第四話
それから僕とマリーノは、ゴブリンだのオーガだの、頭数だけはやたらぞろぞろいる雑魚どもを除草業者のように狩り散らしてダンジョンの巡回を終えた。
魔物の種族のうちにも階級があって、個体がその集団のなかでどれだけ力があって周囲から尊重されているかで、ノーマル、リーダー、選良、覇者の四つに分けられるのだが、ちょうどオーガの覇者に出くわしてそいつを仕留めてみたところ黄金製の王冠をドロップしたので、ふたりして持ち出して質屋で現金に換え、そのへんの冒険者たちをかき集めてレストランを貸し切り、明日はけっして非番という訳ではないのだということをすっかり失念して、ドンチャン騒ぎをした。
もちろん気障ったらしいワルター一味の興味深いうわさ話でも聞ければと思ってのことだったが、わいわいやっているうちに、そんなことはすっかり忘れてしまった。
気づいたら宿のベッドに横たわっていて、女戦士のリュリュが一糸まとわぬすがたで僕の二の腕を枕にしていた。
燃えるような赤毛の髪に半分うもれた寝顔にはクール・ビューティーと呼ぶに値する可憐さがあったけれど、あいにく上腕も太股もバッキバキで、腹は六つに割れており、お尻はキュッと締まり、なにより声がすこし低いせいで、いくら頑張ってしなをつくろうとしても、女の子としてはやや風情に欠けるところがあった。
僕はベッドの端に座ってしばらく頭を抱えた。
最近、めっきり酒に弱くなった気がする。
あるいはもとから自分が思っているほど強くなかったのかもしれない。
とにかく、後ろを振り返っていても仕方がない。
リュリュが起きだすまえにダンジョン管理局の制服をまとい、さっさと宿を出ることにした。
宿泊料は多めに払っておいた。
宿のひとはきっと彼女に豪華な朝食を出してくれるだろう。
目覚めて僕がいないと気付いたリュリュが、それで機嫌を悪くしないでくれるといいのだが。
ところでマリーノはどこでなにをやっているのだろう。
昨夜はだいぶ飲んでいた。
あいつがちゃんとダンジョン管理局に出てこれるのか気にはなったが、まあ大人なんだし自力でなんとかするだろうと思いなおして放っておくことにした。
僕のほうも他人の心配をしている場合ではなく、昨日の酒がたっぷり身体に残っていて、シャツのまえをみぞおちのあたりまではだけ、髪はぼさぼさ、準男爵としてはあるまじき恰好でダンジョン管理局の廊下をよたよたと歩いた。
まぶしい朝日と職員どものざわめく声が恨めしい。
中庭の井戸端で顔を洗い、こみあげてくる吐き気に耐えていると、15、6歳くらいの女の子がおずおずと声をかけてきた。
「あのう……お伺いしてもよろしいでしょうか……」
「なんだ」
割れるような頭痛と必死に格闘していた僕には、彼女の顔をちゃんと見る余裕すらなかった。
声にもだいぶ冷淡な響きがあったと思う。
「あなたが剣聖マキシム・ヴォイド準男爵でしょうか」
「僕をからかっているのか?」
と、思わずうなるように言った。
「このヘボ剣士をつかまえて剣聖とはよく言ってれたものだな。
恥ずかしくて死にそうだ。
そんなに僕を殺したいか」
「えっ……でも……」
「とにかくオジさんは今とりこみ中だ。
そっとしておいてくれるか」
「あの……大丈夫ですか……」
「さあ、僕にもわからん……」
いよいよ耐えられなくなり、小走りになってトイレに入り、うめき声をあげながら苦しみの種をすべて吐き落とし、またよたよたと井戸端に戻ってきて顔を洗った。
シャツのボタンをとめながら、気づけば、まだ女の子がいる。
革のドレスをまといブーツを履き、腰には鞭とレイピアを提げている。
淡い水色の瞳に、長いあでやかな金髪。
そばかすが少しばかり目立ったが、なかなかの美少女だ。
が、ロリコンのビクターが食いつくにはちょっと歳をとり過ぎている。
つまり、大人の気配を帯び始めている。
そんな感じだった。
その少女のうしろに半分隠れるようにして、男の子が立っていた。
こちらは黒のチュニックに草色のズボンを履き、腰にはロング・ソードを佩いている。
革の鞘に施された鷹と蔓草のデザインの装飾がなかなか洒落ていた。
足元は編み上げのショート・ブーツ。インディゴに染めた帆布の鞄を肩にかけている。
ほとんど黒に近いこげ茶の髪と瞳をもっていた。
よく整った顔立ちだが、よびかけたら返事がくるまで半日くらいかかりそうな、茫洋とした表情をしている。
しかし眼つきは決して愚鈍な印象を与えるものではない。
臆病者によくある卑屈な眼つきでもなかった。
たとえるなら、地上のくだらないあれこれを超越した秋の高い雲のような、泰然とした涼しげな眼つきだ。
端的に表現するのがむずかしい、ある種の独特な雰囲気をもつ少年だった。
その二人を見ていて、ようやく思い出した。
昨日、シルヴィアから、大サリュード記念学院の男子生徒に剣術を教えてやって欲しいと頼まれ、その気があるなら僕を訪ねてくるよう伝えてくれと答えたことに。
僕はバツが悪くなって、頭をかいた。
「君たちが……シルヴィアの言っていた子たちだな」
女の子のほうが、想像していたのと全然違うんだけど? という顔をして男の子をふりかえった。
男の子のほうはとくに反応を示さず、相変わらず茫洋とした表情を僕にむけている。
「あの、わたしゼシカ・アナトアと申します」
と、女の子が子供っぽさを残した声で言った。
「大サリュード記念学院の高等部の一年生です」
アナトア家といえば200年くらい昔に皇族から枝分かれした貴族の一門で、もし本家であれば彼女は公爵家の娘、あるいは孫娘ということになる。
シルヴィアがご令嬢と呼んでいたから、おそらくはそうなのだろう。
ゼシカは金髪をはずませながら男の子をふりかえり、それから僕を見て、
「えっと、彼はローエン・ハールビュール。
アナトア家の奨学金で学院に通っています。
つまり……」
「君の小姓というわけか」
ゼシカはすこし頬をあからめて、ええ、と頷いた。
貴族の女当主や女騎士が、愛人を囲うときに利用するのが、小姓というポジションだ。
つまり、そういう文脈がある。
もちろん身の回りの世話をするだけの小姓もいたが、彼女が照れたような表情を見せたからには、ローエンはやはりボーイ・フレンド、ということになるのだろう。
そのローエンが、いきなり口を開いた。
「ヴォイド準男爵は僕がカピトラリアの女神像のスカートのなかを覗いたと聞き及んでいるかもしれませんが、それは誤解です。
僕は純粋に、機械仕掛けとしてのカピトラリア像に興味があったのであり、かがんで見上げるようなことをしたのは、その仕掛けをもっとよく理解したいがためなのです」
僕は予想もしていなかった口上に驚かされた。
ふつうはまず挨拶を言うものだし、つぎには来訪の目的を告げるものだし、それに剣術についての雑談が続くのが一般的だろう。
口をひらくなり言い訳を始めるとは思わなかった。
僕もいろいろと志願者を見てきたが、これは初めてのパターンだった。
「そ、それが君にとってとても重要なことだというのはよく分かった」
と、僕は言った。
「君がけっして女神の下着を盗み見るような男ではないことは、肝に銘じておこう」
ローエンはにっこり微笑んで、うなづいた。
やはりこの子はちょっと変わっているようだ。
はっきり言って、開口一番に言い訳をするような性格では、剣術を教えたところでさほど上達はしないだろうが、それでも彼が指導を求めるのであれば、宿題だけは出してやらねばならない。
僕はふたりを管理局の鍛錬場へと連れていき、そこでざっと型を教え、注意事項を告げた。
ローエンは案の定、あまり覚えがよくなかったけれど、剣の扱いはけっして拙くはなかったし、いちど覚えるとその動きはきわめて正確だった。
ゼシカはしきりに、どうでしょう準男爵さま、ローエンは上達しそうでしょうか、と尋ねてくる。
それからローエンを熱心に励ました。
厳しい鍛錬だけど、最後までちゃんとやり抜くのよ。
あんたのためなんだからね。
ローエンは例の茫洋とした表情をうかべ、うん、と頷いてかえす。
ゼシカはまるで出来の悪い弟の世話を焼かずにはいられないお姉さんという感じだった。
恋人どうしというよりも、もっと親密で温かいものが、ふたりのあいだに存在しているように、僕には見えた。
ふたりを帰らせて、捜査官のオフィスに戻って一息ついていると、シルヴィアが様子を聞きに来た。
ローエン君はモノになりそうかしらと尋ねるので、僕は正直なところ想像もつかないと答えた。
あんな志願者は、というか、あんな人間は初めて見る。
ローエンはいきなり女神像をしたから覗き見たことについての言い訳を始めたけれど、もしかするとあれは言い訳ではなく、本当のことだったのかもしれない。
ということは、正直者で、おのれの名誉を重んじる、真に貴族的な男の子なのかもしれない。
シルヴィアにそのように言った。
「なるほどね、ありえるわ。
というのも、ご令嬢とローエン君のなれそめが面白いのよ。
ダンジョンでご令嬢が孤立して魔物に囲まれたとき、通りすがりのローエンが助けに入ったの。
はっきり言ってローエンよりもご令嬢のほうが強かったけれど、ローエンは立ちはだかって一歩も引かなかった。
さいわい、ほかの冒険者のパーティーがかけつけて事なきを得たのだけれど、ローエンはご令嬢をかばって大けがをしちゃったの。
ご令嬢はすっかり感激しちゃって、熱心にアタックして学院まで連れてきちゃったっていうわけ。
けれどもローエンはご令嬢だけにやさしい訳じゃなくて、困っている人を見ると捨てておけない性格でね、そんな調子でいろいろな女の子を身を挺して助けたりするものだから、とてもモテるみたいなの。
それでご令嬢はいつもカリカリしてるのよ。
嫉妬もあるのだろうけど、それより、そんな調子で無鉄砲に戦っていたら、身がもたないもの。
やめてといっても聞かないんでしょうね。
だからあなたに鍛えてもらいたいってわけ」
「ほう……」
僕は、あれは意外と大物なのかもしれない、と思った。
育ちの良さも感じる。
「ローエン・ハールビュールと言ったか」
「ええ」
「あまり聞かない家名だが、どこの出身だか、知っているか」
「さあね。
ローエン君が冒険者になる以前のことついては、ほとんど知らないわ」
あるいは、ハールビュールというのは偽名で、じつは没落貴族の子弟ではないか、という気がした。
それならばひとにあまり過去のことを話したがらなかったとしても、うなづけるし、伝手もなく冒険者をやっているのだから、かれの父親、あるいは祖父は、謀反かそれに近いことのような、なにかひどく不名誉なことを仕出かしている可能性もある。
そうでもなければ、一族じゅうからそっぽをむかれる、ということにはならないだろう。
ローエンという少年にいくらか興味が湧いてきたけれども、僕はあいにく多忙をきわめる役人の身であり、数日もすると、彼のことは日常の雑事のなかに埋もれていってしまった。