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幻想の夜叉  作者: 栗山大膳
光と陰
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第一話

「さて、こいつは困ったな……」


 と、ビクターは言って、帝国立大サリュード記念学院の校章の封蝋が捺された巻紙を、まるで危険な毒物に汚染されているかのように、ひとさし指と親指でつまんで持った。


 それを未決の書類トレイにぽとりと落とし、またつまみあげる。



「年貢の納めどきだな、諦めろ」


 僕はにやりとしながら言い、ビクターのオフィスの来客用カウチにどさりと腰をおろした。



 いまでこそ魔術師は、大サリュート記念学院の魔術科を含む大陸各地の魔法学校で、十把一絡げに育成されるようになったけれども、一方では、旧態依然とした徒弟制度が本来のありかたであると考えられていた。


 魔法の技術は大昔から、師匠と弟子の相対のなかで伝承されてきたのである。


 従って、帝国に仕える一人前の魔法使いは、親戚の子なり友人の子なり、あるいは自分の子なり一般の志願者なり、誰でもいいが、とにかく求めに応じて弟子にむかえ、一人前に育ててやる責務があるものと見なされていた。



 もちろん役職もちの魔法使いも多かったから、多忙で弟子を育てているような時間的余裕がないと宰相府に認めてもらえれば、その責務を先送りすることもできた。


 さもなければ、ビクターのように著名な魔術師の場合には、帝国の学院で一定期間、教鞭をとることで、その責務を果たしたとみなしてもらうことも可能だった。



 ビクターがいま、露骨にいやな顔をしてつまみ持っている書状は、その催促のようなものだった。


 弟子を取るおつもりがないのなら、そろそろ本校にて教鞭を執っていただけますまいか、という訳である。


 ちなみに大サリュードとは第六代皇帝の名で、歴代皇帝のなかでもとくに教育に力をいれてきたことで知られていた。


 大サリュードというからにはもちろん小サリュードもいるが、こちらは大サリュードの外孫にあたる人物で、幼少の頃より机のまえに二秒と座っていられず、長じて第八代皇帝に即位してからは放蕩のかぎりを尽くしてついには貴族議会によって宮殿のはずれの塔に押し込まれ「自主的に退位」させられてしまった残念かつ愛すべき皇帝だった。


 まあその話はいまはどうでもいい。



「君は年貢の納め時というがね……」


 と、ビクターは頬杖をついて、


「宰相府からお小言を頂戴することになるのを甘んじるつもりならば、無視することはできる、一応な……」



 このケチな男は、あくまで法的な罰則はないということを遠回しに言っているのだ。



「大サリュード記念学院の生徒たちが君のその無責任きわまりない発言を知ったら、きっとがっかりするだろう。


 賢帝メルヴィンの覇業を支えたラッセル伯爵さまが内心ではそんなことを考えていたなんて……とな」



「ぐっ……」



 ビクターは僕のまえでは平気でふざけたことを言い、ふざけたことをするが、ふだんは責任感のある立派な役人として振舞っており、実際、そのとおりの人間でもあった。


 書類の提出が遅れがちなことを別にすれば、だが。



「しかし意外だな。


 ビクターはひとに魔法を教えたりするのが好きなんだと思っていたが」



「それはもちろん好きだ」


 と、かれは言った。


「しかし、君にこれを言うと釈迦に説法になるかもしれんが、師匠と弟子の関係というのは、先生と生徒のそれとはまた違う。


 技術だけを伝えればいいというものではない。


 実際のところ、人を育てるというのは大変なことだよ。


 一生の付き合いになるし、弟子がひどい不始末をしでかせば、ときとして、弟子を殺すかさもなければ自分が殺されるかの二者択一になることもある。


 それはこの際しかたあるまいが、それにしたって、ひとりの人間に魂をぶつけるようにして関わっていくというのは、どうにも覚悟のいることだからな……」



 ビクターがだれを念頭に置いて言っているかは明らかだった。


 もうそろそろ六歳になる養女のリリィだ。


 彼女はある冒険者がサキュバスに産ませた子で、いわゆるハーフ・デビルだった。


 ハーフ・デビルは生まれつき残酷な者が多く、なかでもサキュバスとのあいの子は昔から美貌に恵まれることで知られており、長じて毒婦になる者が少なからずいて、権力者から蛇蝎のごとく忌み嫌われていた。


 じっさい、後宮に入って皇帝を篭絡し、悪行の限りを尽くした寵姫が存在した。


 その反省から、帝国では、サキュバスとのあいの子は、見つけ次第、殺さなければならないことになっていた。


 ビクターが養女にむかえた娘が、じつはハーフ・デビルだったと発覚したら、ビクターは失脚しかねない。


 しかしそれより、将来残忍な性格に育つかもしれない娘に、魔法を教えていいものかと、ビクターは悩んでいるのだ。


 そして事実、その片鱗がない訳ではなかった。


 リリィは一時期、小動物の腹を裂いて殺すということを、熱心に行っていた。


 いまは鳴りを潜めてはいるが、彼女がハーフ・デビルであることと無関係ではないだろうというのが、ビクターの見立てだった。



 しかし、僕はできるなら話をそっちの方向へもっていきたくはなかった。


 ビクターがどんよりしてしまうからだ。


 時間を置くことで解決する問題もある。


 なにもいま穿り返すことはない。



「じゃあ、大サリュード記念学院で教鞭を執るのか」


 と、僕は言った。



 ビクターはため息をついて、首をゆっくりと振った。



「教師が片手間に務まるものか。


 やるからには、僕はダンジョン管理局の主任捜査官の職を辞するよ。


 でもそうなったら君たちと仕事ができなくなる」



 僕はこの友の顔を見つめながら、思った。


 ビクターの性格を考えるならば、犯罪捜査や諜報のような仕事をしているより、教師みたいなことをしているほうが幸せなんじゃないか。


 殺伐としたダンジョンの暗がりで可愛げのかけらもない魔物どもを焼き払っているより、子供たちに魔法を手取り足取りして教えているほうが充実するんじゃないか。


 そんな気がしてならなかった。



「好きなことをやればいい、ビクター」



「ありがとう」


 かれは頬杖をつきながら、気だるそうに微笑んだが、


「でも、いまは駄目だ!」


 と、きゅうにキリッとした顔になる。


「決めたぞ。


 宰相府からチクチクとやられることになっても構わない。


 ガン無視を決め込んでやる」



 まあ、天下の伯爵さまが考えて決めたことなら、あれこれ言っても仕方ない。


 僕は、


「好きにしろ」


 と言った。



「君のほうこそ、どうなんだ」


 と、ビクターは身体を起こして言った。


「近頃は、弟子になりたいという連中が殺到しているそうじゃないか」



 弟子を育てるか、さもなければ大サリュード記念学園で後進の指導にあたるか、の二者択一は、魔術師のみならず、著名な騎士や剣士にもあてはまる問題だった。


 僕もあいにく、その条件に該当していて、無関係な顔はできなかった。



「相変わらずだよ。弟子には逃げられてばかりいる」


 と、僕はおどけて言った。



 実を言えば、ダンジョン管理局で仕事をするようになってから、弟子になりたいと言ってくる冒険者が尽きたことがない。


 最近ではカルディオネ公爵やダンジョン管理局長のフィリア殿下を介して、大貴族や皇族の若君、姫君に剣の手ほどきをしてやって欲しいという話がしょっちゅう来る。



 正直なところ、頭がいたい。


 というのも、僕には人に剣を指南するほどの腕も見識もないと思っている。


 そんなことを言うと、後輩のラミア・カルディオネからも、同僚のピート・マリーノからも、怪訝な顔をされる。


 おまえにそんなことを真顔で言われた日にゃ、そのへんの剣の先生はどうなる、立場がなかろう、とマリーノなどは言うが、他人のことはどうでもいい。


 僕はまだ剣術がよく分からない。


 よく分からないものを人に教えるのは道理から言って不可能なのだ。



 だた、人や魔物の斬り方なら知っている。


 立ち合いをして勝つ方法も知っている。


 どのように鍛えれば、それが容易にできるようになるかも知っている。


 けれども、それは「剣術」のごく一部にすぎない。


 もちろん、僕の弟子になりたがる連中が求めているのはまさにそれだということは理解している。


 真摯にそれを求めるものがいるなら、知っていることは可能なかぎり教えてやるつもりでいる。


 祖父が僕にそうしてくれたように、だ。


 しかし、僕自身はひとに「剣術」を教えてやるレベルには達していない。


 あくまで、それが僕の認識だった。



 そのうえ、多忙の身の上であるから、つきっきりで指導してやる訳にもいかない。


 ある程度は、自主的に稽古をしてもらう必要がある。


 それで、志願者には居合の型をいくつか教えてやり、いちにち最低でも百回、それを十日間、徹底して実践するよう申し渡すことにしていた。


 真面目にやれば全身の腱がバラバラになりそうな気がしてくるほどキツい修行だが、それでも決して手を抜いてはいけない、と忠告を添える。


 楽をしようとして悪い癖を身体に染みこませてしまうと、とりかえしのつかないことになる。


 もう決して上達は望めない。


 だから、どんなに辛くても、肘や手首が壊れて二度と剣がもてなくなりそうな気がしても、決して怖がらず、絶対に手を抜いてはいけない。


 一心不乱に没頭し、夢のなかでも居合の型をくりかえすまでにならないといけない。


 そのようによく言い含んで帰らせる。



 そうして十日後に僕をふたたび訪ねてきたものはまずいない。


 つまり、僕は弟子に見捨てられ続けているわけだ。


 もちろんこの厳しい鍛錬を、弟子を断るための口実にしている、と受け取る者もいるだろう。


 しかし、結局のところは、僕に尻を叩かれながらやるのか、自分からやるのかの違いに過ぎない。


 楽して強くなりたいという頼みには、さすがの僕にも答えようがないのだ。


 依頼者や志願者たちの、


「厳しく指導してください」


 の常套句をそのままうけとって、大貴族の子女を相手に鬼軍曹のように振舞い、歓迎されるかといえば、そうでもないのが世の常である。



 それ以前に、剣術の基礎がすでに固まっている者もいる。


 たとえばラミアなどがこの手合いだった。


 こういう場合には、ゼロからやり直させるのは現実的ではない。


 そのうえラミアはすでにダンジョン管理局の捜査官の職にあって、多忙であり、鍛錬の遂行自体が不可能だった。


 彼女も僕の弟子になりたがったうちのひとりだったが、そういう事情をよく話し合って、断念してもらった。



 ラミアとは仕事がえりによくレストランに寄って食事をしながら剣術や仕事の話をするのだが、彼女はある晩、こんなことを尋ねた。



「あの型、わたしも少し試してみたけれど……丁寧にやると、たった数回でもほんとうにつらい。


 あんなのを毎日百回、十日間やり通した人っているの?」



 僕はその話をあまりしたくなかった。


 実を言えば、その時点で、ひとりだけいた。


 当時14歳の冒険者で、故郷で食い詰めた浮浪児だった。


 地元でそうとうに虐げられた生活を送っていたらしく、芯はすさまじく強かったが、つねになにかに脅かされているようにおどおどしていた。


 こげ茶の髪に浅黒い肌をした、小柄な少年だった。


 かれは帆船の船倉に押し込まれて故郷から帝都ネディロスに連れてこられ、港湾の人夫として働かされていたが、やがて逃げだしたものの、すぐに飢えて、やむなく冒険者登録をし、ダンジョンに挑んだ。


 ところが、最初に誘われたパーティーがろくでもない奴らで、身ぐるみ剥がされて落とし穴に蹴り落された。


 そうして第二階層で立ち往生していたかれを、巡回中の僕とビクターがたまたま見つけて保護し、外まで連れ出したのだった。


 もちろんパーティーは再会を喜んだ。


 助けにいきたかったが自分たちの力量では第二階層まで降りていくことなど到底できなかった、預かっていた道具一式はもちろん返す、このことはただちにダンジョン管理局に届け出るつもりだったと、ぬけぬけと言った。


 僕は黙って剣の柄に手をかけたが、ビクターがそれを押しとどめた。


 証拠がないのだから、そこまでやるとやりすぎになる。


 ちなみに、かれらはその二か月後、こんどは自分たちが落とし穴にはまって、不運なことに魔物の群れのど真ん中に落ち、全滅の憂き目を見た。


 かれらの装備は死体漁りの連中によって持ち出され、ダンジョンの門前街の裏通りで二束三文で叩き売られた。


 ビクターは僕にむかって、な、斬るまでもなかっただろ、という顔つきをしながら、羽根ペンをインク壺にひたし、冒険者名簿のかれらの名前に線を引いた。



 僕らによって無事に連れ出された小柄な少年の名を、フューレルと言った。


 姓はなかった。


 あるいはあったのかもしれないが、父母に虐げられて捨てることにしたのかもしれない。


 ともかく、僕もこっちの世界に来てから浮浪者まがいの生活を長く送っていたものだから、この少年を他人とは思えなかった。


 良識のある冒険者に頭をさげて面倒を見てもらったり、ギルドの親父のおイタを見逃すかわりにフューレルのことを気にかけてもらったりしていたが、よほど幼少の頃よりつらい目にあってきたのか、周囲に溶け込むということがまったくできなかった。


 たとえそれがパーティーの仲間でも、触れられただけで怯え、背後に立たれただけで短剣の柄に手をかける、という具合だった。


 気味悪がられるのも無理はない。



 駆け出しの冒険者であったから、当然ながら、戦士としての腕もよくなかった。


 やがて周囲から孤立し、パーティーを組んでくれるものもなく、ひとりでダンジョンのなかをうろついては、なにも得ることなく帰ってきて、ダンジョン管理局が支給する小麦と塩漬けの肉や野菜を鍋にかけて食べ、野宿して夜を明かすという日々を送っていた。



 僕は、この少年に、どうにか冒険者として食っていけるようになって欲しくて、かれの求めに応じて、剣術の手ほどきをすることにした。



 フューレルには、素晴らしい才能があった。


 そのうえ、持ち前の芯の強さと、冒険者としての強い危機感があった。


 僕はかれの目覚ましい上達が嬉しくて、つい欲が出て、厳しく指導をしてしまった。


 そのことを今でも悔いている。


 フューレルは短期間のうちに、すぐれた技量を誇る剣士になったが、……それがかえって彼を厳しい状況に追い込むことになってしまった。



 かれはソロでも十分に食っていける腕を身につけたが、そのためにまたロクでもない連中に眼をつけられることになった。


 連中は、かれを前衛としていいように使い捨てようとしたのである。


 娼婦まがいの女冒険者をもって釣り込み、甘言を並べてもちあげ、ダンジョンに連れていってはひとりで強敵に当たらせる。


 そうして分け前をはねる。


 フューレルはまだ15歳の少年で、30前後の酸いも甘いも知り尽くした手練れの冒険者たちには太刀打ちできなかった。


 いいように利用され続けた挙句に、かれはとうとう猜疑心を募らせて、ダンジョンの奥で、仲間たちを皆殺しにしてしまった。


 多忙を言い訳にするつもりはないが、僕たちがそのことに気づいたときには、あとのまつりだった。



 僕もビクターも、フューレルがどういう少年であるかよく知っていたし、かれを仲間に誘った連中のしたたかさも十分に承知していた。


 それでも、犯罪者として処罰されるべきはフューレルのほうだった。


 僕とビクターは苦虫をかみつぶしたような顔で、ダンジョンの奥を探索した。


 しかし、フューレルは見つからなかった。



 かれが見つかったのは、半年後のことだった。


 フューレルはそれまでに、30人超の冒険者を殺害したと推定されている。


 そうして冒険者たちの食糧のみを奪い、食いつないでいたのだ。


 かれはダンジョンの瘴気にやられて、ほとんど魔物と化していた。


 こうなってはもう、どうしようもなかった。


 僕は歯を食いしばって、フューレルだったものを追いつめ、斬った。


 そして僕とビクターは一言も言葉を交わさず、ダンジョンから出た。


 フューレルだったものが握っていた、錆に覆われた短剣は、まだ僕の屋敷にある。


 ときおりそれを出してきて見つめては、決まって深酒をした。



 そんなことがあってから一年ほどのあいだ、僕はひとに剣の指導をするのをやめた。


 フューレルには、剣より先に教えるべきことがあった。


 いや、なにかを教えようとするまえに、人間としてもっと交流すべきだった。


 僕はそのことをまったく分かっていなかった。

 新編の見通しが立ったので、更新を再開したいと思います。文庫本に換算するとだいたい100頁ほどのボリュームになる予定です。登場人物が多く少々ごみごみした話にはなるのですが、お付き合い頂ければ幸いです。尚、開始に伴ってラミア・カルディオネの卒業した学校について一言二言加筆しました。


 この章は、一回ごとの量を多めに、週一くらいのペースで、更新していこうと思います。

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