カプ・ティワのピラミデ
例えばピラミデの上層に、ネーマル圏の生き残りが立てこもっているのではないか。
シャルの戦士達は、その生き残りを皆殺しにするため、これほどの数が集まってあるのではないか。
その時、ピラミデの中腹に居たあるシャルの戦士が、突然、力を失ってバランスを崩し、急勾配のピラミデの傾斜を転がり落ちていった。
しかも、落ちながら身体が消失していく。
燃えているわけでもなければ、ばらばらになっていくのでもない。文字通り、肉体が消えていくのだ。
あれは、何だ?
しばし観察していると、さらに2人目、3人目と、ピラミデを登ろうとしたシャルの戦士は同じような最期を遂げていく。
どうやらピラミデの中腹に、白い霧で出来た壁のようなものがあり、そこに触れると、消えながら死んでいく……らしい。
つまり、あれか。
あれがネーマルの『法術』か……。
クルセウスはその気付きに、茫然とする。
アト・アムン圏が継承する神の業、すなわち『法術』は、『空間』に関する物だ。クルセウスはそれを『空間を操作する法術』と理解している。だからこそ、クルセウスが貸与された『アーテル・クラン』は、『空間跳躍』を行使できる、と。
その意味でのネーマル圏の神の業、『法術』は、『無』だと聞いている。
正直なところ、それがどういうものなのか、クルセウスには理解できていない。『空間』と同じように、『無を操作する法術』として理解しようにも、無は無である故に、操作出来るものも存在しないことになるからだ。操作できると言うことは、それが存在しているからこそできるものなのだから。
ゆえに、クルセウスにとって、ネーマルの『法術』は謎だった。
しかし、今、視界の中で起こっていることが、それだとしたら。
ネーマルの『法術』は『存在を無に帰す』ものと理解できる。
そう理解したクルセウスは、額に汗が滲むのを感じた。その汗は暑いから出たものではない。
あの場所でネーマルの『法術』が使われ、ピラミデの上に登ることを拒んでいるのならば、つまりピラミデの上にはネーマル圏の人間がたてこもっていることになる。
クルセウスの任務はまさにネーマル圏の人間に会うこと。そして、その王に拝謁することにある。
だからクルセウスはあのピラミデを登らなければならない。
しかし、そこには無の法術が待ち構えている。敵と味方を判別してくれるような法術なら有難いところだが、そんなに都合が良いはずは無く、ましてクルセウスは、ネーマル圏の人間達にとっては未確認の存在であって味方ではない。
例えば、ピラミデの下部に集まっているシャルの戦士達を一掃したとすれば、それはネーマル圏の人間に対し、信用として作用するかもしれない。そのための力はある。この大陸に来て別れた主人の守護の任に就いた際に与えられた『マニエ級アーテル』を使えば、おそらく造作もない。
だがそれをすれば、シャルを確実に敵に回すことになる。クルセウス個人が敵対するだけならまだ良い。
しかし、クルセウスは貴人の守護者の任を持つ。つまり、事態がこじれれば、圏同士の戦いの火種を作ることになりかねない。
これはクルセウスを躊躇させるには十分な推測だった。
しかし、任務の完遂のためにはピラミデを登らなければならないことも、また事実。
そして、それを包囲するシャルの戦士達は、いつ撤退するとも知れない。それとも、夜になれば引き上げるだろうか?
そんなことを考え、クルセウスは周囲が暗くなるまで待ってみることにした。しかし、シャルの戦士達は、ピラミデを包囲したまま火を熾し、煮炊きを始めてしまった。この分だと、夜もこのまま留まり、包囲を解くつもりはないだろう。
(これでは埒があかないな。やるしかない、か……)
幸い、シャルの戦士達は食事のため、ピラミデの中腹に居た者も降りて来ており、まとまっている。
生者より死者の数が圧倒的なこの街では、シャルの戦士達が熾した炎以外に明かりになるものはない。であるならば、たとえ生き残りが出たとしても、クルセウスの顔をはっきりと見ることは出来ないだろう。
クルセウスは覚悟を決めることにした。
潜んでいた建物から外に出て、腰に下げた二振りの剣の内、右の柄を握る。これはクルセウスが守護職に就くに当たって与えられた『マニエ級アーテル』ーー剣名を《ディアライス》という。その権能は『空間切断』であり、保持者が認識した場所の空間を、一時的に切り裂くとされているアーテル。空間自体を斬るので、その空間上に存在する物体の硬さなどは一切関係がない。
「悪く思うな」
クルセウスは口の中でそう呟くと、手にしたアーテルを右から左へ、一文字に薙いだ。




