第九話
その日、僕はダンジョン管理局の同僚たちとともにビクターの屋敷に招かれ、夕食と酒を振舞われた。
つまみに出されたのは、領地から届いたばかりという鹿の干し肉で、岩塩と木の実、香草などで味付けがされていた。
なかなかうまかった。
ビクターはこれを地元の特産品として帝都で売る腹積もりのようだった。
そんな話を聞きながらリリィをからかい、夜半近くになって、僕は屋敷を辞した。
そうしてほろ酔い気分で、運河に沿って歩いていると、鍛冶屋の角からふらりと背のひくい男が現れた。
ハの字に口ひげを生やしている。
役人の制服である黒衣をまとい、ベルトには長剣を提げていた。
騎士らしい。
「だいぶ飲まれたようですな。顔が真っ赤だ。運河を渡ってくる微風がさぞ心地よいでしょう」
男は、いわくありげな笑みを浮かべていた。
「どなた様ですかな」
「公安局長ドロネオ子爵配下、ネドベー士爵と申します。以後、お見知りおきを」
公安と聞いて、僕は胸のうちがなるべく顔に出ないよう努めた。
月夜である。
どうせ表情までは読めはしないだろうが、それにしても、こんな時間に公安の人間が声をかけてくるというのは、尋常のことではなかった。
わたしたちはあなたたちの内偵をしていますよ。
それを匂わせて、動揺させ、アクションを起こさせようとしているのだ。
それくらい、捜査官をやっている僕には推測がつく。
「これは、これは……」
僕は酔っぱらった愚鈍な男になりきって言った。
「ダンジョン管理局のマキシム・ヴォイドです。では……」
一礼して傍を通りすぎようとすると、ネドベーが手をのべてきた。
「おっと、足許にお気をつけください。だいぶ酔っておられるようだ。すこし、付き添いましょう」
僕は一瞬、剣の柄に手をかけそうになったが、ネドベーの動きがやたら緩慢だったので、それをなんとか思いとどまった。
それにしても、たしかに僕は酔っていたが、足許がおぼつかないなんてことはないはずだった。
話はまだ終わってないですよ――要は、そういうことだろう。
「どこでお飲みになったのですか」
などと尋ねてくる。
白々しい男だ。
「上司から屋敷に招かれましてね」
「上司と申されると――ラッセル伯爵のことですかな」
「ええ」
ネドベーは、ふうむ、とうなって、思案げに、とがったあごに手をやった。
「ラッセル伯爵といえば――」
と、かれは言う。
「最近、養女をお迎えになったそうですなあ。領地のほうでは反対などは起こらなかったのですかね」
それはデリケートな問題だった。
むろん、ラッセル伯爵家の家臣たちは、ビクターに結婚を急かしこそすれ、ハーフ・デビルの女の子を養女にむかえることには、強く反対していた。
いずれ彼女がラッセル家の当主にでもなって、稀代の毒婦グウィーナのように家をかきみだされでもしたらかなわないと思っているのだ。
この帝国では、女性でも、貴族や騎士の家の当主になることができた。
しかし、
「さあ……」
と、僕はとぼけた。
ネドベーは不思議そうに、おや、と声をあげた。
「だって、あなたはラッセル伯の義弟でしょう。
養女がやってきたことで、あなたの相続権上の序列はひとつ下がる。
これはあなたにとっても愉快な話ではないはずだが」
僕は思わず苦笑いを浮かべた。
領地の相続など面倒以外のなにものでもない。
伯爵の位を継がされていろいろ宮廷作法を覚えなければならなくなるのも御免こうむりたい。
僕がビクターと義兄弟の契りを結んだのは、たんにビクターという人間が好きだったからだ。
かれの地位や領地などは問題ではなかった。
「そういうことには、あまり興味のないタチでしてね」
「ほう……いまどき珍しい、無欲な方だ」
しばらく、ネドベーは黙り込んで歩いていたが、ふと思い出したように、
「かわいらしいお嬢さんだそうですな。五歳にしてすでに美女の片鱗を見せているとか」
僕は鼻で笑って、
「五歳の女の子に、美女もなにもありますまい」
たしかに可愛いですがね、と付け加えた。
「なるほど……」
ネドベーは、表情の変化ひとつ見逃すまいとでも言うように、じっと僕の横顔を見つめていた。
僕はそれから、酒場でリュート弾きが歌う英雄譚のメロディーを口ずさみながら、ゆっくりと帰路を歩いた。
ネドベーは結局、僕が借りているアパートの近くまでついてきたが、
「わたしはむこうですので、では……」
と言い、去っていった。
次回でひと区切りつくと思います。