第十一話
僕たちはいったん解散し、各自で明日の準備をすることになった。
それから気は乗らなかったけれども、職務上のことで、どうしてもしなければならないことがあって、盗賊の頭のフィンツに使いを出し、博物館の裏の狭い水路のほとりでかれと落ち合った。
水路は連日の雨で増水し、黒くうねるように流れていた。
「急ぎの仕事を頼みたい」
「ほう」
「すまないが、人を出して、管理局鑑識のシルヴィア・レノと劇作家のジェイド・スターリングをつけてくれないか。
不審な付き合いの有無も調べてくれるとありがたい。
とくになにもなければ報告はいらない。
なにかあったら明け方にでもうちに使いを寄越してくれ」
フィンツは怪訝な顔をした。
「旦那、まってくださいよ。
レノさんはあんたの同僚でスターリングさんはラッセル伯のご友人でしょう。
急になんです。
話が見えねぇな」
「もっともだ。
だが事情は知らないでおいたほうがいい」
老盗賊の眼がいくらか細くなった。
「知ったら巻き込まれかねない、てことですかい」
「そういうことだ」
「すこしは事情が分かりゃあ、こっちも動きやすいんですがね。
まあ、あとで情報が洩れでもしてヴォイド様ににらまれることになったらかなわねえ。
……わかりやした、首はつっこまねえでおきやす」
「助かる」
あいかわらず僕の台所事情は火の車だったが、準男爵に出世すれば俸給は断然あがる。
ここが辛抱のしどころとばかりに、フィンツに多めの手付金を手渡そうとした。
「こんなに受け取れませんぜ、旦那」
「カネまわりのよくなりそうなアテがあるんでな」
「ほう。
なにか悪いことでも企んでンじゃないでしょうね?」
フィンツの白いもののまじった口ひげが裂けて、黄色い歯がのぞいた。
街の裏事情には精通しているかれも、さすがに僕の出世のことまではまだ聞いていないらしい。
「準男爵にされてしまったよ。
正式な叙勲は来月だが」
老盗賊は苦笑いして、
「そんな嫌そうな顔をされたんじゃあ、お祝いの言葉も言えやしねえ」
「ま、そういう訳だ。
受け取っておいてくれ」
「では、さっそく取り掛かるといたしやしょうか」
フィンツは老齢に似合わずひらりと飛び上がって欄干に手をかけ、暗い路地に消えていった。
それからダンジョン管理局に戻って、状況をビクターに報告しようと思ったが、あいにく不在だった。
おそらく外国のエージェントの動きを探ったり、万が一に備えて水際で出国を止めるための行政上の折衝をしたりで、忙しいのだろう。
事情が事情だったから、言伝を頼んだりメモを残したりはしたくなかった。
僕はビクターの秘書官に、いや、大した用ではないからまた改める、と言い残して、その場を辞した。
渡り廊下を歩きながら、雨季に特有のみずみずしさを湛えた中庭の植え込みを眺めていると、ふと背後から人の気配が迫るのを感じた。
足音からシルヴィアだろうと気づいたが、僕はただ思慮に耽るような態で歩き続けた。
シルヴィアが腕をつかんでくる。
僕は驚いたふりをして、シルヴィアを見た。
「ああ、戻っていたのか」
「捜していたのよ――」
と、女錬金術師は聴き取れるぎりぎりの小さな声で言った。
「ジェイド・スターリングのことで話がある。
彼を信用するのは危険かもしれないわ」
やれやれ、話がこじれそうだ。
僕は彼女とおなじように声を潜ませて、
「なにか掴んだのか」
「これから、あなたに会って欲しい人がいる。
ゲイルランドの農奴蜂起に参加した元騎士よ。
スターリングとも個人的な付き合いがあったと話しているわ。
今、あたしのセカンド・ハウスで待たせている」
「セカンド・ハウス?」
シルヴィアにそんなものがあったとは初耳だった。
帝都の物件の家賃はけっして安くない。
そのうえ彼女は大貴族の子女ではなかった。
とすれば、なにかダンジョン管理局の役人として以外の収入源があると考えるしかない。
そして、彼女は錬金術師だ。
手段さえ択ばなければ、その知識をもって、いくらでも荒稼ぎができる。
「ほかにいい場所が思いつかなかったのよ。
あたしは捜査官じゃない。
こういうとき、いったいどうすればいいのか……。
だって、だれかに見張られたり、尾行されたりしているかもしれないでしょう?」
その尾行の手配をしてきたばかりだ。
僕は顔に出ないよう努めながら、
「その男とはどうやって知り合った」
シルヴィアはしばらく、中庭のほうにむかって、視線を漂わせていたが、
「……あのね、あたし、美容関係の薬を調合して、いろいろな人に分けてあげているの。
もちろん服務規程違反であることは分かってる。
でも、あなただって刀剣商から礼金を受け取ったりしているでしょう?」
「それで?」
「お客さんのひとりが港に近いところにある酒場に勤めているんだけどね、男はその店の常連さんなの」
酔って酒場の女に身の上話をする者は少なくない。
ましてスターリングはちょっとした有名人だ。
話題に出て、それがシルヴィアの耳に届くこともあるだろう。
不自然な点はなかった。
「船乗りか」
「そう」
「これから会おう。
案内してくれ」
「わかったわ」
シルヴィアと僕は、花曇りの空にたわむれる燕の声を聞きながら、ダンジョン管理局を出た。