『歌唱』
【前回のあらすじ】
芋騒動の後、結局トゥンクとの溝を埋めることはできなかったティル。浮かない顔をする彼女にタシュはある話をする。それは『記憶には『頭が持つ記憶』と『体の持つ記憶』の二種類存在する』というものだった。その後彼女達は王都の商店街の服屋に行く。桃色の羽を持つ店員の『カオリ』に様々な衣類を勧められるが、彼女はそれを跳ね除ける。最終的にティルは自分の望む藍色のマントを手に入れるのだった……。
「ここは?」
気が付けば、私は何も無い空間にいた。
空も地面も、濃淡が疎らな灰色をしている。
重力も地平線もなにもかも分からない。自分がどこに立っているのかすら分からない。
どうしてこんな場所にいるのかと、昨日の記憶を探ってみる。
確か昨日は買い物を済ませた後、疲れが出て眠くなった私は早めに寝たはずだ。
だが今目の前にあるのは、靄がかかった不気味な風景があるだけ。
おそらく現実ではない。きっと夢の中だろう。
しかし、自分でもビックリするほど意識がハッキリしている。
夢の中特有の、空を切るような足の動きが起きる事もなく、足の裏にしっかりと地面に触れている感覚がある。
(……?)
何故か既視感があった。
確信がある。
私はこの空間を、前にも見たことがある。
「思い出した……ここは『彼女』に会った場所だ」
私の夢に出てくる、全身真っ黒の姿をした『彼女』。
あの不気味な姿を、はっきりと憶えている。
ぐにゃぐにゃにねじ曲がった線が集い、渦を描いたような顔の上に、目が二つだけという必要最低限の要素しか詰め込まれていない顔。
そして何度も何度も『思い出して』と、聴くだけで背筋を凍らせるような薄気味悪い声。
彼女は一体誰なのか。どうして私の夢に出てくるのか。
何もかも分からない事だらけだ。
だが、私に秘められた謎を解くには、あの謎だらけの『彼女』の正体を探る事が必要だと思う。
『彼女』は以前こう言った。「私を思い出して」と。
それは逆を言えば、『彼女』が以前の私を知っているという事だ。
本当に実在するのかも怪しいし、どこにいるのかも分からない。
だが『彼女』に会わなければいけないと、
私は半ば使命感のようにそう思うのだった。
『 …… 』
「!!」
その刹那。
私はどこからか視線を感じた。
どこからか『見られている』。それが直感的に分かったのだ。
身体の底から湧き上がってくる得体の知れない拒否感が、無視できない程大きくなっていた。
私は突発的に後ろを振り返る。
『 …… 』
いた。
距離という概念すら存在しているのか曖昧なこの空間で、
彼女は遥か彼方の場所から私を見ていた。
相変わらず、何かを訴えかえるような顔で。
『 …… 』
彼女は何も言わない。
悲痛な声を出すことも、悲哀に満ちた声を出すこともしない。
意味深な表情だけで、私に何かを伝えようとしているだけだった。
「!?」
突如、周りに漂う靄が濃くなった。
彼女の頭も手も、全て霧の海に飲まれて見えなくなっていく。
「……待って!」
私は無意識に声を出していた。
姿が薄れていくにつれ、『彼女』の事を思い出せなくなってしまうような気がした。
会いたいような会いたくないような、知りたいような知りたくないような。
自分自身ですら答えが分からない迷いを胸に抱きながら、
私は霧の中に手を伸ばした。
ビシャリ。
悪夢は突如、顔に張り付いた冷たい感覚で終わりを迎える。
(な、なにこれ?)
何事かと思い顔に手を当てると、布らしきものが当たった。
それにどうやら濡れているようだ。
剝がしてみると、布の正体は雑巾だった。
まだ使われていないのか、真っ白な色で柔らかい繊維が私の顔を覆っていたようだ。
そうして寝起きの冴えない頭の中のまま困惑していると、
ニヤニヤ顔のトゥンクさんがこちらを見ている事に気が付いた。
彼は両手に数枚雑巾を持っていて、足元には水が張った桶がある。
「やるんだろ」
「えっ?」
「家の手伝い! 話は聞いてんだからな?」
昨日の仕返しのつもりだろうか。
あの草原でタシュさんに出会った時、私は『家の手伝いをする』と言った。
その話をトゥンクさんは誰かから聞いたのだろう。
彼は今、先住者という自分に与えられた権利を振りかざしているのだ。
つまり私は、彼の命令に従わざるを得ないという事だ。
ニヤニヤした彼の顔には、意地悪で狡猾そうな瞳が張り付いている。
しかしどこか良心があるのか、私の顔に張り付けた雑巾はまったくの新品だった。
何を考えているか分からない。
もちろん私は、そんな彼に不満の顔を見せるわけにもいかない。ここに置いてもらっている立場なのだから当然だ。
そうやって自分に言い聞かせ、私は体を持ち上げる。
「ほら、手始めに家中をピカピカになるまで拭け!」
「は、はい」
寝起きの頭を働かせ、言われるがまま家の廊下や居間の床と壁、家中の家具などを次々と拭いていった。
濡れた新品の雑巾の白さが、埃でどんどん黒ずんでいく。
家の壁や箪笥の表面が、キラキラ輝いて私の顔が反射して見える。
「いい仕事するじゃねえか、お前」
不意に、トゥンクさんの顔が私の顔の横から現れた。
「ま、まぁ……」
どうやら機嫌が良くなったようだ。彼は爽やかなニコニコ顔をしていた。
(いや、単に私に嫌がらせが出来て喜んでいるだけか)
私の読みは当たったようで、すぐに彼の瞳には邪悪な色が宿ったのだ。
「よし、次はそうだな。本棚を――」
そうして彼が、私を再び召使にしようとしたその時だった。
「ちょっとトゥンク! 何させてんの!」
大きな声が、朝の静寂の部屋の中に響き渡る。
声の方には不機嫌そうなタシュさんがいた。
寝起きの不調さが顔の表情に現れている。朝が弱いのだろう。
「やばっ」
イライラが加算された怒気に、トゥンクさんは凄んだようであっけなくどこかに行ってしまった。
(逃げ足が速いな……)
居間に行くと机の上に、紙が数十枚置いてあった。
タシュさんが昨日の草稿を元に刷って来たのだろう。
ヨレヨレの草稿はすっかり綺麗で丈夫な紙になっていた。
「な、なに。この顔」
だが一番変わっていて欲しかった、グニャグニャの私の顔は何故かそのままだった。
「サスケとトゥンクは街中の掲示板に紙を貼ってる。我々はビラを配る係ね」
私達は、城が背後に見えるあの正門の前にいた。
この円状の広場はヒトもたくさん通るので、持ってこいの場所だった。
ビラ配りなんてもちろんやったことは無い。しかしやるしかない。
私達は試行錯誤しながら配る事になった。
「情報提供をお願いします!」
「こんにちは! 情報提供をお願いします!」
タシュさんと私は、声をかけながら道行くヒトにビラを渡していった。
進行を妨害しながらビラを渡すという行為はなかなか気が引けるものだが、仕方がない。
萎縮して声が小さくなっていくのを何度も何度もタシュさんに指摘されながら、私は任務を遂行していった。
しばらく経った後、だんだんコツが分かってきた。
最初は両手で抱えるように持っていたビラの束も、
今は左腕におおよその束を乗せるように持ち、右の手でさっさと一枚ずつバラまくように配っている。
やっているうちにこうした方がやりやすい事に自然と気がついたのだ。
(これならきっと、今日中に全部配り終われるはず)
そうやって十枚ほど配った頃だろうか。
(あれ? サスケさん?)
サスケさんが街の群衆の中から、唐突に現れた。
「……」
彼は私の事など見向きもせずまっすぐタシュさんの方へ向かう。
何やら焦りが読み取れるような小走りだった。
「? サスケ一体どうした?」
「タシュ、実は……」
サスケさんは何やら深刻そうな顔でタシュさんに耳打ちをしている。
どうやら何かあったらしい。
タシュさんの顔にも深刻さがひしひしと伝播していくのが見てとれる。
「えっ、緊急!?」
混雑した広場の中で誰よりも大きなタシュさんの声が響き渡る。
声に驚いて振り向く者もいた。
しかし彼らは気にする素振りも見せず、しばらくの間小声で話し合った。
「ごめんティルちゃん、急用が出来てしまったんだ」
少しした後、私に向けられたのはむず痒いタシュさんの顔だった。
渋々といった様子でどうやらあまり楽しい用事ではなさそうだ。
「本当にごめんよ!」
手を振りながら、後ろめたそうに群衆の中に消えていくタシュさん達。
結局ここに来てから数時間も経たないうちに、私は独りになってしまった。
(……)
思わず天を仰ぐ私。
今の私の心とは反対に、空は澄み渡った綺麗な青をしている。
まだ夜まで時間があるのだから、帰るわけにはいかない。
周りを見渡すと、相も変わらず私の周りには見知らぬヒトの渦が巻いている。
誰かと一緒にやるのと、独りでやるのとでは気持ちが大違いだった。
自分の声の大きさが一段階落ちたのが、自身でも分かる。
さっきは、視界にタシュさんの姿が見えるだけで安心していた。
それが消えた今、頼りになるのは己自身だけ。
(いや、元々私自身だけの問題だったんだからしっかりしないと!)
頬をペチリと叩き、私は気合いを入れた。
そうしてタシュさん達がいなくなってから数時間。
辺りには夜の帳が下り、街灯の光が道行く者の輪郭をぼかす。
(今日の所はもう止めにしよう……)
脇に大量のビラを抱えたまま、私は家に帰る事にした。
結局あの後、思ったように配り終える事は出来なかった。
落胆しながら私は帰路をたどる。
広場から枝のように広がる道。その一つを選ぶ私の足。
自分の記憶を頼りに右へ、左へ曲がる。
三つ目の角を曲がると見えてくるはずの建物がある。
おしゃれな雑貨屋さんだ。
広場に向かう途中、何となく店先に飾られていた置物が目に入った。
だから帰りの途中何か面白い物でも探そうかなと心にとめていたのだ。
そう思いながら角を曲がった。
(あ、あれ? おかしいなぁ)
だが、そこに雑貨屋さんはなかった。
私の目には、私の記憶と異なる町並みが映ったのだ。
(まだこの先の方だったっけ)
そうして踵を返さず先に進んだのがまずかった。
気が付いた時には元の場所に戻れなくなっていた。
(まさか、迷子になってる!?)
♪~~ ♪~~
その時だった。
街の騒音に紛れて、どこからか綺麗な音が流れてきたのが分かった。
ポロンポロンと弦を弾く音。
それは聞くだけで心の温度を瞬間的に上げてくれるような、芸術的な音色だった。
何となく音のする方に進むと、あっけなく元の広場についた。
「ル~ルル~♪」
(あれ? あそこにいるのって……)
広場中央に立つ針のような柱。その根元には飾りなのか段差があって、そこに腰かけている者がいる。
それは、あの服屋の店員カオリさんだった。
彼女は可愛い桃色の弦楽器を持っていた。
あのポロンポロンとする音はあれから流れていたのだろう。
カオリさんは昨日とは何やら様子が違った。
ハキハキと明るく元気な姿ではなく、もの静かに弦を弾いている。
「あれ、貴女は昨日の――」
どうやら向こうも私に気が付いたようで、話しかけてきた。
やはり落ち着いた顔つきのまま。
何とはなしに私は彼女の隣に座った。
「ふうん。何やらワケ有りだとは思っていたけどそんなだったとは……」
カオリさんは私の持つ大量のビラを見ながらそう言った。
私は今までの経緯を彼女に話した。
自分が記憶喪失である事、王都に来た事、ビラを思うように配れなかった事。
「確かに知らない誰かに話しかけるのは、結構勇気がいるよね。
私がわざわざここで弾き語っているのも慣れるためだし……」
「そういえば、カオリさんは何故ここで歌っているの?」
「ああ、私歌手になりたいの。上手くなるために毎日弾き語りしてるのよ」
話を聞くと、どうやら彼女は実家の服屋を継ぎたくないようで、
代わりに王都で一番の歌手になりたいそうだ。
「誰かに敷かれた道を歩くのはまっぴらごめんなの! 自由が欲しいのよ。
そうやって自分の道を模索している点では、私達近いわね」
思ったよりも話が弾む。私は彼女を以前穿った目で見ていた事を後悔した。
そういえば同年代 (たぶん)の女の子と話すのは、記憶を失ってからは初めてな気もする。
「ねえ、貴女も一緒に歌を歌ってみない?」
「えっ!?」
唐突な彼女の言葉に、私は困惑する。
「私、独りで歌うより誰かと一緒に歌う方が合ってると思ってたの。
それに貴女にしてみても、ヒトを集めた方が都合がいいでしょう?」
ちらりと彼女の目線が私のビラに映る。
彼女が伝えたい事は何となーく理解できるような気もするが、そう上手くいくのだろうか。
「でも、歌なんて全然知らな――」
「大丈夫大丈夫、テキトーに歌ってくれればいいから!」
そう言って彼女は勢いよく立ちあがった。
断る事も出来ぬまま、彼女が舞台を幕開ける姿を見届けた。
「~~♪」
彼女は再び歌を歌い始めた。
さっきとは違い至近距離で聞こえる。
なるほど、確かに歌手を志すのも分かるほど上手い。
「 村一番の娘のエリザ 誰もかれもが彼女を狙う♪
だけれど彼女には"彼"がいる 戦地にいった"彼"がいる♪
セント・ステファーの丘の鐘がなる♪
セント・ステファーの丘の鐘がなる♪ 」
その歌は、やはりというか私には知らない歌だった。
(ど、どうすれば?)
真意を探るために私は彼女の顔を覗く。
しかし彼女は私の事などお構いなしで、自分の歌に夢中のようだ。
「 月日が経つも彼は帰らない 雪が消えて山吹色の花が大地を覆う♪
だけれど彼女は待ち続ける 思い出の地の教会で待ち続ける♪
セント・ステファーの丘の鐘がなる♪
セント・ステファーの丘の鐘がなる♪ 」
(なるほど、何となく傾向は掴めてきた)
「 村一番の娘のエリザ 彼女の母は語りかける♪
お前には新しい花が似合うよ お前には新しい衣が似合うよ♪ 」
カオリさんの足はトントントンと拍子打ちをしている。
私はその流れに自然に溶け込むように喉を震わせ始めた。
「 せ、セント・ステファーの丘の鐘がなるー♪
セント・ステファーの丘の鐘がなるー♪ 」
「そうよ、その調子よ!」
やはり読みは当たった。これを最後まで通せということなのだろう。
「 村一番の娘のエリザ 愛しき"彼"はもう帰ってこない♪
ならば踊りましょう 戦いが終わるまで踊りましょう♪ 」
「 セント・ステファーの丘の鐘がなるー♪
セント・ステファーの丘の鐘がなるー♪ 」
(! いつの間にかこんなにいっぱい観客が!)
しばらく歌っていると、どんどん観客が集まってきた。
中には気持ちよく口ずさんでいる者もいる。この歌は思ったよりも有名なのだろうか。
私は彼らと共に何度も何度も同じ旋律を口ずさんだ。
「「「 セント・ステファーの丘の鐘がなる♪
セント・ステファーの丘の鐘がなる♪ 」」」
妙な一体感を感じる。
不思議と心地よくて、なんだかこの場にずっといたい気さえしてくる。
怖くて顔の見えなかった群衆が、今は血の通った生き物に私の目は見えた。
「上手いよティル! 歌うの上手!」
そんな彼女の言葉に乗せられて、
自分は記憶を失くす前もよく歌を歌っていたのではないか、と思うのだった。
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