す時があってね」


 里奈はそう言うと顔を上げた。


「アオ、昔から私のことずっと気にかけてくれてたよね。一緒に遊ぶことが少なくなってからもずっと。だからかな? 高校も一緒のとこ行けるって分かった時、凄く安心したよ」


 恥ずかしそうに里奈は笑った。目と目が合うだけで胸が高鳴る。


「まあ、里奈は落ち着きないから、心配で仕方がないよ」


 俺は誤魔化すように茶化した。すると里奈は、口を尖らせ膨れっ面を見せる。でもすぐに、声を出して笑いだした。


「昔は私の方がお姉ちゃんって感じだったのにねー。今じゃすっかり背も高くなっちゃって」


 里奈は立ち上がると、俺の右腕を掴む。そして俺の掌と里奈の掌を重ねた。


「ほら! 手も大きいね!」


 手が触れると同時に、鼓動の音が全身に響き渡っていくような気がした。何か喋らないと、この音が里奈に聞こえてしまうんじゃないかと、俺は必死に言葉を探していた。


 俺の目を捉える時、少しだけ顔を上に向けたり、自分より手が大きいことを面白がったり……。


 あぁ、里奈は女の子なんだ。と当たり前のことを再認識した。


 俺は何を思ったのか、里奈の手を、指を絡ませるようにそっと握った。


「え」


「あっ……ごめん」


 我に返った俺は、咄嗟に手を離す。


「う、ううん!」


 里奈は一瞬驚いたような表情をすると、ぎこちない笑みを浮かべる。


 鼓動の音が爆発しそうなほどになっている。


 俺は何をやっているんだ。もう訳がわからなくなり、今は取り敢えず里奈を帰さなくてはと心が慌てふためいていた。


「続きはまた今度見よ」


「そうだね……! それじゃ、また明日」


 里奈はバツの悪そうな顔を浮かべる。きっと俺も同じような顔をしているのだろう。里奈は手を小さく振ると、そそくさと部屋を出ていった。



 翌日、俺は昨日の自分の行動があまりにも勝手だったなと後悔していた。きっと里奈も困惑しているのだろう。そのせいか、今日はあまり会話がなかった気がするし、目も合うことがなかった。


 隣の席なのに、見えない壁があったような気がした。



「今日もさ、練習やろうって言われたんだけど、瀧川も来る? てか来てくれ」


 放課後、鳴神は泣きつくように俺の肩を掴んだ。


「うん、行く」


「助かるわー。神渚たちさー良い奴なんだけど、俺浮いてる気しかしないからさ」


「そんなことないよ」


 とフォローを入れるが、鳴神は「いや絶対浮いてる」と頑なになっていた。


 そんな会話をしている途中、ふと後ろから視線を感じた俺は振り返る。すると、結根さんと目が合った。


 このまま何事もなかったかのように目を逸らすのはどうかと思い、俺は結根さんにも声をかけることにした。


「結衣さんもサッカーの練習しない?」


「え! 練習?!」


「うん、昨日からやっててさ」


 そう言うと結根さんは下を向いて、黙ってしまった。


 横の鳴神は、目を細めて腕を組んでいる。


「私……運動神経酷いよ……?」


 恐る恐ると言った具合で結根さんは視線を上げた。すると、鳴神が。


「別に無理に誘ってないよ」


 その言い方は少しばかり冷たい気がした。


「鳴神、ちょっとそれは――」


「う、ううん! いいの! 大丈夫……。それじゃあ、私帰るね」


 そう言って結根さんは立ち上がると、駆け足で教室を出ていってしまった。


「鳴神、なんか当たり強くないか?」


「別に。行きたくなさそうにしてたし」


 鳴神はそう言って俺から目を逸らした。俺が軽い気持ちで誘っちゃったばかりに。


 そんな罪悪感に駆られ、俺は席から立ち上がる。


「ごめん、ちょっと行ってくる」


 そう言って俺は、結根さんの後を追いかけることにした。中々結根さんの姿が見えない。思ったより走るの早いのかなと思っていると、昇降口前で追いつくことができた。


「結根さん!」


「あ、瀧川くん」


「さっきはごめん」


「え! ううん、いいの。その……練習頑張ってね!」


 結根さんは、そう言って笑顔を浮かべた。でもその奥には何か違う感情がある気がして、俺は気がかりだった。


「……俺も帰ろうかな」


「え?」


 俺の言葉が意外だったのだろうか、結根さんは目を丸くして固まる。


「いや、何となく今日は気分じゃなくて」


 俺は誤魔化すように苦笑いを浮かべた。実際、今日は行きたくないなと思っていた。


 里奈とは少し気まずい感じになっているし、どうすればいつもみたいな感じに戻せるか分からなかったから。


「そっか。あっ! 私のせいじゃなくて?」


 結根さんは申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「あ、うん。結根さんは何も悪くないよ。俺もそんなに運動神経良いわけじゃないし、みんな上手いから、居た堪れないというかさ」


 俺は自重的に笑う。すると、結根さんは優しい笑みを浮かべた。


「そうなんだ」


「うん」


 ここで会話は途切れ、沈黙が流れた。若干の気まずさと、このまま結根さんをここにとどまらせるのも申し訳ないという気持ちが出てくる。


「じゃあ、俺教室に戻るね」


 そう言って結根さんに背を向けようとした時だった。


 シャツの裾部分が何かに引っ張られる。


 振り返ると、結根さんが俺の裾を摘んでいた。


 その顔はどこか緊張しているみたいだった。視線は下を向いていて、唇は真っ直ぐに結ばれていた。

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