第三話
贅を極めた白亜の宰相府の、幅の広い階段のまえで、意外な人物が僕を待っていた。
「忙しい所をわざわざ来てもらって、済まないな」
痩躯を武官の制服で隙なく覆った、四十がらみの、眼光の鋭い男だった。
「そうか、初対面であったな。
貴官の噂をいろいろと耳にするものだから、つい失念した。
ドロネオ子爵だ。
公安局の長を務めている」
こっちも遠目には見たことがあったが、こうして言葉を交わすのは初めてだった。
「お初にお目にかかります」
僕は一礼し、
「ダンジョン管理局のマキシム・ヴォイド準男爵です」
かつて僕は、僕とビクターのまわりを煩く嗅ぎまわっていた公安のネドベーという騎士をひとり斬り捨てていた。
むろん、おなじ皇帝の直参を理由もなく斬り殺す訳にはいかなかったので、むかしの恋人をダシに使い、女をめぐる決闘の体裁を整えた。
その後、保安局が、ネドベーがナタルマを宿に呼びつけていたことを確認し、事件は名誉を守るための私闘として処理された。
その話はどういう訳か、兄貴の友人で劇作家であるジェイド・スターリングに嗅ぎつかれ、歌劇の元ネタになってしまい、ひどく脚色されたものを、帝都の大劇場で大々的に演じられることになった。
この一件はワイドショーのネタ的に世間に広まり、挙句、僕はリザードマンの大群による襲撃事件や永久機関事件で武名をあげるまえから、派手に浮名を流すことになってしまった。
その、ネドベーの上官が、目の前にいる公安局長のドロネオ子爵だった。
ネドベーがなにを嗅ぎまわっていたのかは知らないが、兄貴には唯一、絶対に他人に知られてはならない秘密があった。
それは養女に迎えたリリィが、淫魔サキュバスの血を引いていることである。
人間とサキュバスのあいの子は美貌に恵まれることが多く、また魔物との混血には残忍な性格の者が多かった。
それゆえ、過去にはサキュバスとの間に生まれた女児が長じて皇帝の寵姫になり、悪行三昧をして王宮を大混乱に陥れたことがあった。
その反省から、帝国では、サキュバスとのあいの子は殺害しなければならないことになっていた。
その、あいの子をビクターはあえて養子に迎えた。
公になれば、失脚は免れない秘密であった。
しかしそれも、僕たちが白銀のワルターの件で、宰相マンティコア大公に貸しをひとつ作ったことで、なんとか暴かれずに済みそうな格好になった。
さすがにドロネオ子爵といえども、政治的な後ろ盾であるマンティコア大公の意に反してまで、ビクターを摘発しようとは考えまい。
公安はもともと敵を作りやすい職掌であり、そのあたりに思慮のまわらない人間には、局長は務まらないだろう。
とはいえ、僕が目のまえにいる公安のトップの子飼いを謀殺したことは紛れもない事実であり、いくらか緊張を強いられたのは確かだった。
並んで歩きながら、子爵は、
「もしかすると、貴官には誤解があるかもしれんな」
と言った。
「……と、いうと?」
何のことを言わんとしているのかはすぐに分かったが、かといって、大っぴらにああ、あのことですかと言えるようなことでもない。
話の落ち着く先が見えてくるまでは、迂闊なことは言えなかった。
「ネドベー士爵のことは、君にとっても、私にとっても、不幸なことだった」
子爵は言葉を選ぶように、そう言った。
僕は、黙って足元の純白の階段を見つめつづけていた。
「あの男は、いささか頭の回りすぎるところがあってな。
私が『ダンジョン管理局に対して一つ二つ取引できる材料が欲しいものだ』と零したのを、あのように理解したらしい。
貴官ならよく知っていると思うが、近ごろは我々の仕事にもダンジョンの問題が絡んでくることが多くなった。
どうしても貴官らの協力が必要だ。
いざというときに備えて、管理局にこちらの無理を聞いてもらうだけの材料を用意しておかないと、のちのち業務に障りが生じるかもしれぬ、ということを述べたつもりだったが……」
「それで、あの男は僕の恋人にちょっかいをかけたというのですか」
子爵は一瞬だけ、おまえはまだとぼけるのか、という顔をしたが、軽く咳払いをし、
「私はなにも聞いていないし、もし聞いていたとしても、事を荒立てようとは考えておらぬ。
我々が望むのは、まずなにより、今後ともダンジョン管理局と協調し、帝国の安定を図っていきたい、ということだ」
要するにこの男は、リリィのことは黙認するので、ダンジョン管理局もわれわれに協力しろ、ということを匂わせているのだろう。
やれやれ。
そういうまわりくどいやり取りは兄貴とじかにやってくれ、と思いはしたが、一応、
「我が義兄に、その旨、伝えておきます」
と、言っておいた。
ドロネオ子爵は、うむ、と微かにうなり、頷いた。




