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第十一話 距離感

 高校生になって初の中間テストが終わり、五月も終わりを迎えようとしていた。


 週に一度のロングホームルームの時間が始まると、担任の先生が席替えをしようと言った。数日前からクラスの大勢が席替えを望んでいたので、先生もこの時間に席替えをしようと思ったのだろう。


 予め用意されたくじを、最前列の人から順番に引いていく。そして全員が引き終わると、先生が黒板に座席表を書いた。くじに書いてある番号と黒板の座席表の数字を照らし合わせ、新しい席に移動する。


 俺の新しい席は、廊下側の後ろから二番目だった。さて、前後ろ左隣は誰が来るのだろうと思っていると。


「お! アオの隣だー」


 そう言って里奈が隣に机を置いた。


「おう」


 嬉しかったが、驚きの方が強く、素っ気ない返しをしてしまう。


「教科書忘れてもすぐ見してもらえるねー」


 なんてことを言いながら里奈は、イタズラな笑みを浮かべていた。思わず俺も笑みをこぼす。


「アオの隣って小学五年? あれ? 六年の時以来?」


「六年だよ」


 忘れもしない。あの時は、里奈といつでも話せるし、帰りもすぐ誘えると思って嬉しくなったのだ。


「あー、そうだった気がする。あ! 結根さん、よろしく!」


 そう言って里奈は自分の後ろの席になった結根さんに、手をヒラヒラと振った。


「う、うん! よろしく……! お願いします」


 最後の方は小さな声でそう言った結根さんは、やや俯きながら、前髪を何度も摘むようにして弄っていた。


 全員の座席移動が完了すると、沢渡さんと霧島さんが里奈の元へやってきた。


「もー最悪。一番前なんだけど」


 沢渡さんは口を尖らせながら不服そうに腕を組んでいた。そんな様子を見ていたら、沢渡さんと目が合ってしまった。


「あ、そうだ! 瀧川さー、お昼ってここで食べる?」


「いや、鳴神のところに行くと思う」


「おっけー。じゃあ昼は瀧川の席使わせてもらうわ。乃絵はどこ座る?」


 と、沢渡さんが霧島さんに顔を向けると、結根さんが恐る恐るといった具合で会話に入っていった。


「あ、あの……! 私の席どうぞ。私もお昼は移動するので」


「ありがと〜結根ちゃん」


 霧島さんはそう言うと、結根さんの手を両手で包み込むように握った。距離感の詰め方が恐ろしい。


 里奈と仲良くなる時もこんな感じっだったのかなーと、俺はその様子をぼんやりと眺めていた。



 放課後になり委員会活動が始まった。俺と結根さんの活動場所は前回から変わり、学校周りの美化活動となっていた。


 ゴミバサミとゴミ袋を持って学校周りを歩いていく。


「結根さん、テストどうだった?」


 黙々と作業をするのもどうかと思い、俺は結根さんに話しかけた。無難な話題で申し訳ない。


「えっと……あまり……」


「そっか」


 深追いはしたらまずいなと俺はここで会話を終わらせる。次は何を話そうと考えていると、結根さんの方から話を振ってくれた。


「瀧川くんと浅倉さん……仲良いよね」


「あー、うん。小学校から学校同じで家も近いからさ。腐れ縁ってやつだよ」


「そうなんだ」


 あっさりとした返事だった。不思議に思った俺は、手を止めと結根さんの方へ体を向ける。彼女は、俺に背を向けたままゴミを拾っていた。


 それからはお互い無言だった。話題が浮かばなかったというのもあるけど、なぜか話しかけづらさを感じていた。


 作業も後半分。学校周りを半周した時だった。


「きゃっ!」


 悲鳴が聞こえた。何事かと思い振り返ると、結根さんが頭を押さえてしゃがみ込んでいた。


「ど、どうしたの?」


「む、虫が……」


「虫?」


 そう聞くと結根さんはコクコクと何度も頷く。よく見ると肩に蛾のような虫が付いていた。俺はそっと手で払って追い払う。


「追い払ったよ」


 膝に手をつきながら、俺はできる限り優しく伝える。すると結根さんは、涙を浮かべた目で俺の目を捉えた。


「あ、ありがと」


「うん。結根さん、こっちの方やりなよ。俺がそっちやるから」


 と、結根さんと俺の場所を変える。俺は街路樹側へ、結根さんは学校の柵側へと移動した。街路樹側はまた虫が出ると思ったからだ。


 それからはまた、会話らしい会話はなかった。



 美化活動が終わり、花壇近くの用具入れに道具を片付けた俺は、帰り支度を始める。すると、鞄を背負った結根さんが目の前にやってきた。


 そわそわと落ち着かない様子で、腰の前で自分の指を握ったり離したりをしている。顔は下を向いていたが、目線だけは俺を捉えている。


 何か言いたそうな雰囲気を感じるのだが、唇は真っ直ぐに結ばれている。


「どうしたの?」


 空気に耐えられず俺から聞いてしまった。すると、結根さんは前髪を弄りだす。


「えっと……いや……何でもない!」


 何か言いたいことがありそうな雰囲気だったが、俺の気のせいだったようだ。


「そっか。じゃあ帰ろうか」


 そう言って歩き出すと結根さんは横に並んだ。また無言の状態が始まったが、花壇前で結根さんが口を開く。


「座席、近くになったね」


 結根さんは前を向きながら呟くように言った。


「うん」


「あの……休憩時間とかも話せたらなって……」


「そうだね。俺もそれはちょっと思ってた」


 そう言うと、結根さんはこちらを向いて微笑んだ。不意に目が合ったものだから俺は照れてしまい、前を見る。


 また無言で歩いていく。そして駐輪場の角を曲がった時だった。前方から聞きなれた声が聞こえてきた。目を向けると、里奈の後ろ姿が見えた。隣には沢渡さんと霧島さん、そして神渚くんと周防くんと、もう一人男子がいた。恐らく別のクラスの人だ。


「こいつさ、歌上手いんだわ」


「いや、変にハードル上げんなよ」


「楽しみだねー」


「リッキーでいいんだよね?」


 そんな会話をしていた。リッキーとはカラオケ店の名前だ。つまり、彼らはこれからカラオケに行くのだろう。


 楽しそうだな。


 神渚くんたちとの会話に、里奈も緊張した様子で混ざっていた。その横顔は今まで見たことのない、俺の知らない顔だった。


 良かったね。そんな言葉が、心に浮かんだ。里奈が嬉しそうにしているたげで俺も嬉しかった。だけどその傍らで、漠然とした言葉に表せない気持ちが湧いてきた。


 虚しさ? 寂しさ? 違うような。今すぐ胸の奥にある何かを掴んで、握りしめたくなるような感じだった。


「瀧川くん?」


「ん? あー、ごめん」


 どうやら足を止めていたらしい。俺は作り笑いを一つし、再び歩き出す。だけど、歩くペースはさっきより遅くしていた。このままだと里奈たちに追いついてしまいそうだから。


 正門のところで里奈たちが曲がり、姿が見えなくなる。俺はまた足を止めた。まだ帰りたくない。なぜかそんなことを思ってしまった。


「ごめん、教室にノート置いてきちゃってたの思い出した。先に帰ってて」


 申し訳ないと苦笑いを浮かべそう言うと、結根さんは「うん、また明日」と言って手を小さく振った。


 嘘をついた。じわじわと湧いてくる罪悪感にため息が出てしまう。


 用もない校内を歩いていく。ただ歩くのも落ち着かないので、俺は教室を目指した。


 教室には誰もいなかった。閉め忘れられた窓からは、少しだけ肌寒い風が流れ込んでくる。俺は揺れるカーテンから差し込む夕日の光をしばらくの間、何も考えずに見ていた。

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