第三話
翌朝、すこし早めにダンジョン管理局のオフィスに出ると、シルヴィアが廊下の壁に背をもたせて、僕を待っていた。
僕に気づくなり、彼女は微笑んで手を振ってくれた。
「昨夜はありがとう。
コックさんにとても美味しかったって伝えて」
「きみも律儀だな。
よければ懲りずにまた来てくれ」
「あなたにあたしのことを酔わせたいかどうか聞くまえに酔っぱらっちゃえば良かったんだわ。
次はそうする」
「おいおい」
「あのね、大事なことを話し忘れちゃった」
と、シルヴィアは言った。
「個人的なお願いがあったの。
聞いてくれないかしら?」
「言ってみてくれ」
彼女は廊下の前後をそっと確認して、誰もいないのを確かめて、
「あたしのお店の常連さんなんだけどね、さる大貴族のご令嬢がいらっしゃるの。
その子がこないだ、うちのお店にボーイ・フレンドを連れてきたわけ」
僕は彼女にならんで壁によりかかって腕を組み、うなづいた。
「そのご令嬢は大サリュード記念学院の生徒でね、冒険者登録もしてる」
「本登録?」
「ええ」
「ほう、なかなか優秀じゃないか」
帝国は古来より、魔物の巣窟であるダンジョンに睨みをきかせるために冒険者を保護し育成することを国是としてきた。
これは決して大げさな言い方ではない。
初代皇帝ナンド一世の遺訓に基づく、とても重いものだった。
それだけに、貴族や騎士の子女があつまる大サリュード記念学院では、武術や魔法の成績が優秀な生徒には、訓練の一環として、ダンジョンを探索させるということをしていた。
もちろん、貴族や騎士の子女であるから、いきなり危険な魔物のなかに放り込むということまではしていない。
そんなことをしたら、学院の院長よりよほど偉いのがごろごろしている父兄たちから、猛抗議を食らってしまうだろう。
ダンジョンに挑みたいという強い意思があって、ある程度の力量が認められた生徒には、まずは冒険者の仮登録が許される。
学院の地下には回廊があって、ダンジョンの浅いところまで繋がっているのだが、そこで低位の魔物と戦闘をさせるのである。
回廊には学院付きの武官が巡回しており、生徒たちになにかあったときには、迅速に救助できる体制になっている。
仮登録した生徒に傑出した力量があると認められた場合には、本登録が許され、回廊の先、すなわちダンジョンへの立ち入りが許される。
本登録までゆくのは、そうとうに優秀な生徒に限られるが、それでも卒業してダンジョン管理局に採用されるのはごく一部だ。
たとえばラミア・カルディオネなどはその年度の卒業生のなかでもトップクラスの成績優秀者だった。
管理局では無鉄砲なお嬢ちゃん扱いのラミアも、学院にいた頃は、後輩たちの憧憬を一身に集める、最強クラスの天才令嬢だったのである。
大サリュード記念学院はもともとは貴族階級の子女のための学校だったが、やがて騎士階級にも開放されるようになり、近年では平民階級でも優秀なものであれば奨学金つきで入学できるようになったらしい。
あるいは大貴族が自分の子の付き人とするために、年若い優れた冒険者をスカウトしてきて一緒に入学させるというケースもあるようだ。
その場合には、主従関係が結ばれることが多い。
友人として付けることも不可能ではないらしいが、そういう例は、あまり聞いたことがない。
「その、ボーイ・フレンドというのは……」
「階級は平民で、かたちのうえではその令嬢の付き添いということになっている。
でも実際には、その令嬢が冒険者をしていたカレと知り合って、ほとんど強引に学院に入学させたのよ。
パパは娘にかなり甘い人のようね」
と、シルヴィアは愉快そうに言った。
「幾つのガキだか知らんが、まあ、戦いに明け暮れる冒険者をやっているよりは、学院で学問なり魔術なり学んでいたほうが有意義だろう。
女の尻に敷かれるのは癪だろうが、幸運と心得るべきだろうな」
そうして僕はフューレルのことを思い出した。
かれが冒険者をしていた頃には、まだその制度がなかった。
当時からその制度があって、いまの準男爵としての収入があれば、かれを僕の従者にでもしてやり、学院に放り込むこともできた。
そんなふうに思うと、いくらか心が痛んだ。
「それでね」
と、シルヴィアが職場モードの化粧を施した顔をいくらか曇らせる。
「その男の子、顔はかわいいんだけど、なんていうのか、ちょっと頼りないのよね。
ぼーっとしてるっていうか、なんというか。
うちのお店に来たときも、機械仕掛けのカピトラリアの女神像に夢中になっちゃって、一心不乱に見つめ始めちゃって。
あたしとそのご令嬢が美容のことを話し込んでいて、ふと気になってその男の子をちらっと見たら、かがみこんで、女神像のスカートのなかを覗こうとしてるわけ。
つまりね……ちょっとアホの子なのよ。
それでご令嬢がカチンと来ちゃって、あんた、お望みどおりに剣聖ヴォイドさまの弟子にでもしてもらって、根性を叩きなおしてもらってきなさいよ、とか言って怒り出しちゃってね。
ほら、あなたってあちこちでいろいろやってるでしょ。
生徒たちの間では、体育や剣術の先生なんか話にならないくらいの、それはもうおっかないハード・ボイルドなオジさんだと思われてるらしいわ。
それで、そんな言い回しをするのが流行っているみたい。
男の子のほうも、普段からあなたに剣を学びたいなんて言っていたらしくて。
その男の子がね、ご令嬢に詰め寄られて、あたしにすがるような眼をむけてくるものだから、つい、剣聖ヴォイドさまになら伝手があるから、頼んでみてあげようか、って言っちゃったの。
そしたらご令嬢が大喜びでぜひお願いしますって」
僕はだまってシルヴィアを見つめていた。
きっと、勘弁してくれ、という顔をしていたと思う。
「そ、そうよね。
あなただって忙しいものね。
ふたりにはそう説明しておく」
「いや、それには及ばない」
と、僕は言った。
たとえ子供が相手でも、シルヴィアの顔は立ててやりたい。
「小僧にその気があるのなら、僕のところまで尋ねてくるように言ってくれ。
キツい宿題を出してやるよ。
こなしてきたら、面倒を見てやろう」
「ほんとうに?」
「まあ、二度目に僕を尋ねてくることはないと思うがな……」
僕はシルヴィアからふたりの名前を聞き、捜査官のオフィスへとむかった。
その日はダンジョンの巡回の任務があり、書類仕事を一段落させると、すぐに同僚のピート・マリーノと準備にかかり、午後の早いうちにダンジョンの正門へとむかった。
ちょうど、一組のパーティーが、探索を終えて出てくるところだった。
オーソドックスな編成の、六人組のパーティーだが、さすがに疲労困憊しているようで、鞘におさまった剣を杖がわりにしていたり、石積みの壁に背をあずけてうなだれていた。
そうして管理局の役人が荷物のチェックを終えるのをまっているのだ。
パーティー付の人夫がふたりがかりで台車をひいている。
その荷台には棺が載っていた。
僕もマリーノも、ふつうのパーティーが相手であれば、道を譲ってお悔やみをいい、瞑目するくらいの礼儀は心得ていたが、ときには探偵小説に出てくる柄の悪い警官のような振舞いをしなければならないこともあった。
このときがそうだった。
普通、戦士というのは前衛を担うものであり、ときには防壁の役割も果たさなければならなかったから、頑強でずんぐりした体躯の者が多いのだが、このパーティーの前衛を務めていたのは、長身痩躯の男で、きれいな長い金髪を縛りもせずになびかせていた。
冒険者の間でも評判がよく、剣の技量もかなりのものと聞く。
上級の冒険者にありがちな派手な生活はしていない。
中の上といった程度の宿に長期滞在している。
代金を滞らせたことはなく、ときおりメイドやボーイに気前よくチップを与え、他の宿泊客とトラブルを起こしたこともないので、宿の主人の評判は上々だ。
男ぶりもなかなかのもので、女の冒険者がこの男を悪く言うのを、僕は聞いたことがなかった。
名を、白銀のワルターと言った。
パーティーのリーダーを務めている。
けれども、僕はワルターの手がいつも綺麗であることを不審に思っていた。
この男のみならず、かれの相棒の戦士、工作や鍵開けなどを担当する女盗賊、回復役の医僧、それから男女の魔法使いも皆そうだった。
いちどダンジョンに入れば嫌でも不測の事態に見舞われることがある。
そうなれば泥臭く戦わざるを得ないものだ。
魔力が尽き、槍も折れて、どうしようもなくなり、岩場の物陰に潜んでじっと息を殺し、落とし穴を掘ったり目くらましに砂を投げつけたりして、一目散に逃げる、というような事態は一度ならず起こる。
魔物の大群に追い立てられて砦の跡地にたてこもり、一晩石をひろっては投げつづけ、決死の覚悟で搦め手から突撃して囲いを崩し、退路をこじあける、というような経験は、ダンジョン管理局の役人なら誰でもしている。
だいたい、食事の準備、傷の手当ひとつでも手は汚れるのだ。
僕はこのパーティーの連中の貴婦人みたいに清潔そうな手を見ては、こいつら実際に戦っているのか、それ以前に、ダンジョンのなかでいったいなにをしているのだ、と疑っていた。
連れのマリーノは金欠になると冒険者のふりをしてギルドの親父から助っ人のあっせんをうけてカネを稼ぐということをしている。
もちろんあまり褒められたことではないが、そういうマリーノの耳には、このワルターについての聞き捨てならない噂がいくつか入っているようで、かれをほとんど犯罪者と見なしていた。
「よう金髪の色男――」
と、マリーノは壁にもたれてぐったりとしているワルターにむかって、慳貪に言った。
「なにかおいしい話があったら俺にも一枚噛ませてくれねえか?」
ワルターは疲れ切ったような顔にささやかな戸惑いの色を浮かべて、
「すいませんマリーノさん、いまは冗談に付き合っている気分じゃないんですよ」
あなたたちにも見えるだろうとばかりに、棺のほうへ視線をやる。
「おや、死人か」
たったいま気づいたというように、マリーノは言った。
「こいつは災難だったな。
だれの遺体だ」
「黒影のピーター。
先月亡くなった弓使いですよ。
ダンジョン管理局にも死亡届が出ているはずです。
俺も一度だけ共に探索をしたことがあるけど、ほんとうにいい奴だった。
……これはピーターと組んでいた連中からの依頼でね。
墓をつくってやりたいからなんとか死体を回収してきてくれないか、と」
「へえ、そのパーティーのやつらが回収してきたらよかったじゃねえか」
「彼らには、第三階層はちょっと遠かったようです……」
冒険者たちにとって、パーティーの仲間がひとり殺され、そこに死体を放置していかざるを得なくなることはよくある。
死人が出たということは、そこはパーティーにとってはいささか力の及ばない場所だった、ということにもなる。
ワルターの言っていることにおかしい点はなかった。
「そうか、早く引き渡してやるといい」
と、僕は言った。
「しかし、最近はいい防臭剤があるのだな」
棺がすぐそこにあるのに死臭がしないことを暗に指摘した。
「アイス・リザードの巣に放置されていたのでね」
と、ワルターはよどみなく言った。
「おかげで保存状態がよかった」
マリーノが僕に目配せをした。
棺のなかに禁制のアイテムを入れて持ち出すというのは、ごろつき冒険者のよく使う手だった。
というのも、役人といえども棺をかんたんに開けさせることはできなかったからだ。
第一に、戦死した冒険者の尊厳を守る必要があった。
第二に、死体が毒物や伝染病に汚染されている可能性を考慮して、その資格を有する医僧に立ち会ってもらう必要があった。
それはそれで構わなかった。
泳がせる口実にもなったからだ。
ただ、ワルターの場合には第三の理由があった。
かれはウェンブリー公爵という大貴族につてがあった。
どういう縁があるのかは知らないが、ダンジョン管理局に限らず街の役人がワルターにちょっかいを仕掛けると、かならず内務省から照会がくる。
ワルターへの処置や対応が法に適ったものか、厳しくチェックしてくるのだ。
それによって役人側に落ち度が見つかることもあれば、確認が長引いて拘留期間が切れてしまうこともある。
ときには政治的な圧力がかかることさえあった。
といっても、ビクターが捜査部門の長を務めるダンジョン管理局には通用しなかったが。
ただ、ビクターに面倒をかけることにはなる。
僕もマリーノも、そうなることをあまり望まなかった。
いずれにしても、ワルターに迂闊なことはできなかった。
ワルターに棺を開けさせるには、確たる証拠が必要だった。
しかし、あえてここで賭けに出てみるという手も、あるにはあった。
そうして死体のかわりに禁制のアイテムが見つかれば、現行犯で逮捕することができる。
かりに内務省の大臣がバックについていようとも、関係ない。
しかし出てこなかったら目も当てられないことになる。
ビクターは懸命に弁護してくれるだろうし、あちこちに働きかけてもくれるだろうが、厳重注意を食らうのとワルターに謝罪する羽目になることは避けられないだろう。
マリーノは僕の背に腕をまわしてパーティーから少し離れたところへ連れていき、
「どうするよ、準男爵どの」
と尋ねてきた。
「あれは抜け目ない男だ」
と、僕は言った。
「恐らく、棺のなかに死体があることはあるだろう。
しかし腹のなかがどうなっているかまでは分からないな」
「……よし、ならば、やるか」
「しかしその場合には、ここで腹を裂く必要がある。
完全に違法捜査になるし、仕込んだのがやつらだと証明する必要もある。
なにしろ数週間、ダンジョン内に放置されていた遺体だからな。
背後に内務省の大物がいたのでは、簡単にしらを切られてしまうだろう」
「じゃ通すのかよ」
「いまはそうするしかない」
マリーノは派手に舌打ちをして、それからワルターを振り返った。
「足止めして済まなかったな、金髪野郎。
ところでおまえ、ダンジョンに何日入ってたのか知らねえが、みごとなくらいにサラッサラだよな。
それでよく戦闘のときに邪魔にならねえもんだ。
その点、俺を見ろよ」
マリーノは自分の後退した額を肉厚のてのひらでぺたっとやって、
「前髪が眼に入ったことなんて、もう何年もねえぜ。
どうだ羨ましいだろう」
「いい整髪料があるので、こんど分けてあげましょうか。
それに、おかげさまで、割合はやくピーターの遺体が見つかったんですよ」
ワルターはため息まじりに言って、それから近づいてきた仲間と一言二言、交わした。
「……荷物の検査が終わったようなので、俺たちはこれで。
お二人はこれから巡回ですか。
どうぞお気をつけて」
マリーノは門前街の人込みへと遠ざかっていくパーティーを睨みつけて、
「いつか挙げてやるからな、クソが」
と、うなるように言った。