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幻想の夜叉  作者: 栗山大膳
光と陰
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第七話

 それからローエンは放課後や休日に、僕を尋ねてダンジョン管理局や屋敷までやってくるようになった。


 剣術の指導を受けるためだ。


 彼は想像していたとおり、かなりおっとりした性格だったが、剣のことに関してだけは別だった。


 向上心はフューレルにも決して引けを取らなかった。


 ときには焦りの色さえ漂わせるほどだ。


 だから僕はくりかえし、先を急ぐな、急げば運命は君の背を掴んで引っ張ろうとする、むしろいくらでも遠回りに付き合うつもりで目指すところを虎視眈々と睨め、そうすれば自然と追い風が吹き、君をゆくべきところまで運んでくれる、と伝えた。


 それは僕の経験からくる確信であり、僕自身、祖父からくりかえし言われてきたことだった。


 しかしこういう言い回しは、当時の僕がそうだったように、若い子にはなかなかピンと来ないものだ。


 彼の行き過ぎた向上心が剣の軌道を歪めることがよくあった。


 こういうときはじれったく思いながらも、かれが気づくのを辛抱強く待つしかない。


 ローエンはもともと筋のいい剣士であり、やがてそのことに気づいた。


 肩から力を抜くことで、剣はむしろ威力を増すのだ。


 そのときの驚きようは尋常ではなかった。


 かれが僕の流派の奥義のひとつに初めて触れた瞬間だった。


 そろそろダンジョンに連れて行ってもいいだろうと僕は判断した。



 ローエンはそこで、自分がどれほど実力を伸ばしたかを、実地で確認することになった。


 フロアを埋め尽くす数えきれないほどのオーガの死骸をまえにして、彼は僕をふりかえった。


 信じられないという顔をしている。


 僕は微笑んで言った。



「この程度で調子に乗ってもらっては困るぞ。


 だがそのまえに、これだけの魔物を斬れば刃がボロボロだろう。


 皮肉なものでな、魔物を山ほど斬り散らかす腕がつけば、今度は別の悩みが生じるんだよ。


 並みの剣ではもたない、というな」



 ローエンは薄暗いダンジョンのなかで、剣に顔を近づけて、刃先を凝視した。


 そうしてたくさんの刃こぼれを確認し、あるいは指でじかに刃に触れて鋭利さが失われていることを確かめ、なるほど、という顔をしてうなづいた。



「これは裏を返せば、君もいよいよ名剣を腰に佩く資格を得たということだよ」



 このときの為に、日ごろから地下室の刀箪笥をまさぐっていたが、ローエンに相応しい剣が見つからない。


 僕自身、モノには淡白な性質で、名剣を収集しようという意識や欲があまりなかった。


 このときばかりは、そういう自分の性格が恨めしかった。


 師匠として、がんばった弟子に剣のひと振りくらい、刀のひと振りくらい、贈ってやりたいものだ。



「僕、先祖伝来の短剣を持ってます」


 と、ローエンは言った。


「おじいさんも父も、由緒あるものだと言っていました。


 むかしは長かったらしいのですが、あいにく折れてしまって、短剣に磨りなおしたのだそうです」



「そうか。


 しかし僕の流派ではあくまで長剣をつかう。


 できれば長剣のほうがいいな。


 もっとも、短剣も使う気になれば使えるが」


 僕はすこし考え込んだあと、


「ならば、その短剣はいざというときのために携帯しておけ。


 普段は長剣をつかうんだ。


 長剣が駄目になったり、長剣より短剣のほうがその場に相応しいと思えるときには短剣を取るといい」



 ローエンは首をかしげた。



「長剣より短剣のほうが相応しいときって、どういうときですか?」



「たとえば室内。


 こっちの世界ではそうでもないが、僕がいた世界では、むかしは屋内はどこもたいていせまっ苦しかった。


 長い得物を振り回していると柱や鴨居にひっかかってしまう。


 そういうときは短剣――脇差というのだが、そっちのほうがいい。


 それから、大斧やウォーハンマーを振り回している敵を想像してみろ。


 剣で受けるよりは躱して懐にもぐりこんだほうがいい。


 なぜなら受けると、剣ごと重みで叩き潰されてしまう可能性がある。


 しかしその分、重い得物は軌道を読みやすいから、躱すのは簡単だ。


 そういうときには短剣のほうが小回りが利き、さばきやすい」



 かれは脳内に描いた大斧をかわして、剣を斬り下げる。


 その瞳は真剣そのものだった。



 それにしても、ローエンはフューレルとよく似ていた。


 歳もおなじくらいだし、僕が指導したのだから、似てくるのも当然かもしれなかったが、ことに剣へのある種のストイックさはうりふたつと言っても良かった。


 ふたりとも、根が生真面目なのだ。


 それがひとつのことへむかうと、凄まじい集中力と辛抱強さを発揮する。


 しかし剣を離れたときの性格は正反対だった。


 フューレルはいつもなにかに怯えているようだったが、ローエンは伸び伸びとした心をもっていた。


 その対比に思いを馳せていると、なんともいえない感慨に胸を覆われた。



 ローエンはまず人見知りというものをしない。


 僕の屋敷をはさんで向かいにヨナ・ミリアムという貴婦人が住んでいることはすでに触れたが、ダンジョン管理局からの帰りの途中に、ローエンが屋敷の窓ごしにヨナ・ミリアムとなにやら談笑しているのを見かけた。


 ここで声をかけると会話を切り上げさせるかたちになる。


 ヨナのような女性からすれば、ローエンみたいな少年と話すのはきっと心楽しいことだろう。


 そう思って僕は声をかけず、道を迂回して屋敷にもどった。


 それから半時間ほどしてローエンが屋敷を尋ねてきた。


 ローエンはヨナと立ち話をしたとまでは言わなかったが、どのような女性なのだろう、師匠はご存じですか、と尋ねるので、メイドのローラを呼んで話を聞かせてやった。


 ローエンは、うんうんと頷くだけで、感想らしきことは一言も言わなかった。


 それから、床に視線をおとしてなにか考えているふうだった。


 ローエンがヨナ・ミリアムのことをどのように考えたのか、立派だと思ったのか、それとも可哀そうだと思ったのか、聞いてみたい気がしたが、剣の師匠としてはその受け止め方にまで影響を及ぼすつもりはなかったので、黙っていた。


 我の強い子だったらそのことを尋ねてすこしくらいは話し合ったかもしれない。



 それからローエンはすぐに剣士として名をあげた。


 学院のクラスで剣術の代表に選ばれ、クラス対抗戦であっさり優勝した。


 勝ち抜き戦の先鋒だったので、かれ以外のクラス代表は剣を握る機会さえまわってこなかった。


 ローエンは一年生ながら、上級生のだれも歯が立たなかった。


 僕の弟子だということも明らかになり、学院のみならず冒険者や政府の武官のあいだでも一目も二目も置かれるようになったが、僕はさほど気にとめなかった。


 それくらいで天狗になるような少年ではなかったからだ。


 むしろ恐懼しているかもしれない。


 そういうところは僕に似ていた。


 ただ、ゼシカと一緒に報告にきたときはさすがに嬉しそうだった。


 僕は喜色が顔に出ないように細心の注意を払いながら、


「僕の弟子なら、それくらいは当然だ」


 と言った。



 ただ、それからローエンは多忙になった。


 学院のなかではダンジョン探索組から熱心に誘われ、一般の冒険者のあいだでも彼と組みたがるものが多かった。


 ミリアム公爵家でも令嬢のゼシカ殿に付けるのではなく、当主の側近に登用すべきという声が出たし、皇帝陛下の直臣にとりたて、騎士の叙勲を授けるべきだという声まであった。


 それでミリアム家中のひとや宰相府の担当者が師匠の僕に接触してきた。


 僕はそういう話は直接本人にしてくれと言ってとりあわなかったが、ともかくローエンは基本的に、ひとから物を頼まれれば断らないタイプだったので、徐々に自分の時間が取れなくなっていった。


 自然、僕のもとへ剣を教わりにくる回数も減った。


 正直なところ彼にはまだまだ伝えたいことがあったが、いずれ弟子は師匠のもとから独り立ちしていくものであり、僕は黙って彼の活躍を見守ることにした。



 それが、あるいは間違いだったかもしれないと気づいたのは、季節が変わって街路樹の葉が色づき始めた頃だった。


 珍しくビクターの使いが非番の僕の屋敷にやってきて、ただちに御出仕願いたいという。


 ただ事でないのはすぐに分かった。


 身支度を整えてダンジョン管理局に出て、ビクターのオフィスのドアをノックすると、待ち構えていたように、入ってくれ、と返事があった。



「なにかあったのか」



「順を追って話そう」


 と、ビクターは緊迫した声で言った。


「君はナシュア殿下が一昨日から行方知れずになっている件は知っているか?」



「いや、初耳だ」



 ナシュア殿下の詳しい系譜は知らないが、皇位継承権の10位台に名を連ねる方で、帝国最高裁判所の特務判事を務めておられる。


 御歳は30過ぎ、女性である。


 水占いという皇族の女性のみによって継承されてきた占いに長じておられ、先帝時代には相談役のひとりとして軍師にも任じられていた。


 占いの腕は確かで、数多の会戦の勝敗を占っていちども外すことがなかったという。


 ビクターや現宰相のマンティコア大公も、その占いには一目置いていたと聞く。



 水占いは帝国が興るはるか以前から権威をもっていた。


 政治や軍事の問題が紛糾すると、水占いに長じた女司祭が占いをして、それに裁断を下した。


 そうして占断は実際によく的中した。


 自然のエレメントが充実しているところに湧く泉の水をとってきて、盥に張り、祝福を与えて凝視する。


 そうすると、ビジョンが見えてくるらしい。


 それを判断するのだ。


 小麦の凶作、漁の豊漁、疫病の収束、魔物の群れとの野戦の帰趨など、その占いの記録はあますところなく宮殿の書庫に収蔵されている。


 そういう歴史的経緯があって、帝国の初期には、裁判が紛糾すると、水占いで有罪・無罪を決することがあった。


 もちろんまともな理性の持ち主ならば、その占いがどんなに当たるとしても、有罪・無罪を占いに委ねるのは適切でないと考えるだろう。


 従って、近代以降は、水占いによって有罪・無罪を判じる特務判事はほとんど名誉職のようになっており、ナシュア殿下が占いをもって裁判の結果に影響を与えたことは、ほとんどない。



 ただ、一度だけあった。



 カダドール侯爵という帝国の南端に大きな版図をもっていた大貴族が謀反の疑いで逮捕されたとき、水占いが行われた。


 これには政治的な事情があった。


 当時、先帝メルヴィンは即位したばかりで政権の基盤を確立しておらず、命に服さない門閥貴族をなんとしてもその手で処断しなければならなかった。


 強硬手段に出てでも帝国をひとつにまとめる必要があったわけだ。


 それにカダドール侯爵のほうにしても、帝国の法に反して貴族どうしで勝手に婚姻を結んだり、帝国が安堵した貴族の領地を勝手に併呑したりして、簒奪の野心をちらつかせていた。


 実際に具体的な謀反の計画があったのかどうかは別にしても、疑わしいことをいろいろとしていたのは事実だった。


 それで先帝はカダドール侯爵の居館を急襲して一族の主だった者たちの逮捕に踏み切った。


 しかし予想外の数の貴族がカダドールを擁護したために裁判が長引き、なかなか有罪に持ち込むことができなかった。


 それで先帝陛下はナシュア殿下に半ば強引に茶番の水占いを行わせ、カダドール侯爵に有罪の判決をくだして一族もろとも処刑し、その所領を没収した。


 そのような処置をとらなければ、おそらく帝国は内戦になっていただろう。


 メルヴィン先帝陛下がやったことに法的な落ち度がなかった訳ではないが、現在では、多くの貴族や高官たちのあいだで、あれは仕方のない処置だったと認識されている。



「昨夜、ホラーな事件が起こったんだ」


 と、ビクターは言う。


「カシジュ恩賜公園時計台から女性の首が落ちてきた。


 あそこは歓楽街に近く、高級ホテルが立ち並んでいる。


 夜でも割合人通りの多いところだ。


 そこへだしぬけに首が落ちてきたものだから大騒ぎになった。


 保安局の連中がただちに駆けつけてその首を検めたところ、ナシュア殿下に酷似していた。


 それから時計台にあがって調べてみたところ、短針と長針のあいだに首からしたの女性の体が据え付けられていたことがわかった。


 近隣の高級ホテルの宿泊客に聞き込みをしたところ、複数が、夜風に乗って響いてくる悲鳴を聞いている。


 どこから聞こえてきているのかまでは分からないということだったが、それはどうやら……ナシュア殿下のものだったようだ。


 殿下と遺体の身体的特徴がピタリと一致した」



「そうか、それは可哀そうなことだった。


 カダドールの遺臣に恨まれでもしたかな」


 と、僕は言った。


「しかし、ダンジョン管理局にとっては管轄外の事件だろう」



 ビクターは額に手をあてて、うなだれ、いいか、落ち着いて聞けよ、と言った。



「ついさっき、容疑者が逮捕されたという報せが届いた。


 君の弟子の……ローエン・ハールビュールだよ」



「バカを言うな」


 と、僕はほとんどうなるように言った。


「ローエンはどんな理由があろうと女を手にかけるような男ではない。


 百歩譲ってかりにそうだとしても、時計台に据え付けて短針と長針のあいだに首を挟んで固定するような、そんな残忍な殺し方は断じてしない」



「わかってる、落ち着け」


 と、ビクターは言った。


「さいわい、ローエンは冒険者登録をしている。


 ローエンが容疑者だというのなら、ダンジョン管理局としては首を突っ込むれっきとした口実があることになる」



 僕の心臓は早鐘のように鳴っていた。


 フューレルだったのものをダンジョンのなかで追い詰め、この手で斬ったときの、あの嫌な記憶が蘇ってくる。


 僕にはなにか弟子に不幸をもたらすような呪いでもかかっているのだろうか。


 もし運命というものに顔面があるのなら、襟首をつかんで殴りつけたい気分だった。



「証拠はあるのか」


 と、僕はあえぐような声を出した。


「ローエンが殿下を手にかけたという証拠は」



「疑わしい点が三つ、あるようだ」


 と、ビクターは言った。


「ひとつには、時計台の機械室にローエンの佩剣の鞘が落ちていたこと。


 革製の鷹と蔦の文様の入ったやつだ。


 あれは革をなめすときに特殊な薬品を使っていて、帝都では手に入らないものらしいんだ。


 恐らく……彼が未来から来たことと関係があるのだろうな」



「ハメられたんだよ……間違いない」


 と、僕は言った。


「ローエンは近頃、冒険者とも付き合うようになった。


 クソ、よく忠告を与えておくべきだった。


 ああいう連中のなかにはとんでもないのが混じっている、決して見掛けに騙されるな、とな」



「あいにく、ローエンから盗難の届けは出ていないようだ」



「二つ目は?」



「ローエン自身が昨夜の晩どこにいたのかについて説明することを拒んでいる」



「なんだって? 学生寮にいたはずだが?」



「抜け出していたようだ。


 同室の寮生たちが証言している。


 かれらは初めのうちはローエンのことを庇っていたようだが、保安局の捜査官が厳しく問い詰めたところ、白状した」



「ローエンはときどき、吟遊詩人に扮してカフェで歌っていたのだろう?


 それではないのか」



「残念ながらその時間帯に演奏はおこなっていない」



 僕は舌打ちをこぼした。



「第三の理由がちょっと深刻なんだ」


 と、ビクターは黒髪をかきまわしながら言った。


「ローエンはカダドール家にゆかりのある名剣を所持していた」



 僕はローエンが先祖伝来の短剣を持っていると話していたことを咄嗟に思い出した。



「それは長剣か、それとも短剣か」



「長剣だ」


 と、ビクターは言った。


「保安局の連中は、もしローエンがカダドール家の系譜に連なるものであったとすれば、ナシュア殿下を逆恨みする理由がある、つまり動機がある、と考えているようだ。


 カダドール侯はナシュア殿下の水占いによって有罪にされ、処刑されたのだからな」



「あれは先帝メルヴィン陛下のお指図によるものだろう。


 誰もが事情を知っている。


 なぜカダドール家のものがいまさらナシュア殿下を恨むというのだ。


 まさか、保安局の連中はその筋書きを真に受けているのではあるまいな」



「ともかく、ローエンの身柄をダンジョン管理局に移す必要がある」


 と、ビクターは言った。


「それも一刻も早く、だ。


 君が推測するように、彼がハメられたのだとしたら、連中はかならず処刑を急ぐはずだ。


 なにしろ彼は平民だから、拘留中の手違いで命を落としたとしても、担当者のすまなかったの一言で済んでしまう。


 腹立たしいが、封建社会というのはそういう社会だ」



「では、急がなければ!」



「いちおう書状は送ってある。


 ダンジョン管理局のほうでもローエンに尋問したいことがあるので面会させていただきたい、とな。


 彼らにローエンを始末する意図があったとしても、さすがにすぐには手を出せないはずだ。


 しかし尋問のあとは分からん。


 なんとかローエンの身柄をダンジョン管理局へ移せればいいのだが……」



 ビクターは、ともかくこれから向かおう、と言って立ち上がった。

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