第六話
医務室のベッドに横たわって、虚ろな眼で天井を見つめているローエンは、十日前に僕のもとへやってきた彼とは、別人になっていた。
瞳は澄み切っていて、頬から首のあたりにかけてはっきりと精悍さが漂っている。
茫洋とした雰囲気は残っていたが、たったいま死線を潜り抜けてきたような剣士らしい鋭い気迫が滲み出ていた。
僕は内心、よく頑張った、と声をかけ、それからローエンの枕元に近づき、顔をのぞきこんだ。
「やりきりました……」
と、ローエンは言った。
「見れば分かるよ」
と、僕は言った。
「君がこれから戦場、あるいは決闘の場で名乗りをあげるときには、師として僕の名を挙げてかまわない」
「そ、それじゃあ……僕を弟子に……」
僕は微笑んで頷いた。
「もちろんだ」
ローエンの切れ長の眼のはしに、涙が溜まる。
しかしそれよりホッとしたせいで極度の疲労に抗することができなくなったのだろう、ゆっくりと首から力が抜け、すぐに寝息を立て始めた。
ローエンは夢のなかでも剣を振り続けるだろうが、それでいい。
そうして彼は、いずれ、意識の表層ではなく、魂魄でもって剣を扱うようになるだろう。
ちゃんとした剣さえあれば、碁盤や岩を斬ることも決して不可能ではないと、感覚的にわかるようになるはずだ。
さて、この少年を剣士としてどう仕上げていくか。
思案に耽っていると、ビクターがローエンのインディゴ染めの帆布の鞄をとってひらき始めた。
「おい、なにをしているんだビクター」
「見ればわかるだろう、持ち物チェックだよ。
煙草や酒が入っていないかを確認しないとな。
君もせっかくの弟子を非行に走らせたくはあるまい?」
「それは君の役割ではないし、ダンジョン管理局の仕事でもないぞ」
「まあそうカタいことを言うな。
……あった」
ビクターは鞄のなかから、黒い紐のようなものをとりだした。
続いて、四つ折りの黒い布をひろげてテーブルに置いた。
「やはりな……」
と、あごに手をやる。
「おいおいビクター」
僕は呆れながらそれらのものを眺めて、あっと思った。
「なぜ、こんなものが……」
黒い紐に見えたものは、ポータブルの音楽プレイヤーで、四つ折りの布はソーラーパネル付きの充電器だった。
ビクターはヘッドホンを耳にあてて、再生ボタンを押す。
シャカシャカと音楽が漏れ聞こえてくる。
ビクターはにやりと笑い、それを僕の耳にあてた。
聞いたことのない曲だったが、それは確かに、僕たちが元いた世界の、2000年代以降に制作されたとしか思えない楽曲だった。
打ち込みっぽいヒップホップ風のリズムに、シンセサイザーにしか醸せない美しいストリングスの音色が乗っている。
ピアノが和音を付けているが、明らかに古典音楽の弾き方ではなかった。
ジャズや黒人音楽のそれだ。
女性のヴォーカルを聴くかぎりでは洋楽っぽかったが、歌詞は英語ではない。
……いや、いいまわしはだいぶ違うが、まぎれもなく大陸の言葉、キュローヴ語だ。
僕は熟睡しているローエンをまじまじと見た。
「かれが冒険者になるまえ、どこにいたか、これで分かったな」
と、ビクターは言った。
「ローエン君は未来から来たんだよ。
なんらかの事情があって、な」
「君は迷いなくローエンの鞄を検めていたな。
まるで最初からそれらがあると知っているふうだった。
どうして分かったんだ」
「この少年を、ある場所で、見かけたんだよ」
ビクターはポータブル音楽プレイヤーと充電器をていねいに鞄に戻してから、壁に寄りかかって黒髪をかいた。
「実はな、こないだ、スターリングに熱心に誘われて、演奏つきのカフェに音楽を聴きにいったんだ。
いま人気急上昇中の若い吟遊詩人がいるという話でな。
なんでもかなり奇妙で斬新な、すばらしい音楽を奏でる。
カフェのなかは満席、立ち見もたくさんいて、ごった返していた。
若い女の子だらけで辟易したけれど、えらく盛り上がっていたよ。
で、吟遊詩人がリュートを弾きながら歌う曲がな、どこからどう聴いても、この世界の古典的な、あるいは民謡的な音楽ではないんだ。
なんといえばいいのか、僕らがいた世界のミュージシャンを例にとるならば、たとえば、U2やデヴィッドボウイ、サンディトム、シェリルクロウといったあたりを連想させる、洗練された現代的な音楽だった。
その吟遊詩人が……」
ビクターはあごでローエンを示し、
「まさにこの少年なんだよ」
「そういえば、君は最近、転移魔法の書籍を収集しているらしいな。
なんでも、時間を超越する術式にも詳しいとか」
ビクターは盛大にキョドった。
「な、なぜ知っている。
というか、その話をここでするな。
誰かが聞いていたらどうするんだ」
「君にとっては十分に考えうることだったという訳だな、タイム・スリップが」
僕は港湾局の受付のひとに馬車をまわしてくれるよう頼み、ローエンを背負って、馬車に乗せ、馬丁に多めの料金を渡して、大サリュード記念学院の学生寮まで運んでくれるよう頼んだ。
「やれやれ、手のかかりそうな弟子だ」
僕は馬車を見送りながら呟いた。
「これからどうするんだ」
と、ビクター。
「ローエンが自分から言ってくるのを待つよ。
言いたくないのなら言わなくても構わないし。
どこから来たにせよ、ローエンはローエンだ。
師として最善を尽くすだけさ」
「まあ、そうするしかないだろうな」
と、ビクターも認めた。
「しかし、彼がなにを目的としているのか、君が授けた剣術がなんのために使われるのか、気にはならないのか」
「もちろん、なるよ」
と、僕は言った。
フューレルの失敗がある。
おなじ轍はくりかえしたくない。
「けれども、結局のところ、信じるほかないだろう」
「君のそういうところはなかなか真似ができないよ」
ビクターは、呆れたとも感心したともとれる口調でそう言った。