第十七話
腹立ちまぎれに目のまえを遮るグレーター・デヴィルを額から股にかけて一刀両断し、血やら内臓やらをぐりぐり踏んで進み、ふと気づくと仰々しい扉のまえに立っていた。
呪符やら護符やらを針金でつるしたロープが幾重にも垂らされていた。
しかしあいにく、扉はちょうつがいがバカになっていて、右半分がややズレていた。
僕は取っ手に無造作に手をかけてごりごり床を鳴らしながら開いた。
中はあきらかにほかの部屋と様子が違った。
石造りのおおきな円形のテーブルのうえに、金属製の半円の蓋がぶらさがっていた。
天井からワイヤーで吊るされている。
僕は魔法の心得がないので、精妙な魔法のエフェクトを見ることができないのだが、それでも瘴気があのテーブルを中心に渦を描いていることは感じ取れた。
左手に書類棚のようなものがあったが、上から二段目のいちばん奥の区切りが、ごっそり空になっていた。
書類を読もうにも、どうやって明かりをとればいいか、歩き回りながら考えていると、突然、扉の敷居をまたいでくる者があるのに気が付いた。
ジェイド・スターリングだ。
「やあ準男爵、もう君に会えないかと思ってうちひしがれていたところだ」
と、相変わらず緊張感のない声で言った。
「ホッとしたよ」
「無事だったんだな」
「俺は君とちがって脳筋ではないからな。
君が敵を討ち減らすのを、狭い部屋に隠れて待っていた。
いや、君と合流しようとは思ったんだ。だがあいにく」
と、自分の胸元を指さし、
「召喚魔法用の精霊の小瓶も使い果たしてしまったし、魔力の残量も心許なくなっていた。
そんなわけで仕方なかった。
まあ勘弁してくれよ」
「ところで、この部屋は……」
「ああ、第四研究所の中心だろうよ。
瘴気が渦を巻いているのがなによりの証拠だ。
だとすればここに永久機関の試作品とデータ一式があるはずだが……」
スターリングは中央の円形のテーブルのうえになにもないことに気付き、激しく舌打ちをした。
「クソッ、遅かったか」
僕は扉のほうを振り返った、そっちのほうから、微かに靴音が聞こえたような気がした。
階段を駆けおりてくるような音。
やがてばかになった扉を蹴破って、短銃を構えた美女――シルヴィアが姿を現した。
「ふたりとも、無事だったのね」
その場にぺたりと坐りこんで、
「怖かった……あたしもうダメかと思った……どこにいたのよ、もう」
黒く薄汚れた頬に、涙のあとがある。
この状況で単身戦い続けるのは、女性にはつらいことだっただろう。
たとえ六十二の老婆だとしても。
いや、老婆ならなおさらかもしれない。
僕はシルヴィアの肩を抱くようにして、立たせてやった。
彼女はしばらく、僕の腕を掴んで離さなかった。
「なあ姐さん……永久機関の試作品がないんだが」
と、スターリングは言った。
僕はこの魔法使を振り返ってすこし驚いた。
すさまじい眼つきをしていた。
「まだ見つからないの?
ならさっさと見つけて帰りましょう。
もうたくさんだわ、こんな場所」
「あんた、知ってるんじゃないのか」
シルヴィアは一瞬、かなりキツい眼つきでスターリングを睨みつけたが、すぐに肩を落として、
「そう思いたければ思えば?
あなたの自由よ。
それともボディーチェックでもしてみる?
好きにすればいいわ。
ほら、抵抗なんてしないから」
「他国の冒険者に先を越されたのだろうか」
と、僕は辺りのあちこちに目をやりながら言った。
「いや、それはないな」
と、スターリング。
「この研究所に事故が発生してすぐに探索の準備にとりかかったとしても、まだせいぜい第五、第六階層の辺りだろうよ」
「第六階層まで来れるんなら、もし、あたしたちがまだ把握していない近道を使われでもしたら、もう到達している頃よね」
シルヴィアの言っていることは正しかった。
ダンジョン管理局で共有しているダンジョンの地図は、層の深浅にかかわらず、毎年のように更新されている。
あたらしく遺跡や遺構、間道が見つかることは、決して珍しいことではない。
冒険者は地理的な情報をすべてダンジョン管理局に報告しなければならないことになっていたが、むろん怠るものは数多くいた。
ほかの冒険者を出し抜くためなら、誰でもそのくらいはする。
個々の冒険者を責めても仕方のないことだった。
スターリングはしぶしぶといった調子で、
「……その可能性は否定できないが」
と言った。
「しかし常識的に考えて、そいつはないと思うがね。
俺も公になっていない深層部の間道をいくつか知っているが、どれも危険な道ばかりだ」
「常識的」
シルヴィアが小ばかにしたように鼻で笑う。
「要するに否定できるだけの確たる根拠はないのね?」
僕は大きくため息をついて、壁に背を預け、尻を床につけた。
精神的にも、肉体的にも、限界がきていた。
しかし、全てが済んだ訳ではなかった。
まだ大事な問題が残っている。
スターリングと、シルヴィアを、ここで殺害すべきだろうか。
彼らが先回りをして永久機関とデータ一式をとこか別のところに移し、あとでこっそり持ち出そうとしているとは思わない。
しかしその可能性は否定できないのだ。
もしそうだった場合、永久機関の試作品とデータは他国にわたってしまうだろう。
けれども、ここで歯をくいしばって二人を殺害してしまえば、その可能性をゼロにできる。
それは人間の尺度で見れば、ひとでなしの行為だ。
しかし国家レベルでは、国益のためにひとでなしの行為でもしなければならないこともある。
戦争だって死刑だって、国家という根拠をなくせば、ひとでなしのやることだ。
僕は奥歯をぎりっと噛みしめた。
やらねばならない。
そのつもりで、今日という一日を始めたはずだ。
しかし、斬れるのか。
シルヴィアがナタルマに対してちょっと焼きもちを焼くようなそぶりを見せたときの、あの潤んだような悲しげな眼が、脳裏に浮かぶ。
リリィを背中に載せて嬉々としていたスターリングの横顔が、瞼の裏に蘇る。
だめだ、と僕は思った。
こんなに動揺した状況でむりに刀を振るったところで、手元が狂うだけだ。
ふたりを苦しめずに殺害することは、もはや不可能だった。
ほかの責任の取り方をするしかない。
僕はゆっくりと立ち上がって、二人にむかって微笑み、
「仕方ない、ないものはないんだから、そのように報告するしかないな」
と言った。
帰ろう。
僕は任務を果たせなかったのだ。
ほかの誰のせいでもない。