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幻想の夜叉  作者: 栗山大膳
光と陰
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第五話

 その日はダンジョン内で遭難したパーティーの捜索が明け方ちかくまで長引いたため、午前中いっぱいは仮眠に当て、昼過ぎになって仕事の打ち合わせのためにビクターのオフィスにむかったところ、扉のそとまで含み笑いの声が漏れていて、嫌な予感がした。


 案の定、入るなりヤツはざまみろとでも言いたげな顔で巻紙を放ってきた。


「とうとう君にも来たぞ、年貢の請求書が」



 まわして封蝋を確かめてみると、あの大サリュード記念学院の校章が捺されていた。


 その場で小柄を抜いて切れ目をいれ、ひらいてみると、ざっと次のようなことがしたためられていた。


 貴様近頃はなにかと手柄を立てて剣聖などと呼ばれているようだが図に乗るなよ。


 いつになったら弟子をとるのだ。


 その気がないならさっさと学院に出頭しろ。


 ちょうど剣術の教官に空きがある。


 なんなら使ってやってもいいぞ。


 管理局の仕事はクソがつくほど忙しいだろうがそんなことは我々の知ったことではない。


 はやく返事をしたほうが貴様のためだ。


 ところで貴様も貴様なら義兄も義兄だな。


 貴様らも帝国の貴族や騎士のはしくれならさっさと責務を果たせ。


 わかったか若造め。


 で、末尾に院長の仰々しい署名がある。



「あきれるほどに慇懃無礼な書状だな」


 と、僕は言った。


「君がガン無視を決め込むことにした気持ちがよくわかったよ」



「真面目な話、帝国の前途有望な若者たちを相手に鬼軍曹ごっこをしてもいいと考えているなら、半年くらいの穴はこっちでなんとか埋めるぞ。


 どうする?」



「冗談ではない」



「では、弟子を取らねばな」


 と、ビクターは言った。


「あてはあるのか」



「そのまえに、この院長はひとつ事実誤認をしている。


 僕は弟子を拒んだことはない。


 ただ、二回目の指導を受けにくる者がいなかったというだけだ。


 それなのに帝国騎士としての務めを果たすつもりがないのではないかなどと遠回しにでも言ってくるのは無礼ではないか」



「頼むから叩き斬るとか言い出さないでくれよ」



「心配はいらない。


 近頃はただでさえ剣のことで子供にまでもちあげられて恥ずかしい思いをしているんだ。


 このうえそんな真似ができるか」



「剣聖と呼ばれるのがそんなに嫌か」



「我々がいた世界で剣聖といえば上泉信綱や塚原卜伝だぞ。


 幕府指南役の柳生宗矩や小野忠明でさえ剣聖とは呼ばれていない。


 ほんとうに勘弁して欲しいよ」



「だがこの世界では、君は確実に剣術のトップ・ランナーのひとりだぞ」



「いや、それはわからないよ。


 もしかしたら、僕よりはるかに使う名もなき達人が、僕が剣聖などと呼ばれているのを聞いて、鼻で笑っているかもしれない。


 それに、実際に君の言うとおりだとしても、そんなことは重要ではない。


 自分の未熟さは自分がいちばんよく分かっている。


 自分は剣術ができるなどという顔をしていいレベルではないんだよ。


 だいたい、僕は子供のころから、まわりの大人たちがどれだけストイックに剣の道に打ち込んできたかをこの目で見てきた。


 それにひきかえ僕はどうだ。


 祖父の的確な教えと少しばかりの才能のうえにあぐらをかき、ダンジョンで魔物を斬り散らかしているだけの話だ。


 この程度で思い上がっていたら、いつかひどいしっぺがえしを食らうだろう。


 剣術の道はあまくないんだよ、ビクター」



「頑固だな、君は」



「もちろん帝国の剣士のひとりとして、僕なりに務めは果たすつもりだよ」



「そういえば、こないだレノ女史の紹介で学院の生徒を指導していたらしいな」


 と、ビクターは机にのりだす。


「どうだ、宿題には耐えられそうか」



「まったく見当がつかない。


 なにしろ、今までにちゃんと課題をこなしてきたのはフューレルただ一人だからな。


 十中八九、だめだろうとは思うが、ほんの少しだけ、期待してはいるんだ」



「ほう、君にわずかでも期待をかけさせるとは。


 そやつ、なかなかの少年と見たぞ。


 名をなんというんだ」



「ローエン・ハールビュール。


 学院高等部の一年生だ。


 アナトア家の奨学金を受けている。


 平民で、入学するまでは冒険者をしていた」



「アナトア家の奨学金……ということは、ゼシカ殿の小姓だろうか」



「知っているのか」



「当主のフォルリ・アナトア公爵とは先帝陛下の指揮のもとでともに戦ったことがある。


 その縁で、ゼシカ殿とは宮廷でいちど言葉を交わしたことがあってな。


 むこうは忘れているかもしれんが。


 水色の瞳にそばかすが印象的な、なかなかきれいなお嬢さんだろう?」



「ああ、そうだ」



「あの子が15歳になるのだから、そりゃあ僕も歳をとるわけだ」



「ところで、君はハールビュールという姓を聞いたことがあるか」



 ビクターはなにかを思い出そうとするように虚空をじっとにらんでから、


「いや、ないな。


 おそらく偽名ではないか」



「なぜ、そう思うんだ」



「『ハールビュール』は古代キュローヴ語で月蝕を意味する。


 どこの古代文明でもそうだが、太陽と月は肉眼でもっとも大きく見える天体であり、ひかりの源であり、神や女神と同一視されることが多い。


 その太陽や月がかくれる蝕という現象は、たいてい不吉な兆しと考えられているんだ。


 もちろん帝国でも、だよ。


 それを姓にしようとする者はいない」


 しかしな……と、ビクターは少し物思いにふけるふうだったが、やがて、いや何でもない、考え過ぎだろう、と言った。


「……なあマキシム、その男の子のことを話して聞かせてくれないか」



 僕は、ローエンの茫洋とした表情のこと、泰然とした態度のこと、見かけによらず侠気に富んでいること、いきなり言い訳からはいる規格外のところ、そして剣術に対してかなり丁寧な感覚を持っていることなどを、ひととおり話して聞かせた。



「面白いではないか」


 と、ビクターは言った。


「しかし、だとすると、なおのこと解せんな……」



「気になることでも?」



「まあ待て……」


 彼はたちあがって、初夏の明るい大通りを見渡せる窓のほうへと目を転じた。


「こういうときはな、結論を急がないほうがいいんだ……」


 と、自分に言い聞かせるように呟く。



 街の喧騒と、南風が街路樹を揺するざわざわとした葉音が、ビクターのオフィスに染み渡るようだった。



「ああ、そうだ」


 と、ビクターは急に思い出したように言った。


「仕事の話をすっかり忘れていた。


 白銀のワルターのことだが、君とマリーノの見立ては当たっているかもしれない。


 記録を調べてみたんだが、ワルターはいままで75体の冒険者の遺体をダンジョンから持ち出している。


 そのすべてがロンド葬儀社に引き渡され、郊外のジャドール共同墓地に葬られていた。


 で、部下に調べさせたところ、ロンド葬儀社は実体のほとんどないペーパー・カンパニーで、ジャドール共同墓地はその筋では猫の額ほどの敷地に大量の遺体を埋めることで有名だということが分かった。


 埋葬しているところを見たことがないと証言する地元のお年寄りも幾人かいる。


 石工組合の帳簿によれば、ジャドール共同墓地に最後の墓石が納入されたのは、なんと二年前だよ」



「そんなところだろうと思った」



「次、あのパーティーが棺桶を引きずっているのを見かけたら、ためらわず蓋を開けさせて構わないぞ。


 あとのことは僕に任せろ。


 なに、内務省から横やりが入っても、のらりくらり、いくらでもごまかしてやるさ」



「そのことなんだが……」


 僕は思慮をまとめるためにすこし間をおいて、


「これは慎重に内偵をやったほうがいい気がする。


 かりに内相の、なんだっけ……」



「ウェンブリー公爵か」



「そう。


 そいつ、あるいはその近辺の高官がいちまい噛んでいた場合、ワルターは尻尾きりを食らうだけの話だ。


 よく考えてみろビクター、冒険者と葬儀社と共同墓地をまとめて意のままにできるなら、ダンジョンからの死体の回収をうまく隠れ蓑にして、生きた人間を消し、また死んだ人間を生きているように見せかけることもできる」



 ビクターはにやりと笑って、



「君もいよいよそこまで思慮が回るようになったか。


 僕はうれしいよ……」


 と、芝居がかったしぐさをつけて言い、


「ややこしい話をして君とマリーノを混乱させてはいけないと思ったので詳しいことは言わなかったが、むろんその内偵にはすでに取り掛かっている。


 ロンド葬儀社を登記したのはウェンブリー公爵の臣下で、この男はジャドール共同墓地の運営にも関与していることが分かっている」



「やはり、繋がりがあったか」



「今度、ギルドの親父をつついてみるさ。


 遺体回収の依頼の裏を取れば、簡単に吐かせることができるかもしれない。


 ……ただこいつは最悪の場合、かなりデカい山になる。


 政治的な事情も絡んでくるだろう。


 そうなった場合、さすがの僕でも黙らざるを得なくなる。


 そうなるまえに問題を公にしてしまったほうがいい。


 公になれば、お偉いさんどうしの水面下の話し合いでは決着がつかなくなるからな。


 それで君とマリーノには、派手にやって欲しかったんだよ。


 だから、小難しい話はあとまわしにした」



「そういうことなら任せておけ。


 こんどダンジョンでワルターと顔を合わせるのが楽しみだな……」



 それからマリーノと、ビクターの命で調査に当たっていた同僚のウォルフ・ラインズとトール・ラバンを加えて、情報交換と今後の動き方について打ち合わせをした。


 それが大方終わるころになって、どこぞの役所の若い文官がビクターのオフィスを尋ねてきた。



「捜査官の詰め所で、ヴォイド準男爵がこちらにおられると伺ったので……」



「僕になにか用だろうか」



「通りで行き倒れた若者が、あなたの名前をうわごとのように呼んでいまして……


 身元のはっきりしない者を取り次ぐのもいかがなものかとは思ったのですが……


 声に鬼気迫るものがあって、どうにも放っておけず……」



 それでようやく思い出した。


 ローエン・ハールビュールに型を教えてからちょうど十日が経っていた。



「もしかして、焦げ茶の髪で、剣の鞘に鷹と蔓草の文様が入った?


 15歳くらいの?」



「はい、おっしゃる通りで」



 彼がまじめに型の回数をこなしたのならば、報告に来ようとして行き倒れるのも無理はなかった。


 なにしろキツいことこのうえない課題だ。


 数日休んで体力をじゅうぶんに回復させてからにすればよいものを。


 ちゃんとやったかどうかは見れば分かる。


 慌てる必要はないのだ。



 僕はこのとき、ローエンがきっちりと宿題をこなしてきたことを、何故か確信していた。



「そいつは弟子です」


 と、僕は言った。


「よく知らせてくれました。


 案内していただけますか」



「僕もいこう」


 と、ビクターは椅子の背にかけた革のジャケットを取りながら言った。



「いま、港湾局の医務室で休ませています。


 ここからすぐのところです」



 文官は、窓越しに、昼さがりのひかりに満ちた通りのほうを手で示した。

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