『王都へ』
【前回のあらすじ】
キツネ族が多く住むフォークス村の中の役所に着く主人公。自身が記憶喪失である事を訴えるが、最後まで信じてもらえなかった。落胆する彼女に対し、ワラテツは『ティル』という名を与える。その後ティルはフォークス村で数か月の時を過ごすが、ある日イタチ族のナラばあちゃんに記憶喪失である事を見透かされるのであった……。
「こんなもんかな」
畑を見渡す。雑草という雑草はむしりとった。
茶色い、栄養がいっぱいありそうな土が全て太陽の光に照らされる。
私は四つん這いのような状態から二足歩行に戻る。
前足を見ると、緑の汁や土がついている。
「ほっほっほ。ありがとうなぁ、ティルちゃん」
「手を洗いたいのですがー」
軒下で座るナラばあちゃんの方へ声を出す。
「ほら」
ナラばあちゃんは濡れたタオルを掲げている。
トコトコ歩き、また軒下に座る。
「さて、話の続きをするとしようかの」
そう言って、ナラばあちゃんが手を拭く私に話しかけて来た。
「さっき外が怖くないとはいったじゃろ? ああいうのもちゃんと理由があるんじゃ。まあ少しばばぁの昔話を聞いてくれ」
そう言って私の隣に座るナラばあちゃん。
私は改まって座り直した。
一体どんな話をするのだろうとドキドキしながら。
「私は若い頃、しかも子供の時、家出したんじゃ。
まぁ、親が厳しすぎて頭にきたんじゃ。もう二度と戻らないつもりで飛び出したんじゃぞ。
勿論、私も子供だったから、歩いて歩いて、迷子になって、お腹が空き過ぎて倒れてしまった。
もうダメだと思っていた時、
私はあるヒトに拾われ、食べもんにも寝る場所にもありつける事ができた。
まぁ代わりに働いたりはしたんじゃがの」
「へぇ…」
私は相槌を打ちながら話を真剣に聞く。
「ここから南に行くと、『王都』という大きな街があるんじゃ」
「おう、と?」
「私が家出して行き着いた先がそこなんじゃ。で…」
そう言った後、ナラばあちゃんは一息ついて遠くを見つめた後、また私の顔を見てこう言った。
「お前さん、そこに行ってはどうかの?」
「え………ええ!?」
「記憶喪失のお前さんのためにザックリ言うと、多種多様な種族が交わっているとてもとても大きな街じゃ。
実はそれほどここから遠くもない。
少なくとも、住民以外誰も行き来しないここよりはいいじゃろ。きっと手がかりが見つかるじゃろうて」
「急な話ですけど…………」
私は新しく入った情報に頭の中を乱されていた。
だがその片隅で確かに新しい進展に対する嬉しさを感じていた。
「……確かにそうですね。王都ですか…」
「お前さんは記憶喪失で、身寄りがないような者だ。
だから、お前さんはワラテツのような、誰かに助けてもらいながら生きるしかない。
少なくとも記憶を取り戻すまでは、じゃ。分かるか?」
ナラばあちゃんは真剣な顔をしてこう言った。
その目は、まるで昔の自分を心配していると言わんばかりの、優しさと厳しさが混じった色をしていた。
誰か、に頼らなくてはいけない。
情けないし、申し訳ない。
けれど、それはしょうがない事だ。
だが、だからこそ、私は躊躇してはいけない。
そうして、進んで、絶対手がかりをつかもう。
ヒトの流れの速い王都という渦に飛び込んで行こう。
どんなに急でも、体を揉みくちゃにされても、無理矢理にでも渡り歩いて行こう。
自分から、進んでいかないと、ダメなんだ。
私は今の自分にできる精一杯の覚悟をした後、こう言った。
「お願いします。王都への行き方を詳しく私に教えてください」
「…お芋はたくさん入れておこう。ナラばあちゃんの話を信じれば、これぐらいあれば足りるよね…。
それまでに着けるといいけれど」
ブツブツ呟きながら、
私は二、三日前にワラテツさんから貰った、近所のじじばばの頂き物を運ぶ為の茶色い袋に、食料を数個入れていた。
しかし、その時の私は、威勢のいい声でワラテツさんに言うと言ったにも関わらず、
未だにワラテツさんに何も言えずにいたのだ。
そのくせに、準備だけは始めていた。
勿論、ワラテツさんの姿を見るたび、話をしようと思うのだが、どうしても勇気がなく、ズルズルと時間を無駄にしてしまった。
悪い癖だから治すべきだなと、自分ながらそう思った
「ティル~? ご飯じゃぞ~」
ワラテツさんが隣の部屋で夜ご飯の準備を終わらせたようだ。
私を探す足音が近づいてくる。
「はーい!」
私はとっさに返事をして、部屋の端に袋を無造作に置いた。
(あぁ、もう! 私ったらいつまでうじうじしているんだろう)
今言おう。今言わなくては。
芋の入った袋に、ほのかにかかる夕焼けの色を見ながら、そう決意し立ち上がって隣の部屋に行った。
「お、王都??」
料理の入った皿を運ぶ手が止まっているワラテツさん。
その顔は、驚きと困惑の感情が見て伺える。
私は背筋を伸ばして真面目な顔でワラテツさんを見る。
「そんな、急じゃの?」
コトコトと机の上に皿を置く音が、いつもより大きく聞こえる気がした。
私は少し緊張しているようだった。
そうしてワラテツさんが、よっこいしょっと座ってテーブル越しに座ったのを見て、私は自分の意思を表し始めた。
「私、自分から、記憶を、家族を探しに行きたいんです。
この村の暮らしはとても幸せでした。
皆さん私にとても優しかった。勿論ワラテツさんも」
「なんじゃ、ワシはてっきりこの村が嫌になったのかと……」
「そうです。
でも、だからこそ出たいんです!
このままだと私はどんどん、この村を、フォークス村を、離れたくなくなってしまうんです」
「………なるほどなぁ」
そう言った後、ワラテツさんは腕を組んで、う~んう~んと唸って考え込んだ。
しばらくふたりの間に流れる沈黙。
目閉じて考えるワラテツさんの顔を、私はご飯から出る湯気越しに見つめていた。
そうしてほんの少し時間が経った後、ワラテツさんは口を開いた。
「お前さんの言いたい事はよく分かった」
「………」
「ワシも、一緒に王都に行ってやろう」
「えっ!? ワラテツさん、も?」
「ああ。
確かに、この数ヶ月お前さんが記憶を思い出す素振りを見せるのを、ワシも見たこと無かったの。
だから記憶を自分から探すというのも十分うなずける。
王都にはワシも行った事があるし、そもそもひとりで行かせるには危険じゃろう。
……それにしても、どこからそんな王都なんて話を聞いたんじゃ?」
そう言われて、私はナラばあちゃんの事を話すと、ワラテツさんは大きな声で笑い出した。
「はっはっは! ナラばあの仕業か! あいつにはいつも世話になってばかりじゃのう」
笑うワラテツさんを見て、私も同じように微笑んでしまう。
「ここまできたら、ワシもとことん付き合ってやるか」
話がひと段落つくと、私とワラテツさんは自然とご飯を食べ始めたのだった。
そうして、口に野菜や芋を頬張りながら
いつ行くのかについて話しあった。
王都に行くのは、2週間後になった。
「何故、2週間後?」
私は助けてもらう立場であるにも関わらず、今すぐではないことに焦りというか、少しの困惑を感じていた。
本当は今すぐにでも飛び出したいのに。
「それは……な、ティルよ」
色々畑の事を終わらせてからだ、とワラテツさんは言った。
私はそれを聞いて、とうとう行ける事にドキドキして、
早く2週間後にならないかと、ご飯を食べながら思うのだった。
「はぁ~お腹いっぱい」
ポンポンお腹を叩きながらベッドの上に座る私であった。
ごろ~んと寝転がると自然と窓から入る月の光が気になる。
「綺麗だな、月」
その月を見ていると、記憶を失ってワラテツさんに拾われたばかりのあの夜を思い出した。
不安で不安で寝付けなかった夜に、あの月が私を見守っているような気がして、不思議と安心した気分になった事を思い出す。
「……………」
その月は相変わらず美しく、私はついうっとりと眺めていた。
ようやく前進した事も加わり、奇妙な多幸感に包まれながら、私は目を閉じていた。
「……?」
ふと、何か外で音がするのに気がついた。
どうやらワラテツさんが家の外で何かしているようだ。
そういえば家の近くに倉庫があったなぁ、何か運んでいるのだろうか、
畑関連のものだろうか、と、目を瞑りながら私は考えていた。
「…よいっしょっと、いたたたぁ……」
トントンと背中を叩くような音とともに聞こえてくるワラテツさんの声が聞こえて来た。
「はぁ……ちょっと前までちいっとも痛く無かったのになぁ…
せめて王都に行くぐらいは我慢せぇと……」
私は、その後のズルズルと何か重いものを引きずる音が、遠くに行って聞こえなくなるまでの間、
目を開いて天井を見つめていた。
私は、立っていた。
いつからかも分からず、どうして立っているのかも分からず、
私は、真っ白い空間に、
ひとりポツンと、立っていた。
「…………ここは……?」
虚ろな目で、周りを見渡す。
辺りには私以外生き物もおらず、
地平線も水平線も見えず、
どこまでも白色だけが続いているだけだった。
白い空に白い床。ただでさえ地面と空中の境を見分けるのが大変なのに。
時折どこからか流れてくる、霧のようなものに視界を遮られる。
目の前に埋め尽くされる白、白、白。
そうなったらもはや何も見ることはできない。
そんな不思議な空間に、
私はひとりポツンと立っていた。
「……ああ、これは」
なんとなく、今自分は夢を見ているのだ、と思った。
こんなおかしな空間があるわけがない、いや、あってはいけない、
そう思ったからだ。
『 思い出して 』
ふいに、声が聞こえた。
どこからともなく、誰か周りにいるわけがないのに、
その声は、初めから終わりまで不気味な程鮮明に聞こえた。
まるで、頭の中に直接響いたかのように。
『 思い出して 』
また、声が聞こえた。
グワングワンとやまびこのように反響するその声は、
子供とも大人とも分からず、男か女かといえば、女だろうというくらいの声だった。
酷く落ち着いていて、まるで生きておらず、幽霊が語りかけているようだ。
だが、私はその声をどこかで聞いたことがあると感じていた。
「誰なの?」
私は真っ白い空間に向かって、どこにいるか分からない彼女に話しかけた。
辺りを見回しても、やはり何もいない。
すぐ近くにいるようにも、果てしなく遠くにいるようにも感じる。
『 おねがい……私を
…………私を、思い出して 』
彼女の声が急に、生き物らしくなった。
さっきまでの機械的に繰り返すのとは違い、自然に話すように。
そうして伝わってくる
深い深い闇のような、暗い感情。
私に助けを訴えかけるかのように。
苦しみを伝えるように。
どうして彼女はそんな感情を私に対し持っているのであろうか。
思い出して、とはどういう事なのだろうか。
私がそう考えた初めたかと思うと、次の瞬間。
目の前に『彼女』が現れた。
彼女の見た目は、生き物とは呼びがたいほどの異様な姿をしていた。
薄らとかかるモヤ越しでも分かる、
信じられない程の、全身の真っ黒さ。
自然界ではありえないほど記号的な丸顔に、細長く伸びる手足。
顔には、白い2つの楕円形が、これが目だとも言わんばかりにあるだけで、
他には口も鼻もない。
最低限の要素しか詰め込まれていない見た目だった。
正直怖い。
だが私は必死に彼女に語りかける。
少しでも情報を掴むために。
思い出して、の意味を知るために。
「あなたは誰なの?」
「何が目的なの?」
「私、あなたの事を知っているの!?」
だが彼女はこう言うだけだった。
『 思い出して… 』
まるでそれしか、言う事が出来なくなったように、
また彼女は機械的に返す。
そしてその声が繰り返される度、私の中の謎はどんどん深まっていく。
「! 待って!」
ふいに、彼女のまっくろい体がどんどん薄くなっていった
何故か周りのモヤが強くなっていったからだ。
足される周りの白に染められ、彼女の黒がどんどん消えていった。
「お願い行かないで!
私、あなたの正体を、知りたいのに!」
だが私の叫び声も虚しく、
彼女の姿は白いモヤのカーテンの向こう側に行き
どんどん見えなくなってしまった。
「………はっ」
私は目が覚めた。
もう何度見たか分からない、木目の天井。
窓の外から差し込む月の光は眩しく、まるで昼のように明るかった。
『 思い出して 』
あの声が、未だ耳の奥に残っていた。
無機質で、それでいて深い闇を感じる、あの声を。
そして頭の中でその声を反芻するたびに、何か心の奥がザワつく。
夢に出てきた、あの『黒い女性』は一体何者なのだろうか。
真っ黒い体に、真っ黒い顔、白い2つの、目と思われる点。
その姿は、未だまぶたの裏にはっきりと刻まれていた。
少なくとも、普通の生き物には見えない。
というか、あれこそがまさしく化け物だと思う。
私が記憶を多く失っている事をまるで象徴するかのようで、
彼女の見た目からは何の情報を掴めない。
あれはおそらく、私の脳内で勝手につけられた姿だと思う、そう考えるのが自然だ。
そして何より一番気になるのは、『思い出して』という言葉。
思い出して、という事はつまり、
私は彼女の事を知っていた、という事だ。
わざわざ脳内で作ってまで、あんな姿の彼女に、喋らせた言葉。
記憶を失う前に、私はあの『黒い女性』に何かとんでもない事をしてしまったのだろうか?
私は無意識に、『彼女』に何かしらの後ろめたさを感じていて、それが夢に出てきたのだろうか?
「わからない、何もかも………」
だが、彼女は、ようやく見つけた、唯一の『手がかり』だ。
この夢は、彼女は、必ず私が記憶を取り戻す手がかりになるはずだ。
気分が落ち着かないので上半身を起こし、外を見ていると、
ワラテツさんの畑が見える。
野菜の葉っぱが数ヶ月前と比べてすっかり大きくなった。
窓の反対側を見ると、ワラテツさんがスウスウと寝息をたてて、
床で寝ている。
結局最初の日からずっとベッドに寝かせてくれたワラテツさん。
最初あった時は本当におじいちゃんかと思うほど若々しく元気に見えたが、やはり体の節々が痛むようで、しばしば腰を叩いている様子を思い出した。
ワラテツさんは一緒に着いて行ってくれると言ってくれたが、
やはり、これ以上迷惑をかけたくない、と純粋にそう思った。
「………………決めた」
気がつくと私はあの芋の入った袋を片手に持ち、家を飛び出していた。
あの『黒い女性』が夢に出てきた事時、
形容しがたい心のザワつきを感じていた。
何かを思い出しそうな、全てを取り戻すような、そんな不思議な『予感』
心にかけられた土が、ブルブルと小刻みに震えていた。
まるで、一気に物事が動きそうな予感がした。
だから、私は無意識にその流れに身を任せて行動していたのだ。
明るい月の光のおかげで、夜の村の道は怖くは無かった。
トテトテと土の道を歩く音が聞こえる程、暗闇は静かだった。
遠くの林から虫の声がほんのり風に乗って届いてくる。
坂を下る途中、お世話になったヒトの家がちらほら見えた。
あのナラばあちゃんの家を遠目から見かけた。窓にはまだ灯りがついていた。
そうして道を進み、いつの日か訪れた村の中心の、大通りに来た。
その真ん中に、ズドンと構える木製の役所は、
私がこの村を出る様を静かに静かに見守っていた。
役所とは反対側を行くと、だんだん道が細く、作りが荒くなってきた。
周りも木が増えてきて、
村から離れていくのを実感する。
いよいよ周りに一軒の家もなくなった。
周りはもはや木以外見えず、月がなければ真っ暗だっただろう。
そのまま歩いていくと前方に小さい川が見えてきた。村と外を区切っているようだった。
簡素な石造りの小さな橋があった。
大きく跨いだら一度も足に触れる必要がないほどの小さなその橋を越えると、
私は本当にこの村を去る実感が湧いてきた。
「…………………」
急に私は怖くなり、橋の上で立ち止まってしまった。
前を見ると、先がよく見えない木々の通り道。
後ろを振り向けば、ほのかに明かりがともって美しく感じる村の景色。
たった数ヶ月の間だったが、その景色を見ると、懐かしい気持ちになった。
次に来るのはいつであろう、遠い遠い先かもしれない。
私は肩にかけた袋の紐をぎゅうっと握り締める。
「……ワラテツさんに、ちゃんとお礼を言えば、よかった……」
何でもいいから形としてでもお礼を残すべきだった、と今更ながら思う。
だがここで戻ってしまったら、今この決意が揺らぐ気がする。
勢いで来た今でさえ、恐怖があるのだから。
「………行こう」
私はワラテツさんに、この村のヒト達に向け、
フォークス村に頭を下げた後、振り返り王都への道を辿り始めた。
「フォークス村の皆さん、そしてワラテツさん、
本当に、本当にありがとうございました」
評価、感想などは作者のモチベーションに繋がりますので是非お願いいたします!