『フォークス村の変わり者』
【前回までのあらすじ】
薄暗い森の中で目を覚ました主人公。その後、今までの記憶が全く無く、自身が記憶喪失である事に気が付き発狂する。彼女はその後タヌキのワラテツに助けられる。彼の助言に従い、主人公はフォークス村にある役所に行くことにするのだった……。
「ここがフォークス村の中心の大通りじゃ。そして、あそこに見えるのが、役所じゃ」
私は、ご飯を食べた後ワラテツさんに、すぐに役所に行かせて欲しいと図々しくも頼んだ。
そうしてワラテツさんの家から徒歩で数十分歩くと、ヒトがいっぱいいて、何やら突き当たりに木製の大きな建物が見える大通りについた。
歩く途中に見た建物より一際大きくしっかりしているので、遠目から見ても、なんとなくあれが役所だろうとすぐ分かった。
それにしても、ワラテツさんの家の近くでは誰とも出会わなかったのに、ここら辺にはちらほらヒトの姿があるのだ。
やはり村の中心なんだなぁと思う。
彼らはワラテツさんや私と同じように、けむくじゃらだった。
それに、何となく私と姿が似ているヒトが多いがする。
それを歩く途中で尋ねると、ワラテツさん曰く、この村はキツネ族の割合が高いんだと言う。
キツネ族…恐らくではあるが、私の種族。
ワラテツさんと私の顔、体を比べると、
『族の違い』とはこういう事なんだろう、となんとなく思った。
キツネ族が多いという事は、それだけで謎の安心感が湧いて来た。
きっと私もこの村の住民に違いない、という。
やがて木製の建物に着いた。
茶色い木の両扉を開くと、キィ〜と音が鳴った。
中にはちっぽけな受付に、キツネ族っぽいおじさんが座っていた。
受付の奥には机がたくさんあり、その近くで忙しそうにヒトが働いている。
受付の反対側には、待つための長い椅子があるが、そこに座る利用者は誰もいない。
これなら時間がかかっても大丈夫だなと思った。
「記憶がない? 名前も思い出せない? そんな話今まで聞いたことないなぁ…」
目を丸くしながら、受付のおじさんは呟く。
その顔はワラテツさんとは違った形で老けていて、真面目さや性格の硬さが伝わってくる。
私とワラテツさんは受付の椅子に座って、受付のおじさんと机越しに対談した。
おじさんが何やら紙をペラペラめくりながら見ている。
「…行方不明者は、毎年数えきれない程出るんでね。主にヴァルーヴァのせいだが。
だが、この村に限ると、今現在、行方不明届はひとつも出されていない」
「えっ?」
思わず声が出てしまう。
「では地域を、全国に拡大するとして、
自分の名前とか、親の名前とか、住んでいた所の名前とかが、どうしても必要。
そうでなければ、膨大な数の捜索届の中からどうやって君を識別すれば良いって言う話だ。
だから、何か一つでもない? 思い出した事」
ギラリとした目で私を見つめるおじさん。
「うぅ…何も、全く…」
ふぅ、と受付のおじさんはため息をついた。
「君はそうやって記憶を失ったフリをして、誰かの家に上がり込んで、何か物でも盗むつもりかい?」
おじさんはなんの躊躇も無く、それどころかキッパリと冷淡に言い放った。
「そ、そんな。記憶を失っているのは絶対本当じゃ!
おぬし、この子の目を見ても何も感じ無いのか?
この目が、嘘をついているようにしか見えんのか!?」
受付のおじさんに対し、声を荒げるワラテツさん。
「仮に本当だとしても、何も支援出来ない。
普通は行方不明者の家族が届けを出すものですが、これはその逆ですからね。
記憶がないなんて…私ですら経験がない。
だから、そんな者を救済する制度なんて、無い」
「じゃあ、その制度ってのを作ればいいじゃないか!
ワシらが最初になればいいんじゃよ!」
「私のような一役員には、ましてやこんなへんぴな村では、とても無理だ。王都の偉い政治家に直接言っていただきたい」
「…………」
無言になるワラテツさん。
その顔を見ると、さっきの穏やかな顔から想像できない険しい顔をしていた。
「もういい」
そう言いながらワラテツは椅子から立ち上がった。
「時間の無駄じゃ」
そう言って私の腕をつかんで、役所から出ようとする。
私はあたふたした顔をしながら連れ去られる。
「はぁ、どうする…?」
家に帰って座るなり、ワラテツさんはこう言い放った。
私はなんとなく正座でテーブル越しに座った。
どうしようか。役所のおじさんは助けてくれない。
私の言うことを全く信じていないし、助けてはくれないようだ。
「私の事、泥棒の一種だと思ったようですね………」
自分で言葉にしてみると実感が湧くので、軽く傷ついてしまい思わず俯いてしまう。
「ほんとにけしからん奴じゃ! お前さんの事を嘘つき呼ばわりしよって。
ワシはお前さんの味方じゃからな!」
テーブル越しのワラテツさんが、腕を組んでプンプン怒っていた。
しかしその怒気とは裏腹に、優しい言葉を言う落差に、思わず少し笑ってしまう私であった。
「ふふ…ワラテツさん、ありがとうございます」
「まぁ、記憶を思い出すまで、お前さんここにいるか、しばらく」
急に飛び出たその言葉に、私は驚くより先に唖然としてしまった。
「…!? そ、そんなそこまでお世話になる訳には!」
「まぁ、しょうがないじゃろ。他にお前さん行くとこなんてないしなぁ」
数日したら、何か思い出す事があるかもしれんし、
お前さんの家族が、きっと探しにこの村までくるだろうよ」
「思い出し、ますかね…………?」
「ああ! きっと思い出すじゃろうよ」
ニコニコしながら、何のためらいもなく言うワラテツさんに、
私はつい涙ぐんでしまう。
「私、いっぱい家のお手伝いします!」
「ワッハッハ! 期待はしておいてやろう」
森で拾ってくれたのが、役所のおじさんのようなヒトではなく、
ワラテツさんのような優しいヒトに拾われて本当に良かったと思った。
「ところで、ずっとあんたを『お前さん』だとか言うのもアレじゃし、何か名前をつけないか?」
そういえば、名前が今の私には無かった。
確かにずっと、君とかあなたとかでやり続けるのは大変だ。
それに今になっても自分の名前を1文字も思い出さない状態でもあった。
私がこくりとうなずいたのをワラテツさんは見て、肘をテーブルにつけた。
「そうじゃなぁ。まぁ普通の名前でいいじゃろ。
平凡でありきたりな名前で………」
そう言ってワラテツさんは頭をポリポリ掻く。
「うーんうーん」
唸るワラテツさんを黙って見る私。
自分の名前だし何か私も候補の1つでもあげたかったが、
その前にワラテツさんが思いつきそうに見えたので、黙っておくことにした。
「うん! ティルじゃな!」
「………ティル?」
数秒の後、唐突に出てくる名前、ティル
「どういう意味ですか?」
「意味? ありきたりな名前じゃしなぁ。よう分からんよ。
ティルっていうのは女の子の名前でようあるんじゃ。
キルティルっていう女優も昔流行っていたしなぁ」
まぁ確かに、なんとなく響きが可愛い。
女の子の名前らしいとは言える。
「じゃ、決定じゃな! ワッハッハ!
今から記憶を思い出すまでの間、お前さんはティルじゃよ!」
呆気なく決められた、名前。
少し抵抗が出たが、
まぁ、別にいつか記憶が戻る時までの『仮の名前』であるし、
短くて覚えるのは簡単だから、別にいいか、と思いなおす私であった。
そうしていると、ワラテツさんが大きなあくびをしながら、
壁にかかった時計を見てこう言った。
窓を見ると、もう真っ暗になっている。
「もうこんな時間だなぁ。ワシは寝るが、お前さんは起きてるか?」
「いえ、私も寝ます。疲れがまだ溜まっているようで…」
本当は不安のせいか全然眠たくなかったのだが、
起きててもしょうがないので、寝ることにした。
「そうか。あぁ、ベッドはそこのでいいからなぁ。ワシは床で寝る」
「いや、そんな…」
「ええってええって。疲れはしっかりとっとけ。
それじゃおやすみなぁ。」
私は寝返りを打ちながら、どうすれば眠れるか考えていた。
横からはワラテツさんの寝息が聞こえる。
床に枕と掛け毛布だけで寝ている。なんだか申し訳ない。
また寝返りをして、横向きから仰向けになる。
木目の天井をじっと見つめていると、
なんだかその木目の部分がこっちを見ているように感じて怖くなった。
眠れずぼーっとしていると、自然と膨らむ不安。
それを、ワラテツさんの『数日したら思い出す』という言葉で、何とか抑えこんでいる。
私は、どうしてあの森の中で倒れていたのだろう。
私は、これからどうすれば良いのだろう。
何故、私は記憶を失ってしまったのだろう。
答えの出ない自問自答する。
ダメだダメだ…寝ないと…寝ないと…。
目を瞑り、何も考えない…考えない…。
はぁ、とため息をつきながら目を開くと、窓越しに月が見えた。
その月はとても美しく、私を優しく見守っているようだった。
なんだか、安心する。
数分、私は頭を空っぽにして月を見ていた。
しばらくそうしていると、だんだんウトウトしてきた。
月の黄色いような白いような光が、だんだんぼやけてくる。
「ふぁああ……」
私は月の眼差しの中で眠りについた。
「ティルちゃん、今日もミカおじさんの所かい?」
「いえ、今日はナラばあちゃんとこの手伝いだよ」
「とうとうナラばあも、ティルちゃんをつかうようになったかぁ。
あ、またいつか芋貰いにきてもいいんからなぁ」
「ありがと! あれすっごく美味しかった!」
バイバイ、と手を私は手を振る。
相手の姿が見えなくなったのを見てから、私はそそくさと土の坂道を登る。
ジィージィーとどこからか聞こえる。虫の声だろうか。
そう思いながら歩いていくと、とある道に来た。
右には鬱蒼と葉っぱの壁が茂り、左には誰かの田んぼがある。
その間に、石を退け、草をとってある土の道を歩く。
獣道。
あまり幅は広くない。正直もっと広くしてほしい。
右側の葉っぱの壁に近づきたくないのだ。
葉っぱに触れると虫がいるかもしれない。出来るだけ左の方を歩く。
そうしてトコトコ歩いていくと左側が、草がボーボーの畑に変わった。
赤い屋根の木製の民家が見える。そのそばで誰かが私に手を振っている。若干陽炎で霞むけれど。
…私が『ティル』になってからしばらくたった。
あれから私は、ワラテツさんの家の掃除をしたりして時間を潰したり、頭の中探ったりして、何か思い出すことがないか待ったが、
そんな事は全然起きなかった。
ワラテツさんも困り果てて、私に気晴らしに、村を歩き回る事を勧めた。
私があまりに暗い顔をしていたからだと思う。
そうしてフォークス村を歩き回ると、色々なヒトに出会った。
何というか、ワラテツさんのような、おじいさんおばあさんが多い気がする。
そのおじいさんおばあさんに会うと、私が何者なのか勿論聞かれるが、ワラテツさんの友達の娘という事にしている。
バレるか心配に思ったが、今のところそんな様子は無い。
私は暇なのでその後、フォークス村のおじいさんおばあさんの手伝いを積極的にする事にした。
みんな私に、畑でとれた食べ物や、市販のお菓子をくれる。
全部美味しいし、畑でとれたお芋なんかを持って帰るとワラテツさんも大喜びする。
だが、近所のヒトは私の知らない最近のワラテツ家の事や、ありもしない私の両親とワラテツさんの関係の事を聞いてくる。
私は濁った言い方をして逃げている。
せめて事前に私の両親の設定を詳しく考えておくべきだった。
そんな風に、時間はどんどん過ぎていった。
一か月、二ヶ月、そして三ヶ月経った。
その間も何も思い出す記憶はなかったし、誰か私の知っているヒトが訪ねることも無かった。
この村はとても居心地がよかった。
ワラテツさんはそんな私に優しくしてくれて、焦らすような事は何も言わず、家族のように親しくしてくださった。
それにお手伝いの甲斐もあって、近所のおじいさんおばあさんとすっかり仲良くなってしまった。
おかげで今は色んなひとからお手伝いの依頼が来ていて引っ張りだこだ。
どうもこの村が軒並みお年寄りばかりで、若いというだけで謎に好意的に受け止められる。
今日は畑の草むしりだ。
草はとってもとっても生えてくるそうで、私がお手伝いすると言ったら、ナラばあちゃん凄く喜んでいた。
なんでも腰が痛くてたまらないんだとか。
やっぱり体仕事は疲れるのだろう。しかも今は夏だから、なおさらやりたくないだろう。
ナラばあちゃんは誰かと言うと、フォークス村には珍しいイタチ族のばあちゃんだ。
近所のヒトからは変わっているとか言われている。
ミカおじさんというヒトの家に行った時、たまたまナラばあちゃんがいて、
話の流れで今日お手伝いをする事になった。
実は今日まで余り話をした事はないけれど。
「ひぃ〜」
私はあまりの暑さにベロを出してしまう。
長くも短くもない中途半端な私の毛が、暑さを逃さないのだ。
ムシムシしている。
私は片手を地面につけ、体を支え、もう片方で草をとっている。
四つん這いのような状態だ。
何となく二足で立つよりも楽だ。
ただ、以前の私はあまり好きではなかったのか、なんだかこの行いに慣れない。
「麦茶飲むか、ティルちゃん?」
炎天下の中働く私に見かねて、ナラばあちゃんが飲み物を持ってきてくれた。
休憩することを決め、家の軒下に向かう。
「ありがとうございます!」
そう言って私は、腰をかけた。
あぁ、日陰に入っただけで全然違うなぁ、と思った。
「…ぷっはーーっ! 美味しい!」
思わず声に出る。
暑さがスゥッと消えていく感じがする。
ナラばあちゃんもニコニコしながら私を見ている。
「ありがとうなぁ。最近腰が痛くて、もう畑やめようかと思っておったから、ティルちゃんが来てくれて助かったわぁ。」
「いえいえ…暇なものでして」
「そういえば、お前さんはワラテツとはどういう関係なんじゃ?」
やれやれ、また説明か、と思う。
まぁ普通聞くだろうなとも思う。
私だったら年も種族も性別も違う関係を想像できないし、めちゃくちゃ気になると思うから仕方ないと思い直す。
「私のお父さんがワラテツさんとがとっても仲良しでして。
それで、…い、家の事情があって、今この村にいるんです」
「ほぅ…」
家の事情という事で少し濁しながら、深い詮索を防ぐ事にしている。
そう言った後、ナラばあちゃんは何故かじっと私の目を見つめてくる。
「………な、なんですか?」
ナラばあちゃんは黙ったままだ。
「……?」
私はよく分からないので、グラスの中の麦茶の残りを飲み干そうとまた口をつけ始めた。
「全部、嘘、じゃろ?」
「………!」
吹き出しそうになった。いきなり何を言い出すんだこのヒトは。
「図星だね」
動揺する。
なんの事か分からないという風に、残り少ない麦茶をゆっくり飲みながら、頭の中では、どうしてバレたか、どこまでバレているのか、必死に考える。
「目を見たら、私は何でも分かるんさね」
目? 目を見ただけで分かるのだろうか?
「ふっふっふ」
得意げに笑うこのおばあちゃんを見て、
何だろう、このおばあちゃんには敵わない気がすると思ってしまう私であった。
「…誰にも言わないで下さい」
諦めて私は、ばあちゃんに対し口止めをする。
そんな私を見て、ふふんとまた得意げに笑うばあちゃん。
「お前さん、一体どういう流れでここにいるんだい?」
「………実は」
私は、記憶喪失である事や、ワラテツさんに助けられた事、役所のヒトが私の状態を信じてくれなかった事を話した。
「なるほどなぁ、記憶喪失。
なかなか不思議な話だが、さっきと違って今のお前さんの目は正直な目をしておるからのぅ。
にしても、お前さんも大変だのぉ。
それで、今この村でじじばばの相手をしてるんか?」
「ええ…この数ヶ月そうです。なんだかこの生活にすっかり慣れちゃいました」
私はヘラヘラとした笑みで話す。
そんな私を見てナラばあちゃんは何かを感じとったように、こう切り込んだ。
「……それでお前さんは、いつまでこの村で暮らすんか?」
「!」
ドキりとした。自分の中で、もやもやしていて目を逸らしていた現実を突きつけられた気がした。
なんとなく過ごして来た時間は、振り返るとどんどん増えていって、その量を見る度に何かしなくてはいけないという思いが出てくるが、
具体的に何をすればいいかなど、それほど私は、賢くもなく、勇気も持ち合わせていなかったのだ。
記憶がないとはいえ、本質というのは変わらないだろうし、私はもともとこういう者だったのだろう。
「…私、何をすればいいか、分からないんです。この村以外の世界を覚えてないから分からないんです。
きっと私の家族、友達はこの世界のどこかで私を待っているとしても、広い広いこの世界に出る勇気が、ないんです…」
そう、私は分かっていたのだ。自分が動く事を自分から拒んでいる事に。
本当にその気があるなら、もっと早くから、ワラテツさんに相談でもしていただろう。でも私はちゃんとした話もしていない。
「………」
手に持った空っぽのグラスの底を覗きながら、私は俯く。
「まぁ、しょうがないさね。何せお前さんは記憶がないんじゃ……」
だがな、そこまで恐怖するほど怖くはないぞ? 外は」
私の目の前のもやもやしてかかっている問題に対し、このおばあちゃんはなんのためらいもなくこう言って、私の霧を少し晴らした。
「そうなんですか?」
「ああ、まぁ、この話の続きは、草むしりの後じゃ
頑張ってなぁ、ティルちゃん」
ジィージィーと響く虫の音。そしてジリジリと刺す日の光。
それを体の全体から嫌になる程感じ取っている私は、まだまだ夜まで遠い気がすると思ったのだった。
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