第十六話
門の脆くなった木材を蹴破り、つり橋を歩いてゆくうち、石壁の陰になる辺りから膨大な数の魔物の気配を感じた。
それもかなり高位のものが揃っている。
恐らくポイズン・ジャイアント、ランド・ドラゴン、サイクロプス、グレーター・デヴィル、キメラ、ヒュドラ、といったあたりだろう。
僕は無造作に踏み込むと、目についたランド・ドラゴンのそっ首を叩き斬り、返り血をくぐってサイクロプスの腹をざっくりと切り上げた。
どろどろと内臓が垂れるのを、そのサイクロプスはぼんやりと眺めたあと、腹圧の急低下で心肺機能に支障をきたし、倒れて苦し気にうごめく。
僕はそいつの首にザクリと菊一文字を突き立ててやった。
それからグレーター・デヴィルを六体、ポイズン・ジャイアントを二体たてつづけに斬り散らかした。
ポイズン・ジャイアントが毒のブレスを吐くが、そんなのろい攻撃に捕まる僕ではない。
さっさと躱すと、背後にいたキメラが直撃を食らってけいれんを始めた。
そうして別のキメラが吐いた炎のブレスが、こんどは僕のすぐ右手を抜けてさっきのポイズン・ジャイアントをこんがりとローストにする。
ただちに、モンスターの集団はふところにペストのごとき凶悪な敵に入り込まれたことに気付き、動揺したように後退する。
このまま追い立てて斬りまくってやってもよかったが、ついさっきシルヴィアの大声が聞こえて来ていた。
「ヴォイド、準備が整ったわ」
という。
僕はにやりと微笑むと、敵の大集団をひきつけながら、じり、じりとつり橋のほうへ誘い込んだ。
そうして石壁の陰になるところへ身をひそませた瞬間、雷鳴のような銃声があがった。
散弾の連続射撃。
次々と大物級の魔物が無数の穴をうがたれて、粗いシャワーのように鮮血を八方に吹く。敵ながら見ていて哀れなものだった。
シルヴィアの手並みもあざやかなもので、短銃の銃身をまげては白い歯に挟んでいた紙カートリッジを手早くつめ、十分にひきつけては無慈悲な三連射を浴びせる。
魔物どもはシルヴィアに肉薄しようとするが撒き菱に足の裏をえぐられ、あるいは地雷に足首から先を吹っ飛ばされるのがオチだった。
敵が恐れをなして攻撃の勢いがはっきりと鈍った瞬間を待ち構えて、ジェイド・スターリングが特大の火球を地獄から召喚し、打ち出す。エントランスからずっと奥の階段にいたるまでがまばゆく照らされ、あとには大物級の魔物の焼死体がいくつも連なった。
「思ったよりだいぶうまくいったわね」
と、シルヴィアが声をはずませる。
「正直言って、正門の攻防で日が暮れて、他国の冒険者と挟み撃ちになるんじゃないかと心配してたわ」
「だが、敵の数が尋常じゃない」
と、スターリングがエントランスの周囲を見渡しながら言った。
「いまは敵もさすがに怯んでいるが、少しすればまた殺到してくるぞ」
「見ろ」
僕は奥のほうに濃くただよう闇に眼をこらしながら言った。
そのあたりが空間的に歪んでいる。
「あれは異界的浸食、だろう」
と、指さす。
「参ったな。
このあたりはよほど瘴気が濃いと見える」
スターリングは僕の指さす先をしばらく眺めたあと、舌打ちをした。
シルヴィアはやれやれというふうに首を振る。
異界的浸食は、自然発生的な転移魔法と言い換えてもいいかもしれない。
空間構造がゆがみ、繋がるべきところでない場所が繋がり、通り抜けられるはずの場所が閉ざされる。
要するに空間的にめちゃくちゃになるのだ。
よほどのことがなければ、立ち入らない、というのが、冒険者の定石だった。
たとえその先にどんなオタカラが眠っていそうであっても、だ。
入ったが最後、延々とおなじところをぐるぐると回らされ、疲弊したところを魔物に襲われて全滅――よくあるパターンだった。
「しかし……」
と、スターリングは自分を励ますかのように強い声で言った。
「こんだけ歪むってことは、それ相応の理由がなきゃおかしい。
きっとまだあるんだろうよ、永久機関の試作品が」
「間違いなくあるわね」
とシルヴィア。
僕は胸にやけるような焦燥を感じた。
永久機関をぶっ壊せばこの仕事は一段落だ。
三人で生きて帰ることができる。
ビクターも枕を高くして眠れるだろう。
僕は抜身の菊一文字を提げて、ゆっくりと奥へ歩いていった。
「まってくれ準男爵。
闇雲に進むのは危険だぞ。
本当にあの歪みのなかに入るのか」
「永久機関を破壊すれば全てが終わる」
「破壊……するのね」
と、シルヴィア。
その声にはいくらか不満の響きがあった。
「なにか不都合でもあるのかい、姐さん」
と、スターリングが慳貪に言う。
「よく考えたほうがいいわ。
どうせ遅かれ早かれ、どこかの国のだれかが永久機関を開発してしまうのよ。
そうなったら他国の冒険者たちに持ち出されるのと同じことじゃない。
破壊しろというのは、ラッセル様の命令なの?」
「いや、そうではないが……」
僕は曖昧に言った。
シルヴィアの指摘は正しい。
ビクターは僕に一任すると言った。
君が最善だと思う方法で処理してくれと。
ここに来て、僕はいくらか迷い始めていた。
永久機関をどうすべきかは本質的な問題ではないのだ。
世界の民が塗炭の苦しみを味わわずに済むこと。
それが重要だった。
しかし、正解はあるのだろうか。
あったとして見出せるのか。
「あんなものは存在しないほうがいい」
と、スターリングにしては珍しく、強い口調で言った。
「人間は自然とともに生き、自然とともに死ねばいいんだ。
自然の流れに逆らったってロクなことはない。
たとえば時間の流れに逆らって若返ろうとしたり、永遠の命を求めたり、な。
そんなのは病んだ欲望の産物だよ」
シルヴィアの柳眉がキツく歪んだ。
「歪んだ欲望ですって?
あなた、英雄だかなんだか知らないけど、ひとを騙し仲間を裏切って得た名声のむなしさよりはずっとマシなんじゃないかしら」
「よせ二人とも」
と、僕はうなるように言った。
「僕たちは力を合わせれば永久機関に手が届くところまで来ているんだ。
団結しよう」
「しかし、ここの魔物どもがそれを許してくれるかね?」
スターリングが高い天井の奥のほうを見上げる。
中二階の手すりのむこうの薄闇に、百をゆうに超えると思われる魔物の影が、ぼんやりと浮かび上がる。
地形的に、あの数の魔物をおさえこむには、異界的浸食の境界のむこうで迎え撃つ必要があった。
いかに僕らといえど四方から敵に襲われたらかなわない。
敵を前方にあつめることで、効率よく火力を発揮することができるのだ。
「やむを得ん……」
僕は境界を踏み跨ぎ、背後をふたりに任せて、階段を駆けおり、殺到してくる魔物の群れに突っ込んだ。
手当たり次第に八匹を斬り散らかすが、踏み出すタイミングがやや遅れた。
すぐに混戦になり、背後では魔法のひかりや散弾の轟音が、不規則に発せられるようになった。
これはスターリングとシルヴィアが位置とりに苦労している証だった。
援護にいこうにも、異界的浸食のなかに踏み込んでしまったせいで、なかなか思い通りの場所にゆくことができない。
どこかで閃光が散っているのはわかる。
階段のうえの天井がぱっと白くなる。
かと思うと、背後の扉のむこうから散弾の雷鳴のごとき音が響いてくる。
それが大きくなったり小さくなったり、眩くなったり淡くなったりした。
大型の敵を斬り散らかし続けているが、斬れば斬るほど、その死骸が足場を悪くし、体液が床をぬめらせる。
立ち回りが困難になれば、不自然な姿勢で敵を斬ったり、あるいは敵の攻撃を躱したりせざるを得なくなる。
あっという間に、僕は肩で息をするようになった。
それでも概算して、もう百体以上は斬ったはずだ。
閃光や雷鳴にはだいぶ遠ざかってしまったらしく、シルヴィアとスターリングがいまだ無事なのかすら分からなくなっていた。
とはいえ、いまは回廊を進み、階段をあがりさがりし、先をはばむ屈強の魔物どもを斬りまくるしかない。
どれくらい、戦い続けただろうか。
魔物の返り血と跳ね上がる体液のせいで、もう全身がどろどろだった。
あいにくサイクロプスの揮う棍棒を不注意から肩にくらってしまい、だいぶまえから左手一本で戦う羽目になっている。
腕に乳酸がたまりまくって、もうパンパンだ。
あたりをうろつく魔物はようやくまばらになってきたが、まだ腰を下ろして休めるような状況ではなかった。
力の差を見せつけて圧倒するような戦いかたはもうやめて、物陰に潜んで闇討ちする、楽な戦い方に切り替えた。
こうして二時間、三時間が過ぎていった。
むろん正確な時間はわからない。
おそらくは、だ。
実際にはもっと短かったかもしれないし、長かったかもしれない。
確認するすべはなかった。
神速が聞いて呆れる。
ただの脳筋ゴリ押しからの泥仕合ではないか。
なかなか兄貴のようにスマートにはいかないものだ。