第十九話
雨季の終わりに特有のしのつく雨のなかを駆けて、僕と後輩の捜査官のラミアは、カフェの軒先にたどり着いた。
二人でならんで上着についた雨をばさばさとやって払い、中に入って席におちつくなり、
「シルヴィアさん、最近また化粧が濃くなった気がする」
と、ラミアが言った。
「あっ、私が言ったっていわないでくださいね。
べつに悪い意味じゃないんです。
元々きれいな人なんだし、あそこまで厚塗りすることないのに」
僕はかるく頭をかいた。
現在のシルヴィアは若作りのために厚化粧をしているのではなかった。
逆だった。
老婆から小娘に逆戻りしてしまったので、それを隠すために、ケバく見せる必要があったのである。
胸もひとまわり小さくなってしまったらしく、しょうがないから詰め物をして補っているのと愚痴っていた。
もしすっぴんでダンジョン管理局のオフィスに出たら、それこそ
「女吸血鬼」
のあだ名を頂戴することになるだろう。
あるいは誰もシルヴィアとは信じないかもしれない。
コーヒーを注文して、窓越しに、大通りのなにもかもを洗う白い驟雨を眺めていると、むかいのラミアが突然、あっお父さま、と言った。
僕はおどろいて姿勢を正した。
ラミアがお父さまと呼ぶ人間はひとりしか思い当たらない。将軍のカルディオネ公爵だ。
そういえば、軍務省はこの近くにあった。
高級武官の詰襟の制服にいくつもの勲章を提げた長身の男が、秘書官らしき者を従えて、こちらに歩いてくる。
端正な口元には武官らしからぬ穏やかな笑みを湛えていた。
僕は立ち上がって、一礼した。
将軍は敬礼して返した。
カルディオネ公爵にはいちど屋敷に招かれて夕食をごちそうになったことがある。
リザード・マンが大挙してダンジョンの入り口に殺到してきたとき、ラミアは一時行方が知れなくなったのだが、それを救出したのが僕だった。
そのお礼にどうしてもということだった。
「その節は、ご馳走様でした」
「そう固くなるな。
おっと、叙任おめでとう準男爵。
屋敷を見繕ったり家僕を雇い入れたり、なにかと忙しかろう。
休憩かね」
「そうだよ」
とラミア。
「お父さまは?」
「これから参内して陛下の御下問にお答えせねばならん。
それまでまだ時間があるので、ちょっと立ち寄ったんだ」
将軍は秘書官を伴って、隣のテーブル席についた。
ウェイトレスが注文を訊いて立ち去るとすぐ、
「また派手に斬り散らかしたそうだな」
と、将軍は身をのりだし、口元に手を添えて、内緒話でもするように言った。
「科学院のやつらが第四研究所の跡地に調査員を送って愕然としたと言っていたぞ。
まさか高位の魔物を皆殺しにしてくるとは、とな。
知らんかもしれんが、君は軍の武官のあいだでも大人気だぞ。
帝国、いや、大陸でも五本の指に入る使い手だとみんな言っとる。
すでに君を剣聖と呼ぶものさえいるくらいだよ」
「……恐縮です」
「他国の息のかかった冒険者どもは、第四研究所の惨状を見て一様に恐れ戦き、いちもくさんに逃げ帰ったと聞いている。
こんな使い手とうっかり出くわそうものなら命がない、という訳だな。
はっはっは、私も帝国の武人のひとりとして鼻が高いよ」
いちおう、永久機関の件は、僕がフィンツたちにシルヴィアをがっつり監視させていたおかげで、かえってシルヴィアが海外にいっさい情報を漏らしていないことが確定し、文書と試作品の破棄をもって一件落着ということになった。
あとはビクターが各方面に調整し、シルヴィアの背信行為は不問に付されることになった。
考えようによっては、シルヴィアがいち早く永久機関と機密文書を確保したおかげで、情報の流出が食い止められたと評価することもできる。
そのような訳で、カルディオネ将軍が内緒話のネタにするくらいは、問題のない状況になっていた。
あれが僕だけの手柄になるのは心苦しかった。
シルヴィアもスターリングもそうとうに頑張ってくれた。
とくにスターリングは戦いの無理が祟って、肺病をぶりかえらせ、家に戻ってすぐに倒れて、そのまま伏せってしまった。
医者の話では極度の疲労と緊張からきたもので、半月も養生すれば回復するだろうとのことだったが、僕もビクターもかれには申し訳なくて、街で精のつきそうなものを見繕っては、それを手土産に見舞った。
スターリングは贈り物が酒ではないと気づくと露骨に興をそがれたような顔をした。
身体が良くなったら浴びるほど飲ませてやる、だからいまは養生しろと、僕とビクターはかわるがわる彼を説得した。
スターリングの年若い恋人のメリア・ローゼが大切にするカメオはむろん真っ先に質出しされ、彼女のとび色のきれいな髪をふたたび飾ることになった。
けれども彼女にとってはカメオより恋人の病のほうがよほど重大事のようで、かいがいしく看病をしていた。
この点においても、僕とビクターは心苦しさを感じない訳にはいかなかった。
「ところで準男爵はジェイド・スターリングという劇作家の魔法使と組んだのだろう?」
「はい」
「どうだろう、あの男に宮仕えする気はありそうかな」
「推挙、登用をお考えなのですか」
「やめておいたほうがいいと思う」
と、ラミアがびしゃりと言った。
「ひどい女ったらしで、若い恋人にわが身を養わせているような甲斐性なしのひとよ。
劇作家は務まっても帝国のために働ける人じゃないと思うわ」
「だが、あれほどの人物を野に埋もれさせておくのはもったいないな」
と言って、将軍は腕を組む。
ラミアは唇をとがらせ、わたしの話を聞いていなかったのかとばかりに窓のそとに目をやった。
「いろいろな意味で、一筋縄ではいかない人物です」
と、僕は言った。
「ああ、それはよく分かっている」
と、将軍は言った。
「じつは部下に戯曲方面に熱心な男がいるんだ。
ゾホールと言って、ゲイルランドの首都クリープで長いこと駐在武官をやっていたのだが、それがこないだ私のもとに転属してきてな。
ソホールは仕事の合間にゲイルランドの各所をめぐり、劇作家ジェイド・スターリングが革命家であった頃の逸話を調べてまわっていた。
そやつから聞いたのだが」
「ぜひ、おうかがいしたいです」
将軍はそうだろうと言いたげにうなづいて、
「なかなか毀誉褒貶のある人物だ。
反乱軍に参加した者のなかには蛇蝎のごとく忌み嫌うものもいたが、農奴階級からの人気は絶大だった。
スターリングは優れた軍略家で、いくさになれば滅法強かったが、あまり戦いを好まず、撤退した敵の残していった食料をかき集めてばかりいた。
その食料はどこに行っていたと思う?」
将軍はたのしげにニヤリとし、
「ほとんどすべて、貧民や避難民に配られていたんだよ。
そりゃあ農奴たちに慕われるわけだ」
僕は先をうながすように黙って頷いた。
「ゾホールがスターリングの足跡をたどって聞き込みを重ねた限りでは、農奴蜂起の初期には、スターリングも本気で新国家の樹立を考えていたようだ。
しかし、すぐにその考えを改め、農奴たちの生活を成り立たせることを第一とするようになった。
戦乱が続いていたのでは田畑を耕すこともままならん。
それで、いかに農奴たちにとって有利な条件で政府と停戦するかに主眼を置くようになった」
ウェイトレスがコーヒーを運んでくる。
将軍は気さくに礼を言って、コーヒーをひとくち含み、
「フィオールが軍事介入の兆しを見せたときが、その好機だった。
スターリングは反乱軍の上層をけんめいに説得してまわったが、成功しなかった。
やがて反乱軍はゲイルランドとフィオールの連合軍を相手にしなければならなくなった。
軍事のわかる者になら自明のことだったが、反乱軍にほぼ勝ち目はなかった。
それでスターリングは部下たちを無駄死にさせないために軍令に背き、消極策に徹した。
反乱軍はそのおかげでなんとか全滅をまぬがれ命脈を保てたのだが、反乱軍の内部ではスターリングに対する憎しみがつのるいっぽうだった」
「スターリングは反乱軍の残党がクリープでテロを目論んだときに仲間を売ったと聞きましたが」
「だが、あれによって反乱の収束が早まった。
ゲイルランドは独立を喪失したが、かわりに農奴たちに課せられる税は二年間免除され、その後も以前と比べればだいぶ低くおさえられた。
おかげで復興は一気に進み、いまではゲイルランドは大陸有数の穀倉地帯になっている。
占領政策を主導したのはフィオール王国の宰相のジニ・ロンドという人物だが、あれはなかなかの政治家だよ」
「ジェイド・スターリングとは先輩と後輩の間柄だったそうですね」
将軍はうなづいて、
「スターリングを裏切り者と呼ぶものもいるだろうが、私は気に入ったよ。
ああいう男を傍において常に意見を聞いてみたい」
僕はあごに手をやった。
スターリングなら、敵国の宰相から農奴に対する二年間の税の免除を提示されたら、先鋭的な愛国心いがい何も持ち合わせていない連中をまとめて売り飛ばすくらいはしたかもしれない。
そのときのかれの飄然たる様子を思い浮かべて、僕はつい苦笑いがこぼれた。
やはり、あの男のことは嫌いになれない。
(永久機関・了)
「永久機関」編に最後までお付き合いいただきありがとうございました。連載開始よりたくさんのお気に入り登録・ご評価を頂戴しましてこころより感謝申し上げます。たいへん励みになりました。今後は他の作品にとりかかってみたいと考えておりまして、しばらくお休みになるかと思います。着想が降りてきてうまくプロットにまとまったら、また続きを書いてみようと思います。重ねてありがとうございました。作者拝