第九話
応接室では、黒いジャケットにジャボをつけたグルーネルが、供をふたり連れて待っていた。
いずれも屈強な体躯の騎士ふうの男で、身なりはともかく物腰はごろつきとそう違わなかった。
その男どもは僕を見るなり怯えたように眼を伏せた。
用心棒として連れてこられたが、今度ばかりは相手が悪い……そんな顔つきをしていた。
グルーネルは五十くらいの頭の禿げあがった痩せた男で、古い毛筆のような濃い眉と、落ちくぼんだ眼が印象的だった。
上唇まで隠れそうな立派な鷲鼻をもち、顎がくちばしのように尖っている。
「ウェンブリー公爵の家中の方々か」
と、ビクターは言った。
「私になにか用だろうか」
「貴殿は保安局から皇族ごろしの容疑者を勝手にダンジョン管理局へと移送したようですが、ただちに戻して頂きたいというのが、我が主の意向です」
「『貴殿』とは対等な立場にある者に使う言葉ですよ」
ビクターは眼を細めた。
「私は皇帝陛下の直臣であり伯爵の爵位を持っている。
あなたはたかが陪臣でしょう。
口には気をつけて頂きたいものです」
僕はおどろいてビクターを見やった。
彼がこんな容赦のない攻め方をするのは初めてだった。
「私は公爵の名代として来ている」
と、グルーネルはあくまで譲らない構えを見せた。
「ただちにローエン・ハールビュールの身柄を保安局に戻してください。
いいですか、あれは皇族殺しの容疑者なのです。
それを勝手に連れ出すなど……のちのち問題になりますよ」
「保安局のかたがローエンに話を聞きたいというのなら拒みはしません。
担当者の立ち合いのもと、尋問を認めましょう。
それでは不満なのですか」
「聞こえませんでしたか。
身柄を戻せと言っているのですがね」
「まずは書状をお預かりしましょうか」
ビクターは催促するように腕を伸ばした。
それに供の片方が書状を手渡してくる。
ビクターはその場で披いてすばやく読んだ。
「これは公爵がじかに認められたのですか?」
と、ビクターは言った。
「用向きは公務のことであるのに、署名はウェンブリー内相ではなくウェンブリー公爵となっている。
内相の名前で出されてない以上、正式な行政上の話として聞くわけにはいきませんね」
要するに、おまえが勝手に書いたのではないか、とビクターは遠回しに言っているのだった。
たいていの大貴族には祐筆がいて、当主の書状を代筆するようになっている。
行政文書は役人が草案をつくり清書をするのでそうはいかないが、グルーネルのような立場にあれば、ウェンブリー公爵の私的な書状くらいは偽造できるのだ。
まして公爵は呆けている。
「な、なにを言う」
「あなたはよく分かっていないようだが、わが帝国は創始の頃より、ダンジョンの問題には最優先で当たることを国是としている。
初代皇帝ナンド一世のご遺訓にあるとおりです。
また、ダンジョン管理局の長には伯爵以上もしくは皇族をもって充てることになっている。
行政単位としては局だが、組織図のうえでは皇帝陛下にじかに属しています。
つまり宰相府と同格ということになる。
いいですか、かりに我々が宰相府に提出すべき書類を期限までに提出しなかったとしても、宰相府でさえ、それについて催促はできても、ただちに出せとは命令できない。
それができるのは皇帝陛下だけです。
あなたは陛下の頭ごしに、我々に要求をつきつけていることになるが、その意味がおわかりか」
「そのような話を持ち出してけむに巻こうとしても、そうはいきませんぞ」
と、グルーネルは言った。
この男はこんなふうにして、あちこちの役人をおのれの威に服させて来たのだろう。
「ヴォイド準男爵」
と、ビクターは僕を振り返って言った。
「こやつらがこれ以上、陛下をないがしろにするようなふざけた要求をつきつけてくるなら、叩き斬って構わない」
「……承知しました」
僕は鯉口を切った。
まず、付き添いの騎士たちが顔色をかえて応接室を転がり出て行った。
そうしてグルーネルがなにかわめきながら、そのあとに続いて、よたよたと走り出て行った。
清掃の手間が省けてよかった。
僕はかちりと鳴らして刀を収めた。
初夏の暮れなずむ空が焼けた鉄のように輝いていた。
僕はダンジョン管理局の正面階段からその空を見上げながら、ビクターが帰り支度を終えて出てくるのを待っていた。
まずはワルターの近辺に探りを入れなければならないが、ダンジョンの中で尾行をするとなると、盗賊たちを使う訳にもいかない。
魔物と戦闘になった場合、危険だからだ。
僕たちがじかにやる必要がある。
柱に背を預けて、腕を組んで通りを眺めていると、帰路につく役人たちの影が左右に交錯するなかを、ダンジョン管理局にむかってまっすぐに歩いてくる、痩身長躯の男に気がついた。
肩にかかるほどの長い白銀の髪に、赤い瞳をもっている。
苦み走った美男だ。
膚はやや褐色に焼けており、アルビノというわけではなさそうだった。
白いジャケットの胸元にジャボを提げ、腰には優美なこしらえのサーベルを佩いている。
貴族の装いだ。
かれは階段に脚をかけたところでふと気づいたように僕を見た。
「卒爾ながら、あなたはダンジョン管理局の方ですかな」
「左様ですが」
「私はマンティコアという者です。
遅い時間に恐縮なのですが、ビクターに取り次いでもらえないでしょうか」
僕は、内心、首を傾げた。
マンティコアといえばわが国の宰相であり、爵位は大公だ。
それが、いくら官庁街とはいえ、単身で通りを歩いていたりするものだろうか。
しかし、冗談を言っているような顔にも見えなかった。
「はて、どこかで聞いた覚えのある姓ですが……ラッセル伯爵とはどういう」
「なに、ちょっとした昔なじみです」
僕はこの男にただならぬものを感じて、
「……中でお待ちください」
とだけ言い、ビクターのオフィスへと向かった。
二階にあがってすぐのところで、帰り支度を終えたビクターを見つけ、声をかけた。
「宰相閣下と同姓の者がやってきて、『ビクターに取り次いで』くれと言っているんだが、身に覚えはあるか」
ビクターは苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「それは長身の、銀髪赤瞳の?」
僕はうなづいた。
「嫌な予感しかしない!」
と、ビクターはうなるように言った。
「いないと言ってくれ。
ラッセル伯爵はとうに帰った、予定はいっさい聞いていないと言うんだ。
何を尋ねられても『知りません』で押し切ってくれ」
そうして踵を返し、裏口のある北側の棟をめざして足早に歩き始める。
「おい、説明しろ」
僕はあとを追いかけながら言った。
「その人は間違いなく帝国宰相レオニード・ヴラド・マンティコア大公だ。
昔なじみというのも嘘ではない。
僕が先帝メルヴィン陛下の軍師に抜擢されたとき、レオニードが首席の軍師を務めていたんだが、あの人には色々と世話になってな、ちょっと頭があがらない」
「不仲ではなかったのか」
「ああ、グリウム湖畔の戦いの直前に行われた軍議の話だな。
たしかにあの軍議で僕は超のつく積極策を説き、レオニードは極端な消極策を述べ、激しい論戦になった。
いや、論戦というより罵りあいに近かったな。
じつはあれは陛下の策でな、帷幕のなかに複数の内通者がいるという情報があって、それを炙り出すための芝居だったんだ。
内通者はかならず、消極策に同調するはずだから、そいつらを後衛にさげたうえで監視をつけ、積極策に同調した戦意の旺盛な将軍だけを連れて奇襲を敢行する、という段取りになっていた。
レオニードも本音では奇襲の一手だと考えていたよ」
「しかし、当時マンティコアは皇太子だったタキトゥス六世陛下の側近だったのだろう?
陛下はビクターにあまりよい印象を持っていないと噂に聞いたが」
「陛下はな、個々の臣下の好き嫌い以前に、ご政道にあまりご興味をお持ちでないんだ……
レオニードがなんとか取り繕ってちゃんとした皇帝に見せかけてはいるが……
これ以上は僕の口からは断じて言えない!」
そうしてビクターは足をとめ、僕をまっすぐに見て、
「かくのごときタキトゥス六世陛下を担ぎあげて、帝国をいいようにコントロールしようとする大貴族が、かつてはたくさんいた。
先帝メルヴィン陛下がご存命のころは鳴りを潜めていたが、死後、そういう輩がいっせいに蠢動を始めることは目に見えていた。
だからメルヴィン陛下はレオニードと不仲を装い、タキトゥス六世陛下の側近に付けたんだよ。
レオニードは野心をむきだしにする大貴族どもを掌のうえで転がし、今日までなんとか帝国を安定させてきた、というわけだ」
いいか、これは誰にも言っちゃダメだぞ、とビクターは廊下に目を走らせながら僕に念を押したうえで、
「じつはな、レオニードがいまやっている政治的曲芸は、僕がやらされる羽目になっていたかもしれないんだ。
ある晩、メルヴィン陛下から内々に呼ばれて寝所を尋ねてゆくと、そこにはレオニードもいてな、陛下は僕たちに恨みっこなしだぞと仰りながら用意した二本の籤をむけてこられた。
結果、僕がアタリを引き、レオニードがハズレを引いた。
すると陛下はレオニードの肩に手をおいて、残念だがおまえには重い荷物を背負ってもらわねばならん、としみじみ仰った。
レオニードも、それが非常にストレスの多い困難な仕事だというのは分かっていた。
だからせめて10年交代にしてくれと陛下に必死で訴えたが、もちろん僕は断固拒否した。
陛下やレオニードは僕を評価してくれているみたいだったが、僕のごとき若輩に宰相など務まる訳がない。
それでレオニードは渋々、宰相の職を受けたが、かわりに僕に条件を出した。
いざというときは手伝ってもらうからなビクター、頼むよマジで、ってな。
それにはさすがにわかったと答えない訳にはいかなかった……」
ビクターは夕暮れどきの薄暗い廊下に立ち尽くした。
その横顔がいくらか青ざめて見える。
「これで、レオニードがなにをしに来たか、君にもだいたい推測がついただろう。
政治的にひどく厄介な問題を持ち込んできたに決まっているんだ……。
あの男に会ったが最後、きっとろくでもないことになる……」
「そういえば……」
僕は首のうしろを撫でながら言った。
「宰相閣下は、内相の職を事実上、兼任するために、御歳を召してすこし呆けてきたウェンブリー公爵を、内相の椅子に据えつづけてきたそうだな」
「そう、きっとそれ絡みだ!」
と、ビクターは言った。
「ウェンブリー公爵家のなかでグルーネルのような男が暗躍し、家が乱れつつある。
その咎が公爵に及び、さらには宰相に及ぶのを、なんとか食い止めたいのかもしれない」
廊下には、日が落ち行くころに特有の、濃い闇がわだかまっていた。
その闇のなかで、輪郭をもったものが動いた。
靴音がたち、窓から差す淡いひかりのなかに、人影が現れた。
「おいビクター、いつまで待たせンだよ」
と、その影が言った。
「つれねえじゃねえか」
「レ、レオニードか?」
ビクターは僕を盾にするように背中にまわった。
僕ははじめ、それを異形の類ではないかと疑った。
なにしろ、靴音が現れたのが唐突だった。
ふつうは遠くから細微な音が聴こえ、少しずつ大きくなって迫ってくるものだ。
ところが、彼の足音は、まるで空間を超えてそこに降り立ったかのような、急な始まり方をした。
この男はほんとうに空間を飛び越えてきたか、さもなければ、僕はこの男の気配を今の今まで感じ取れなかったことになる。
レオニード・ヴラド・マンティコアは、黒い手袋をした手を、長い銀髪にさしこみ、いたずらがうまくいった悪ガキのような笑みを浮かべた。
「隣の兄さんが、噂のマキシム・ヴォイド準男爵どのだな」
と、レオニードはこめかみのあたりを揉みほぐしながら言った。
頭が痛むのかもしれない。
「まあそう怖い顔をしなさんな。
なにもビクターを取って食おうってんじゃねえよ。
不意を突かれたことが腹立たしいのなら、自分に腹を立てろ。
そもそもな、天下の宰相さまを待たせすぎだぞ、あんた」
それからビクターを見て、
「俺はいままでおまえにつまらねえことを頼んだことは一度としてない。
そうだろ。
話くらいは聞いてくれてもいいだろうよ」
「な、なにも聞いてやらないとは言ってないぞ」
と、ビクターは声をうわずらせながら言った。
「そうか、ならよかった」
と、レオニードは芝居がかった抑揚をつけて言った。
「俺はてっきり、おまえらが居留守の相談でもしているのかと思ったぜ。
だとしたらただじゃあおかねえ、って訳でよ、魔法を使ってスッ飛んできたわけだ。
お陰でまた頭痛になっちまったよ。
クソ。
おいビクター、おまえも相変わらずの片頭痛持ちなんだろ。
痛み止めを持ってンなら分けてくれよ」
「薬ならオフィスの抽斗のなかにある。
話もそこで聞こう」
レオニードはにやりと笑った。
「そう、それが賢明だ」
銀髪の宰相は、ビクターのオフィスの位置はよく知っていると言わんばかりに、廊下をすたすたと歩いてゆく。
僕とビクターは少し離れてそれに続いた。
「だいぶガラが悪いな」
と、僕は囁くように言った。
「管理局の門のところで話したときは割と気品のある感じを受けたが」
「僕や君だって、公的な場と、私的な場では、言葉遣いが違うだろう。
レオニードはそれが極端なんだ。
むかしからそうだった」
「銀髪に赤い瞳とは珍しい」
「ああ、あの人もハーフ・デビルだからな。
ある皇族の女が静養先で魔王クラスの魔物に攫われて、生きて戻ってきたときにはすでに妊娠していた。
そうして生まれたのがレオニードだ。
15歳を過ぎるまで古城の片隅に幽閉されていたが、メルヴィン様に召し出されて側近として仕えることになった。
智謀と魔力であの人の右に出る者はいない」
「ということは、魔法使か」
「そういうことになるな」
僕はふと興味が萌して、
「あの人は弟子を育てたのか。
それとも大サリュード記念学院で魔法を教えたのか」
「先帝が在位のころに魔法学の講師を務めた。
任期は半年でもよかったんだが、きりがいいからといって、一年つきあった。
生徒たちにはひどく恐れられていたようだけどな」
「そうか……」
「なにガッカリした顔をしているんだ、マキシム?」
「当の宰相閣下が魔術師としての責務を果たしていないのなら僕も遠慮なくガン無視してやろうと思っていたのだが……そうもいかないようだな」
ビクターは笑ってうなづき、
「あの人は少なくとも、僕たちをチクチクとやる権利がある、ということになる」
オフィスに入るなり、レオニードは二本の指を立てて口元に近づけ、呪文らしき言葉を呟いた。
すると部屋の四隅に、緩やかに渦をまく白いひかりが現れ、昼のように明るくなった。
それから勧められる先からカウチに腰をおろし、脚を組んだ。
「本題に入るまえに、あんたの弟子について話がある」
と、レオニードはビクターから手渡された薬包紙をほどきながら言った。
「ええと……なんていう少年だったか」
「ローエン・ハールビュール」
「そう、そいつだ」
宰相は天井を仰いで、薬を口のなかへと落とし、嚥下する。
「……皇族殺しの容疑で捕まっているらしいが、頑としてアリバイを言わないそうだな」
「ええ、その通りです」
「どこにいたか知りたくはねえか?」
と、テーブルに乗り出して、あの悪童じみた笑みを浮かべる。
「ご存じなのですか」
「これが、なかなか、泣かせる話なんだ」
と、宰相は言った。
「ハールビュールは、さる貴婦人と一緒にいた。
死んだ救国の英雄の許嫁だった女だよ。
もちろん奴もガキじゃあない。
ただ食事をして楽しいおしゃべりをして、という訳でもないだろうよ。
ともかく、ハールビュール君は、その貴婦人のことを庇っていたようだ」
「……もしかして、ヨナ・ミリアムですか」
レオニードは面白くなさそうな顔をした。
「なんだ、目星がついてたのか」
「いや、そういう訳ではないのですが……ふたりが屋敷の窓越しに、話をしているのを見かけたことがあるものですから」
宰相はうなづき、
「このことが発覚すると、ヨナ・ミリアムにとってすこし厄介なことになる。
死んだ救国の英雄の許嫁が、貞操を放棄して、美声を誇る若い燕と遊んでいたなどと公になったら、もはや立つ瀬がない。
彼女の名誉を守るために、ハールビュール君は口が裂けても、密会していたとは言えなかった、というわけだ」
「よく調べたな」
と、ビクターが言った。
「手紙が来たんだよ、当のヨナ・ミリアムから」
と、宰相は言った。
「救国の英雄ドリスコル伯爵とは旧知の仲だった。
それで葬式でヨナ殿と顔を合わせたときに、なにかあったらいつでも相談に乗りますと言ってやった。
以来、手紙や贈り物のやりとりみたいなことをしていたのだがな、ハールビュールが皇族殺しの件でアリバイを断固言わなかったせいで逮捕されたと知って、俺に泣きついてきたんだ。
ハールビュールはそのとき自分と一緒にいた、たぶん自分を庇おうとして黙っているのだ、彼は無罪だ、なんとか助けてやって欲しい、とな。
だが、保安局の連中にこの話をするとヨナ・ミリアムが立場を失う。
どうしたもんかと迷っていたところなんだよ」
ともかく、そういう訳であんたの弟子は無実だ、安心していい、とレオニードは言った。
「まったく、あのばかものが……」
「どうしたマキシム、口とは裏腹に笑っているではないか」
と、ビクターが冷やかすように言う。
もちろんそれ自体はうれしかったが、信頼して打ち明けて貰えなかったのはいくらか残念だった。
あるいはローエンの眼には、僕がそういう女性を許さないタイプの厳しい大人に見えていたのかもしれない。
人と親しくなることの難しさを改めて感じた。
「さて、ここからが本題だ」
宰相閣下は頬にえくぼを刻んで前かがみになり、どことなく蛇を連想させる赤い瞳でビクターを見つめた。
「俺がなにを頼みに来たか、おまえなら薄々推測がつくだろう?」
「ウェンブリー公爵のことだろうか」
「そのとおりだ」
と、レオニードは言った。
「ビクターには釈迦に説法かもしれんが、ヴォイド殿にもいちおう説明しておくと、内務省は貴族の相続や婚姻などを監督している。
わかるだろうが、この省に睨みが利かなくなると、俺としては非常にマズいことになる。
貴族どもに派閥を作られたり、門閥の影響力をじわじわと延ばされることになる。
相対的に陛下の権威・権力が弱まってしまう。
これは到底、認められない。
もちろん、内務省をおさえることの意味とその価値は門閥貴族どももよく分かっていて、内務省の長たる内相に、自分たちの意のままになる人間を就けたがっている。
連中といろいろ折衝をしたが、結局、御歳を召していくらか大らかになられたウェンブリー公爵を内相に据えざるを得なくなった。
つまり、宰相府と門閥貴族のあいだでなんとか妥協が成立したのが、あのボケた爺さんだったという訳だ」
僕とビクターは、沈黙を保つことによって、先を促した。
「その、ウェンブリー公爵の家中で、奸臣が幅を利かせ、公爵自身は再婚した若い妻の言いなりになっている。
多忙を言い訳にするつもりはないが、俺も気づくのが遅れた。
公安局が俺に報告をあげてきたときにはもう手遅れだった。
グルーネルという輩は、暗殺ギルドなどを作って、目障りな冒険者、商人、貴族などの暗殺にまで手を染めている。
これが公になったら、ウェンブリー公爵家を取り潰さざるを得ないのだが、そうなると俺にまで責任が及ぶ。
ウェンブリー公爵を内相にしたのは宰相府と門閥貴族が話し合いをした結果、決まったことだが、陛下に推挙したのはあくまで俺だ。
だからウェンブリー公爵の落ち度は俺の落ち度になる」
「話が見えませんが」
と、僕は言った。
「そう先を急ぐなよ、兄さん」
宰相閣下は赤い瞳で射貫くように僕を見た。
「俺としてはこの機に引責辞任して、南の島の別荘に遊びに……いや、蟄居謹慎したいところだが、そうなると宰相の後任を選んで陛下に推挙しなければならない。
あいにく、能力的に、宰相の務まりそうな奴は、あんたの義兄以外に思いつかないンだよな。
……どうだビクター、やってくれねえか」
「そ、それは困る!」
と、ビクターは後ずさりしながら言った。
「だいたい僕は伯爵だぞ。
皇族、大公、公爵、侯爵などのお歴々に指図をするなど現実的に不可能だ」
「だったら話は簡単だよ。
臣は、ラッセル伯爵の多年にわたる並外れた貢献に報い、これを大公に任じられるがよろしいかと心得ます、と、陛下に奏上たてまつるまでだ。
それにビクター、おまえそろそろ身を固めてもいい頃合いだろう。
皇族の姫君の幾人かは、おまえとの婚姻の話なら、きっとよろこんで受けて下さる」
「ほ、本気なのかレオニード」
「俺がわざわざおまえを尋ねてきて面白くもない冗談を言うほど暇してると思うか?」
「ぐっ……」
「正直なところ、俺はどっちでもいいんだぜ?」
宰相閣下は脚を組みなおして、カウチにふんぞりかえった。
「……僕になにをやらせたいんだ、レオニード」
「単刀直入に言うぞ、ビクター。
ウェンブリー公爵家の一件は、内々に処理して欲しいんだ。
公安局のほうには、すでに話はつけてあるが、あいにく、この件には冒険者が絡んでいる」
「……白銀のワルターか」
そうだ、と宰相はうなづいて言った。
「たしかに、あの男にも同情の余地はある。
カダドールに連なる没落貴族の孫で、れいの疑獄事件がなかったら、今頃は伯爵家の令息と呼ばれる立場にあった。
それが冒険者に落ちぶれ、なんとか貴族に返り咲こうといろいろ活動しているうちに、ウェンブリー公爵の若い妻のライノと知り合った。
グルーネルの暗殺ギルドにからんだ仕事なども請け負いながら、ライノの周旋で、さる男爵家への婿入りの話がまとまりつつあったンだが、男爵家ではワルターの身元を怪しがり、私的にナシュア殿下に占断を仰いだんだ。
結果は凶。
話は御破算になった」
「ワルターはその恨みで、ナシュア殿下を殺害した……そういうことなのか」
「公安局があげてきた報告書にはそう書いてあったな。
で、ワルターはその罪を、交友関係のあったヴォイド殿の弟子になすりつけようとした。
そのうえで、グルーネルが内務省への影響力を利用して、あんたの弟子を獄中で殺害し、それで一件落着となる予定だったが、あいにくダンジョン管理局から横やりが入った、という訳さ」
「それで、『内々に処理』するとは具体的にどういうことでしょう」
レオニードは壁の一点をしばらく見つめていたが、やがて口を開いた。
「本来ならば、容疑者は生きたまま逮捕して尋問し、事件の全容を解明するのが望ましい。
しかしこの件については、いま言った事情がある。
全容が解明されてしまうと、その罪はグルーネルと公爵夫人のライノにとどまらず、公爵家ぜんたいに及んでしまう可能性が高い。
率直に言って、それは困る。
だからダンジョン内で、容疑者の口を封じて欲しい。
もっとはっきり言うと、ワルターの息の根を止めて欲しいんだよ。
グルーネルとライノはこちらでなんとかするが、ダンジョン内のこと、冒険者のことは、あんたたちに頼むよりほかにない」
ビクターは案の定、押し黙った。
かれは戦場や魔物との闘いではいくらでも狡猾な策を弄するが、いくら死刑になるのが確実な犯罪者が相手でも、正当な手続きを踏まずに殺してしまうというやり方は、かれの好むところではない。
犯罪者が抵抗したならば話は別だが、抵抗するかどうかもわからないうちから殺害すると決めてかかるのは、役人の道を外れていると言わざるを得ない。
僕はそのほかに、ローエンの剣の師匠として、この処置に強い抵抗を感じていた。
ローエンがワルターに裏切られたことは間違いないだろうが、おそらくローエンはまだワルターのことを友人だと思っている。
僕はローエンの師として、かれの身近にいる大人のひとりとして、かれの友人を、できれば公正に扱い、裁いてやりたい。
少なくとも、ワルターにどんな落ち度があったにせよ、ローエンに、かれの友人が大人の都合によって不当に扱われたとは思わせたくなかった。
ローエンは誇り高い少年だし、一見茫洋としていても心のなかでは細かいことを曖昧にしない人間でもある。
レオニードの求めを容れてワルターをダンジョン内で始末すれば、ローエンとの間に、とりかえしのつかない亀裂が入ってしまうかもしれない。
しかし一方では、ローエンもいずれ大人の世界の生々しさに触れるときが来る。
いくら僕が隠そうとしても隠しおおせるものではない。
僕の、役人としてのありのままの姿を見せてやるのも、ひとつの考え方かもしれない。
それらの思慮を巡らせているうちに、ローエンとともに胸裏にはっきりと浮かんだのは、僕の最初の弟子、フューレルのことだった。
僕は役目上、やむをえず、フューレルのことを斬った。
そうしていま、大人の都合に屈して、二人目の弟子のローエンが友と信じている男を不当に扱おうとしている。
僕は不覚にも、自分が目に涙をためていることに気が付いて、静かにうつむいた。
ほんとうに弟子たちに済まないと思った。
僕は剣の技術どうこう以前に、ひとの師たりうるほど立派な人間ではないのだ。
剣聖などと言われてあれこれ頼まれてひとに人に剣のてほどきをしてきたが、もう金輪際やめようと思った。
僕はビクターからそのように指示されればワルターを斬る。
ローエンにはすまないが、そうしない訳にはいかない。
「やらざるを得ないだろう、ビクター」
と、僕は言った。
「ほかに手はなさそうだ」
「……いいのか、マキシム」
と、かれは言った。
僕はだまって頷いた。
「すまないな」
と、帝国宰相は言った。
「恩に着るよ」
レオニードは部屋から出る間際、ふと思い出したように振り返って、
「そういえばビクター、おまえ養女を取ったんだってな」
「まあね……」
「いくつになるんだ」
「もうそろそろ六歳になる」
「かわいい盛りだな」
と、レオニードは言った。
「余計なお世話かもしれねえが、なにかあったら相談しろよ」
「………」
宰相閣下は、じゃあなと言って廊下の闇にうもれていった。
扉がしまると、かれの靴音は、すぐにしなくなった。
部屋の四隅に灯っていた魔法の明かりが、忽然と消える。
ビクターは暗がりのなかでしばらく扉を見つめていたが、やがて独り言のように、
「あの人もハーフ・デビルだからなあ……」
と呟いた。