第八話
僕は保安局の下級武官の案内で地下牢へと降りてゆき、そこで顔を痣だらけにしたローエンと面会した。
僕はその下級武官に、貴様では話にならぬ、ローエンの取り調べを担当したものをただちに呼んで来い、と言い渡した。
ややあって、騎士階級とわかる身なりのガタイのいい男が下りてきた。
「困りますなあ、ここではあんたとハールビュールの関係は、捜査官と容疑者のはずだ。
剣聖だかなんだか知らないが、師匠と弟子の関係をもちこまんでくれるか」
だいぶ舐めた口を利く男だ。
おそらく相応の後ろ盾があって、ここまで大きな態度に出ているのだろう。
「……尋ねるが、この若者はあなたがたに抵抗したか?」
「あん?」
「……この若者になにか落ち度があったか?」
「なにを言う。
この小僧は平民でありながら皇族を殺害した。
落ち度もなにもあるまい」
「貴様はその現場を見たのか?
それとも状況証拠から推測したことを言っているのか?」
「この小僧がやったに決まっているだろう!」
「要は貴様の決めつけだな」
「………」
「ならば僕もこの少年を無罪と決めつけることとし、抵抗できない弟子に暴行を働いた卑劣な貴様を、師匠として斬り捨てることにしよう。
それでいいな?」
「ば、ばかなことを抜かすな。
剣聖などと言われているからといって図に乗るなよ。
私を斬ってここから無事に出られると思うのか」
僕はこの騎士の眼をじっと見て、それからゆっくりと言った。
「……なんなら、試してみるか」
男はやっと、僕の言っていることがたんなる脅しではないと理解したと見えて、顔色を変え、あとずさった。
「貴様には貴様の役目があろうが」
と、僕は穏やかに言った。
「われらにもわれらの役目がある。
冒険者に対する捜査は、ダンジョン管理局が優先権を持っている。
よって、ローエン・ハールビュールの身柄は、われわれが預かってゆく」
「ま、待て。
私の一存では……」
「さっさと錠をはずせ」
と、僕は言った。
「それとも貴様が法の執行に抵抗したので叩き斬ったと上役に報告しようか?
僕はどちらでも構わんぞ」
「お、おまえは知らないのか!?
保安局は内務省に属する!
われわれと衝突することは、内相たるウェンブリー公爵の……」
「もたもたするな、獄吏ふぜいが!」
僕は一喝したが、内心ではむろん事を荒立てたいとは思っていなかった。
僕ひとり腹を切るくらいは構わないが、ビクターに面倒をかけかねないし、肝心のローエンを救えなかったら本末転倒だ。
だが目の前のダニのような男だけはどうにか口実をつけて斬り殺してやりたいとは思っていた。
男は二度、僕のまえで鍵の束をとりこぼし、手間取りながらなんとかローエンの牢の錠を外すと、転げるように逃げていった。
僕は牢に入って、ローエンを抱き起こした。
さすがに男の子だ。
泣きはしなかったけれど、心底参っている様子だった。
「おなじ帝国の役人として恥ずかしく思うよ。
すまんな」
ローエンは僕を見上げて、微笑んだ。
すこし見ないあいだに、だいぶ顔つきが大人じみてきていた。
眼には精悍なひかりが宿っている。
僕はそれを見て、舌打ちしたくなった。
死を覚悟したことのある人間でなければこういう眼つきはしないものだ。
少なくとも、かれはもう子供の眼をしていなかった。
ここでどんな扱いを受けたか、問わずともわかった気がした。
階段のほうから、トントンと音がする。
すぐに、ビクターが降りてきた。
「なんとか局長と話をつけてきたぞ。
これでローエンを連れて帰れる……ん?」
「師匠が獄吏を叩き斬って出してくれました……」
弟子はにやりと笑って、冗談を言った。
「さて、ローエン君」
ビクターはダンジョン管理局の尋問室の椅子にローエンを座らせて、
「君の師匠の友人としては、君を信じたいし、慰めてやりたいとも思うが、オジさんはこれでも帝国の禄を食む者のはしくれだ。
皇族が殺害された事件の容疑者に対して、予断を持つことは許されない立場なんだ。
どうか分かって欲しい」
「それは承知しています、伯爵」
と、ローエンは答えた。
「まず率直に聞くが、君はナシュア殿下を殺害したのか?」
「いえ、していません」
ローエンはビクターの眼をまっすぐ見つめて、はっきりそう言った。
「わかった」
と、ビクターは言った。
「では、殿下と面識はあるか」
ローエンは机に視線を落として、
「あるかもしれない……」
と言った。
「どういうことかな」
「実をいうと僕は……吟遊詩人の真似事をしていて、夜になるとたびたび寮を抜け出し、カフェでリュートを弾きながら歌を歌ったりしていたんです。
ああいう猥雑な場所ですから、やんごとない身分の方は聴きに来たくてもおいそれとはいきません。
身分を偽り、街の女のすがたに扮してやってきます。
もちろん本名は滅多に名乗られません。
そのなかに、ナシュア殿下もいたかもしれない」
「思い当たる節でもあるのか」
と、僕は言った。
「付き添いの方を連れた、30過ぎくらいの気品のある女の人が、楽屋を訪ねてきたことがありました。
水占いの心得があり、宮殿の付近に住んでいるということを匂わされていたので、もしかしたらその人かもしれない」
「実はな」
と、ビクターは椅子の背ごしに僕を振り返って言った。
「ナシュア殿下がお忍びで街のカフェや劇場に出入りしていたことは、宮殿の警備担当者のあいだでは有名だった。
彼女は割とミーハーなところがあって、劇場のリハーサルの最中に、スターリングを尋ねてきたこともある」
「宮殿ぐらしはさぞ退屈と見えるな」
と、僕は言った。
皮肉のひとつも吐きたくなる。
ビクターは指でこつこつと机を叩きながら、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「……ところでローエン君は、ナシュア殿下が行方知れずになり、御首だけになって時計台から落ちてくるまでのあいだ、どこにいてなにをしていたか、証言することを拒んでいるそうだな」
ローエンは押し黙り、手許を見つめて動かなくなった。
この件に関しては、断じてなにも言うつもりはない、という意思表示かもしれない。
「君がそのことについてちゃんと話してくれると、オジさんたちはすごく助かるんだが」
「……ごめんなさい、なにも言えません」
「ローエン、いいか」
と、僕はたまりかねて言った。
「分かっているだろうが、君の沈黙は君をいちじるしく不利にするぞ。
それでも黙っているというのだな」
弟子は、僕の眼を見ようともしない。
ただ、小さく頷いた。
「……ならばもう問うまい。
勝手にしろ」
「もうひとつ、聞きたい」
ビクターは僕が調書の記入を終えるのを待って、言った。
「剣の鞘のことだ。
鷹に蔓草の模様が入った革の鞘なんだが」
「ええ、持っていました」
「いま、『いました』と言ったな」
と、僕は過去形であることを指摘した。
「盗まれたのか。
そうなんだな」
「わからない……」
ローエンはゆっくりと首を振った。
「五日ほどまえに、親しい冒険者に誘われてパーティーを組み、ダンジョンを探索したんです。
上位のアンデットのレブナントの群れと遭遇して混戦になり、なんとか敵を全滅させたのですが、ふと気づいたら鞘がなかった。
落としたのかもしれない」
僕は、それは考えにくい、と思った。
当然、剣の拵えは戦いを想定して頑丈に作ってあるものだし、ベルトにがっちりと固定されてもいる。
ちぎれたり損壊したりはありうるだろうが、気づいたらなくなっていたというのは釈然としない。
たしかにローエンには少し抜けたところがある。
しかし戦士としての身支度を、つまり鞘の固定すらちゃんとできないほどであれば、とうに紛失しているはずで、むしろ、いままで腰に残っていたはずがない。
「その、親しい冒険者とは誰だ。
名を尋ねてもいいか」
「ワルターさんです。
白銀のワルター」
僕とビクターは、思わず顔を見合わせた。
「君はヤツと付き合いがあるのか」
「僕が帝都へやってきて冒険者登録をしたとき、いろいろと面倒を見てくれたのがワルターさんでした。
あちこちのギルドや冒険者を紹介してくれたし、まったく収穫がなくダンジョンから出てきたときには食事を奢ってくれたり、宿賃を出してくれたりしました。
僕がなんとかやっていられたのは、ワルターさんのお陰みたいなもので……」
ビクターは、僕にむかって肩越しに親指をうしろに向けた。
尋問室から出て話そう、という意味だろう。
僕は黙って立ち上がり、ビクターに続いて扉を出た。
「解せないな……」
扉を閉じるなり、ビクターは言った。
「ローエンが君の弟子となり、剣士として名を挙げたあとならわかる。
ダンジョンにやってきたばかりの彼には、申し訳ないけれども利用価値などなかった。
白銀のワルターが、そういう少年の世話をあれこれと焼いていたとは……」
「ふうむ……」
と、僕は腕を組んでうなった。
「ローエンの所持品に目をつけていたのなら、さっさとダンジョンの奥まで連れ込んで身ぐるみを剥いで放置するまでのことだしな。
たしかに理解のできない行動だ……」
「ローエンもワルターには懐いているように見える」
「けれども、ここで頭をひねっていても仕方ない。
いまは尋問に戻ろう」
と、僕は言った。
「白銀のワルターとはどういう縁で仲良くなったのかな」
と、ビクターは椅子に腰かけるまえから尋ねた。
「切欠みたいなものがあったら、教えてくれないか」
「その……」
ローエンは歯切れ悪く、のろのろと言った。
「僕は実をいうと没落貴族で……父が主君に反逆し、その罪で僕の一家は平民に落とされました。
経緯が経緯だったので、親族から助けてもらうこともできず……」
ビクターは僕に軽く目配せをした。
ローエンは未来から来た疑いが強い。
そのことを念頭に入れるべきだという意味だろう。
僕はかるく頷いて返した。
「ワルターさんも、口ぶりからすると、どうやら没落貴族の系譜に連なる人のようで、それで僕に同情してくれたのかもしれません」
「カダドールの疑獄事件で巻き添えを食った一族かもしれんな」
と、僕は言った。
「もしかすると直接の子孫だろうか」
ビクターはうむ……と言い、ローエンにむかって、
「ところで君は、カダドール家と縁のある名剣を持っていたそうだが」
「どういう由来のものかは知りませんが、たしかに名剣を一振り、贈られました。
ワルターさんからです。
いまの君の腕にふさわしい剣を佩くべきだと言ってくれて……」
僕は調書に速記しながら顔をしかめた。
育ちのいい人間には、タダより高いものはないという言葉がなかなかピンと来ないのかもしれない。
「なるほど……事情は概ねわかったよ」
と、ビクターは言った。
「あの……もしかしてお二人は、ワルターさんのことを疑っているのでしょうか」
「言っただろう、ローエン」
と、僕は穏やかに言った。
「僕たちは役人だ。
なにごとにせよ予断を根拠にして行動するということはしない。
得られた証言の裏をとるなどして、実際になにが起こったのかを正しく見極めようと努めるまでだ」
「ワルターさんはいい人です。
僕には分かるんです。
彼が僕を陥れるようなことをするはずがない」
「君がワルターに恩義を感じていることはよく理解できる」
と、ビクターは感情のこもった声で言った。
「けれどな、ローエン君。
悪人はだれだって魂を黒一色で塗りつぶされている訳ではないし、善人が頭からつま先まで真っ白という訳ではないんだよ。
人間は善を為しながら、その一方で悪も為すものだ。
そういうものだとよくよく心得ておいたほうがいい」
「伯爵……」
「オジさんとしたことが、つい熱くなって説教じみたことを言ってしまった。
忘れてくれ」
ビクターは下級武官にローエンを牢に戻すよう命じた。
それから僕たちは尋問室を出、中庭がよく見渡せる手すりに並んでもたれた。
「白銀のワルターにはどうも憎みきれないところがあってな」
と、ビクターは言った。
「これは内偵を進めていてあがってきた報告のひとつなんだが、安酒場をめぐって奇術を見せるランダという老婆の手品師がいるんだ。
元は冒険者で、女魔術師をしていた。
寄る歳には勝てず、引退して、酔っ払いに幻術をかけては他愛のないものを見せ、小銭を稼いで日々をしのいでいる。
身寄りがないからそんなことをしている訳なんだが、そのランダが病で倒れたとき、ワルターは彼女のバラックを足しげく訪れ、あれこれと世話を焼いてやったらしい」
「ふうん……」
「もちろん、彼がウェンブリー公爵の権威を後ろ盾にしていろいろと動き回っているのは事実だし、現にああやってローエンをハメようとしているのも間違いないだろう」
ビクターは難しい顔をして髪をかき、
「ウェンブリー公爵の臣下の男が、うさんくさい葬儀社と共同墓地の運営に関与していることは話したよな。
じつは公安局のほうでも、その男を前々からマークしていたようでな。
名をグルーネルというのだが、その男が公爵の夫人にとりいって、あれこれやっているというのが、公安局の見立てらしい。
公爵自身はだいぶまえから呆けていたが、それをあくまで内相に据えていたのは、宰相が事実上、兼任するためだったということだ。
その夫人は、ウェンブリー公爵が七十を過ぎてから再婚した出自のよくわからない女でな。
公爵家でもひそかに悩みの種になっているという」
渡り廊下を、小走りに駆けてくるものがあった。
受付に配されている若い下級武官だ。かれはビクターに一礼し、
「ウェンブリー公爵から使者が来ています。
なんでもラッセル伯爵あての書状を携えてきたとか。
応接室でお待ちいただいております」
ビクターは怪訝な顔をした。
「内相がダンジョン管理局の主任捜査官宛に書状を寄越したのならわかるが、ウェンブリー公爵として認めた書状をなぜここに持ってくる。
僕の私邸に届けるべきだろう。
委細を聞いているか?」
「あ、いえ」
と、若い武官は歯切れ悪く言った。
「あれこれ尋ねるのも不躾かと思い……」
「いいかい、内相としての書状か、ウェンブリー公爵としての書状かでは、意味がまったく異なるんだ。
次からは、よく確かめるようにしてくれ」
ビクターが丁寧に説明してやると、武官は赤面して頭を深々とさげ、受付へと戻っていった。
「噂をすればなんとやら、だな」
と、僕は言った。
「ああ、行ってみよう」