第六話
僕の親友にして義兄であるビクター・ラッセルが、愛国心を持つにいたったのには、それなりの経緯がある。
かれはこの異世界に迷い込んだあと、さいわいにして、偉大なる魔術師グラハム・ヒューリックに買われてその弟子となった。
ヒューリックは現代日本の話を聞くことを好み、ビクターによくそれを語らせた。
とくにヒューリックは孫子や老子、易経といった中国の古典の話に強い興味を示したらしい。
そこへきて、かつての昴少年は、そういう古くさい書籍を好む、かわった子供だった。
ヒューリックは大いによろこび、そのお返しにとばかりに、ビクター・ラッセルに魔術を教えたのである。
ビクターは持ちまえの理解力でもってそれを貪欲に吸収し、二年後には、師の推挙を得て、当時の皇帝メルヴィンに、宮廷魔術師のひとりとして仕えるに至ったのである。
折しも帝国はゲイルランド、アーガム、フィオール、ゼドゥの四大国の合従連合を敵にまわしており、存亡の危機にあった。
のちに三年戦争と名づけられたその戦役において、ビクターは数々の献策をし、メルヴィンに「我が懐刀」と称されるほどの活躍を見せた。
とくに目覚ましかったのはグリウム湖畔で行われた会戦においてであった。
帝国軍二万に対して、連合軍は十万を数えるという絶望的な状況で、皇帝臨席のもとで開かれた軍議では、どう戦うかではなく、どうやって撤退するかが話し合われるような有様だった。
この状況において、我が義兄ビクターは雲の動きを読んで明朝に濃霧がおりると確信し、撤退どころか、全軍をもっての明け方の奇襲を提案した。
敵は大軍であることにあぐらをかいており、虚をつけば大勝はまちがいなしとまで言い切った。
ところが、この作戦は霧が出るまえから見切り発車しなければ成立せず、諸将は一致して危険であるとして反対したが、賢帝メルヴィンは議論が一巡したのちにこの案の採用を決定し、夜間ひそかに軍を動かして、合従連合軍の本陣をつき、これを散々に打ち破った。
ビクターはこの功績により帝国有数の家門であるラッセルの姓を与えられ、伯爵の叙勲を受け、バルバラ半島の南部に所領を得たのだった。
つまり、ビクターの愛国心は、帝国に捧げられたものというよりは、先帝メルヴィンへの個人的な忠誠心によるところが大きいと言ってもよいかもしれない。
しかしそれは恩賞ゆえに、ということではないらしい。
ビクターが先帝メルヴィンとのあれこれを回想するときには、まるで自分の父親を語るような親しみと尊敬がにじみでていた。
宮廷に参内したおりなどに、先帝の側近く仕えたものに聞くと、先帝はそれはもうビクターを可愛がったということであった。
余談になるが、このとき撤退を強硬に主張したのがメルヴィンの甥で当時皇太子であったタキトゥス六世と、その側近で現宰相のマンティコアであった。
むろんかれらは本陣に残されて手柄をあげそこなったうえ、面目を失い、一時は皇太子の地位から落とされるのではないかと噂されるほど、その権勢を衰えさせた。
かれらがビクターに非友好的であるのは、そのときの恨みがあるものと見える。