第十話
公安局は、ここ数か月間、帝都ネディロスにあるウェンブリー公爵の屋敷を徹底してマークし、その地下に転移魔法の魔法陣が描かれた一室があることを把握していた。
魔法陣はダンジョンの内部とつながっていて、ワルターとそのパーティーは自在に出入りをしていた。
だから連中はダンジョンに数日こもっていても手が汚れず、髪がサラサラだったという訳だ。
屋敷で食事をし、入浴をし、宿泊することができたのである。
一方、グルーネルが主催していた暗殺ギルドがターゲットを始末して、その遺体の処理に困ると、ダンジョンのなかに運び込んで遺棄する。
また暗殺ギルドにスカウトされた冒険者をダンジョンのなかから公爵の屋敷へと脱出させ、一方でダンジョン管理局にはその冒険者が死亡したと届け出る。
暗殺ギルドのメンバーに司直の手が及びそうになると、屋敷の地下へつれていってダンジョンのなかへ隠し、そこで棺に入れて郊外の共同墓地まで逃がし、近くの港から船に乗せて海外に逃がす。
このようにして、人間を自在に『消滅』させていた。
グルーネルと公爵夫人を中心とする暗殺ギルドは、そういうことをかなり大掛かりにやっていたことがほぼ明らかになっていた。
問題は、屋敷の地下の魔法陣が、ダンジョンのどこにつながっているかだったが、さいわい公安局は内通者を得て、その地点を僕たちに詳しく知らせてきた。
あとは張り込んでワルターの一味を始末するだけだ。
本来なら人数を揃えて取り囲み、犯罪者どもの戦意を喪失させて捕縛する、という段取りを取るが、今回はかれらが僕たちに歯向かうよう仕向けなければならなかった。
また宰相から『内々に処理して欲しい』という非公式の依頼があったことも伏せておかなければならない。
僕とビクターは相談の結果、二人きりで張り込みをすることにした。
念には念を入れて、錬金術師のシルヴィアに調合してもらった薬を飲み、一時的に髪と瞳の色を変えた。
金髪蒼瞳に、だ。
これならダンジョン管理局の下っ端役人のコンビにしか見えない。
少なくとも、だれも高名な軍師と剣聖の二人づれとは思うまい。
第三階層の窪地に穿たれた横穴の奥に、ワルターたちの拠点があった。
冒険者が休憩するための簡単な山小屋のようなスペースがあり、その奥の床が外れる仕掛けになっている。
そこから階段を下りてゆくと、なかは四間四方ほどのスペースになっており、そこのセメントを敷き詰めた床に魔法陣が描かれていた。
ちなみに間というのはおよそ180センチで、平均的な身長のひとが余裕をもって横たわれる程度の長さだが、こちらの世界にもほとんどおなじ概念があり、建物などはこの単位を基準にして設計されている。
したがって、間の単位をつかって距離、長さをあらわすことにしたい。
ビクターは照明魔法のひかりを手許に起こしながら、かれらの描いた魔法陣を検めた。
そうしてしみじみと、
「ここまで小型化が進んでいるのだな」
と言った。
「そろそろ、犯罪者どもは転移魔法を使うものという前提に立って仕事をする必要がありそうだ」
と、僕は言った。
「霊亀が用いられた形跡もない」
ビクターがひかりをあちこちに翳しながら呟く。
「代用品が見つかったのだろうか。
……クソ、民間の魔術師連中の転移魔法の知識と技術は、役所に属する魔術師たちの数歩先を行っているかもしれない」
「すこし調べてみるか?」
「いや、いい」
と、ビクターは言った。
「もちろん興味はあるし、なんなら筆写して帰りたいくらいだが、ここで万一にも連中と鉢合わせたら話が面倒くさくなる。
外に手ごろな場所を見つけて張り込むとしよう」
僕たちは表に出ると、照明魔法のひかりを落として、窪地をざっと見渡すことのできる岩場を見繕い、その陰にひそんだ。
チームで張り込みをするときはわりと頻繁に休憩が取れるし、食事も火の通ったものが食べられるが、いまはそういう訳にもいかなかった。
保存食の、雑多な食べ物を練りこんだ乾パンのようなものを齧り、交互に仮眠をとって見張りを続ける。
もちろん魔物に対する警戒を怠る訳にはいかないが、これくらいの階層の敵であれば、僕かビクターの片方だけでも十分に対応できる。
群れに囲まれたら話は別だが、そうなったらどのみち張り込みどころではなくなる。
魔物に見つからないことを祈るしかなかった。
「なあ、マキシム」
と、金髪のビクターは欠伸をしながら言った。
「僕たちはこれから、ひとくみの冒険者のパーティーを謀殺しようとしている訳だよな」
めずらしく日本語だった。
「まあ、そうなるな」
僕は眼をこすりながら答えた。
蒼い瞳になったせいでもないのだろうが、どうにも周りのものがうっすらと青みがかっているように見える。
気のせいだとは思うが。
「謀殺だぞ、謀殺」
と、ビクターが信じられないというように言う。
「まさか日本から異世界にやってきて、二十代も半ばだっていうのに、こんなことをやる羽目になるとは、思ってもみなかったよ」
「不満か」
「あたりまえだろ」
「じゃあ、中止して帰る?」
「そうしたいのは山々だけどさ……」
「そうもいかないんだよな。
いつものことだ」
「笑っちゃうよな」
ビクターは実際にくっくっと笑い出した。
「やっぱやーめたって言って帰ったら僕、宰相にされちゃうんだぜ?
帝国ってどれくらい人口があるんだろうな。
ともかく大陸屈指の大国だよ。
その宰相だぞ?
漫画かっつー話だよな」
「だいたい、謀殺っていう響きがすごいよ。
僕たちがいた世界で人様を謀殺するなんて、ヤクザかイスラエルの秘密工作員かプーチンくらいのもんだろ」
「なんでこんな世界に来ちゃったんだろうなあ」
「愚痴っててもしょうがない。
さっさと片付けて、帰ろうぜ」
僕たちは手ごろな岩を抱き寄せて脇息がわりにしていたが、ビクターがふと、異変を感じた小動物のように背を伸ばした。
息をつめて耳を澄ませている。
その理由がすぐにわかった。
大地を這うように、なにか大きなエネルギーが流れている。
「あの魔法陣に魔力が通ったようだぞ」
と、ビクターはキュローヴ語で言った。
「そろそろだな」
僕は立ち上がって肩に抱いていた刀をベルトに吊りなおした。
ややあって、横穴からいくつかの人影があらわれた。
ダンジョンの青黒い薄闇のなかで、それらの輪郭が蠢いている。
言葉を交わしているようだが、ここからでは聞き取れない。
「いきなり襲うのも寝覚めが悪い」
と、ビクターは言った。
「これから、やつらに幻術をかけて、僕たちの幻を見せる。
やつらがその幻に斬りかかってきたら、僕たちに刃向かった確たる印だ。
遠慮には及ばないだろう」
「刃向かってこなかったら?」
ビクターは黙り込んだあと、唇をつきだしてブルブルと鳴らし、
「縄をかけて連れ帰るよ。
しょうがない、そのときは宰相でもなんでもやってやるさ」
僕は微笑んで頷いた。
ビクターは僕と違い、戦う意思を示さない人間を殺すことのできるやつじゃないということは、最初から分かっていた。
しかし、その心配はなかった。
彼らを誰何する僕らふたりの幻は、すぐに彼らに取り囲まれて、ばっさりと斬られてしまった。
「やれやれ」
と、ビクターは言った。
人差し指と中指を立てて、呪文を呟く。
するとパーティーの中心にすさまじい閃光が起こった。
目くらましだ。
僕は鯉口をきりながら窪地へと滑り降りていって、いまだにのんびりと目をおおっている魔法使いふたりと医僧の首を腕ごと刎ねあげた。
すぐに傍を氷の矢が疾走していき、前衛の戦士のひとりを鎧ごとハチの巣にし、逃走を始めた女盗賊の首をうしろから撃ち抜いた。
これはビクターの魔法だ。
ワルターだけが冷静に岩陰に身を寄せ、氷の矢の追跡を免れた。
砕けた氷片が、ぱらぱらと窪地の砂をうつ。
「ちくしょう……」
ワルターは眼をおさえながら言った。
「だからやめろと言ったんだ。
こんなの、ダンジョン管理局の張った罠に決まっている。
おい、返事をしろ、おまえたち無事か」
黙って斬り捨てようかとも思ったが、たしかに岩場から見下ろしていた限りでは、この男だけは僕たちの幻に斬りかかってはいなかった。
仲間に斬れと指示を出したのだろうと考えていたが、この口ぶりだと、どうもそうではなさそうだ。
とっさの演技かもしれないが、そうではないかもしれない。
僕は確認のため、ビクターをふりかえった。
兄貴ははっきりと首を振った。
僕はそれを見て、刀を鞘におさめた。
「生き残っているのはおまえだけだよ」
と、僕は言った。
「その声は……マキシム・ヴォイドか」
と、ワルターはうなるように言った。
「随分なやりようじゃないか。
私たちの悪事はとうにお見通しだった訳か。
だが、だったら証拠を突き付けて逮捕すればいいだろうが。
我々がおまえたちにかなう筈があるまい。
知っていたら抵抗などしなかった。
それを……なぜこのような口封じのごとき真似をする」
「自分のやったことを棚にあげるのか」
「おまえたちはいつだってそうだ。
我が父祖の一族を不当に逮捕し、茶番の占いでもって無実の罪を着せ、皆殺しにした。
そうして奪い取られた所領は、おまえの義兄やマンティコア大公らに分け与えられたのだ。
そのうえくだらん占いなどをなおも持ちだして、私の御家再興の宿願を潰す。
私は奪われたものをとりかえそうとしているだけだ。
おまえたちのやりようこそ罰せられるべきだろう」
「おまえの父祖は力に訴えたんだ。
政略をしかけ、まだ政権の基盤が盤石でなかった先帝陛下を追い落とそうとした。
武器をとって斬りかかっておいて、相手から斬り返されたら文句を言うのか」
「う……うるさい、黙れ!
われらが先に斬りかかったという証拠でもあるのか!」
「帝国の法に反して貴族どうしで勝手に婚姻を結び、陛下の臣たる貴族の所領を勝手に併呑した。
だれもが知っていることだ」
「ぐっ……」
「実を言えば、おまえには感謝している。
僕の弟子がまだ冒険者になったばかりのころに、いろいろと世話を焼いてくれたそうだな。
それはおまえが没落貴族に対する掛値なしの共感を持っている証に他ならないと思っている。
おまえなりの正義があることはよく分かった。
だからこうして話をしている」
ビクターが、僕の傍に立った。
「白銀のワルター、おまえは恐らく死刑になる。
皇族を殺害し、グルーネルのごとき輩の陰謀に加担したのだからな。
それでも、裁判を受け、いま述べていたような主張を法廷で訴えたいというのなら、僕は君を殺すことを断念し、逮捕して連れ帰ることにしよう。
万に一つも勝ち目はないと思うが、記録には残るだろう。
そうして、後世のものがそれを読む。
僕は君にそれを望む権利を認めてもいいと思っている。
さあ、どうする?」
ワルターは燃えるような瞳で僕をにらんだ。
「マキシム・ヴォイドと決闘がしたい。
不正義のはびこる帝国になぞ、もはやなにも期待していない。
最後くらい、貴族らしく果ててやる。
……私ごときに怖気づく剣聖どのではないだろう。
さあ、勝負だ……!」
僕はこの男に貴族の誇りを感じた。
さすが、ローエンが友と認めた男だけのことはある。
正直なところ、ほっとしてもいた。
たったひとりの弟子に、君の友を謀殺したと言わずに済む。
「わかった、受けて立とう」
僕とワルターは、窪地の砂のうえでむかいあった。
ワルターが剣を抜き、斬りかかってくる。
迷いのない、うつくしい剣筋だった。
僕はそれを一寸の差でかわして、刀を振り下ろした。
勝負にならないことは、僕もワルターも、始めから分かっていた。
砂のうえには、左肩から右腹まで一直線に両断された、ワルターの躯が転がっていた。
僕はかれの白い横顔を、長いこと見下ろしていた。
あの疑獄事件がなかったら、この男とはきっと親しくなれただろう。
しかし、いまさら考えても仕方のないことだった。