第十話
科学院の受付で名前と爵位、所属を告げると、すぐに担当の事務官がすがたを現わし、僕たちを総裁の執務室へ通した。
「おお、ダンジョン管理局のマキシム・ヴォイド準男爵ですな。
義兄のラッセル伯から書状を頂いております」
黒衣をまとった丸眼鏡の学者ふうの男が、右手を差し出してきた。
僕はそれを握った。
「私は科学院総裁、ロウアン子爵です。
ティル・ド・ロウアン」
「お初にお目にかかります、閣下」
科学院の総裁は、勅任の職だった。
つまり、皇帝陛下から直接、任命されるのである。
したがって閣下の敬称を用いる必要があった。
準男爵ともなるとこういう知識がひととおり必要になる。
まったく、面倒くさい話だった。
「彼女は――」
と、僕はシルヴィアを手で示し、
「管理局鑑識の錬金術師シルヴィア・レノ」
そして胡散臭い舞台俳優といった態の男を示し、
「かれは戯曲作家にして魔術師のジェイド・スターリング。
いずれも今回の調査に同行してもらう予定です」
「おお、貴殿がかの高名な劇作家の!」
ロウアン子爵はいかにも政府高官らしい威厳に満ちた髭面をかがやかせて、
「『灰とドーラン』『クラム湖の畔にて』『紅き夜の踊子』……先生の作品はほとんど劇場で拝見しておりますよ。
なにしろ妻と娘が大好きでしてな。
大学の文学科の連中はあなたの作品を俗だなどと評しておるようですが、あやつらは俗なるもののなかにこそ人間の実相がよく現れるということを分かっておらんのです」
「はは、お褒めにあずかり光栄でございます、ロウアン閣下」
子爵がいま挙げた三つの作品は、いずれも商業的には大成功をおさめたが、いずれも作者自身によって手厳しく評価されているものだった。
生活に困ってなきゃあ誰があんなもの書いたりするものか、というのは、スターリングが悪酔いすると必ず吐く台詞だった。
それだけに、さぞ複雑な気持ちだろう。
「つまらぬ批評などどうか気になさいますな。
あなたが例え生活のためにあれらの作品を著したとしても、それを含めての『人間の真実』でありましょう」
僕はあたまをかくスターリングを横目に、
「閣下、われわれは目下の情勢に鑑みて、ダンジョンの正規のルートを辿って科学院の第四研究室を目指すのは、少々時間がかかりすぎると考えています」
なるべく、無駄話はあとにしてくれ、という風に聞こえないよう、穏やかに言った。
「そうでしたな……まずは職務の話をしなければ――」
子爵はかるく咳払いをして、
「我々もまったく同感です。
あなたがたにも、我々の研究員がそうしていたように、転移魔法を利用して頂くべきであると考えています。
すでに魔術師・僧侶の人員は確保しておりますが、術式に用いる霊亀の甲羅の準備にすこし手間取っておりまして、……出発は明日にずれこみそうなのです」
僕は、やれやれと思った。
この男は事態の深刻さをちゃんと分かっているのだろうか。
「調査と救援にとりかかるのが遅れれば、その分、残された職員たちの生存率も下がりますが……」
僕は言外に、生存者をひとりも発見できなかったとしてもそれは我々ダンジョン管理局の責任ではない、ということをはっきりと匂わせた。
僕らの仕事のリストから生存者の探索と保護の項目を省けるならば、あるいはその優先順位を下げることができるなら、これほどありがたいことはない。
むろん最初から見捨てるつもりではないが、状況次第ではシルヴィアとスターリングの安全を優先するつもりでいた。
そして実際にそうなるだろう。
なにしろたった三人でダンジョンの深奥を探索しなければならない。
そのための言質は、取れるなら取っておきたかった。
「実を言えば……」
ロウアン子爵はそこで言葉を切り、しばらく考え込む様子だったが、
「我々は生存者がいる可能性はかぎりなくゼロに近いと考えております。
ラッセル伯爵から我々が救援隊を派遣したことは?」
「ええ、伺っております」
「ひとりも帰ってきておらんのです。
恐らく、ダンジョンの魔物どもに……」
僕はさりげなく、シルヴィアとスターリングの表情を確認した。
上位の冒険者でも縮み上がるようなシチュエーションだったが、ふたりとも顔色はまったく変わっていなかった。
頼もしいと評するべきか、それとも、心のネジがひとつふたつ飛んでしまっていると評するべきなのか。
まあ、その話をするなら僕もおなじだったが。
シルヴィアが僕に目配せをしている。
私も聞いてみたいことがあるんだけどいいかしら、という意味だろう。
僕は軽くうなづいて返した。
「閣下、永久機関の研究は実際のところどこまで進展していたのですか?」
ロウアン子爵は出てもいないひたいの汗をハンカチで拭い、喉元でいくらか音を立てたあと、
「このことは、くれぐれも内密に願いたいのですが……」
「無論のことです」
と、僕は請け負った。
僕とシルヴィアにはもともと守秘義務がある。
スターリングについて言えば、かれが僕とビクターの信頼を損ねてもかまわないのであれば、それをどこでも自由に話すことができた。
そのことを承知で連れてきているので、かれを信じるほかなかった。
僕の責任の範囲ではない。
ちらりと見やると、色男の劇作家どのは、まかせておけというように力強く頷いた。
それがかえって僕を不安にしたのだが。
「理論上はだいぶまえから実現可能な段階にあり、技術上の懸案についても、二、三の点をのぞけば、ほぼ解決しておりました」
「ほう……」
と、スターリングが低くうなった。
「試作型F24は、熱・電力・運動のいずれかのかたちでエネルギーを無限に取り出せる小型のポットで……」
シルヴィアがじれったそうに話をさえぎって、
「つまり、小型の試作品がすでに完成していたのね?」
その口調は、まるで要領を得ない子供から急いで話を聞きださなければならない母親のような趣きがあった。
「え、ええ。
その通りです」
「なんとしても、回収しなければならないな……」
と、僕は独り言を言った。
もしくはその破壊を。
「とすれば、設計図や実験データも一式そろっているはずだが」
と、スターリング。
ふたりとも敬語を忘れていた。
たしかに、まどろっこしい話を続けて時間を無駄にしても構わない状況ではなかったが。
「研究所の最奥の研究室に、試作品と書類が安置されているはずです」
と、総裁は言った。
「なにか見取り図のようなものは?」
僕が尋ねると、子爵はゆっくりと首を振った。
「機密保持の観点から、図面はすべて破棄しました。
略式の地図を作らせようにも、建物のなかを知る職員はすべて……」
思わず舌打ちが出た。
この男は地図もなしに僕たちをダンジョンの深奥に送り込もうというのだろうか。
それも自分たちの失敗の後始末のために。
子爵の顔色は悪くなるいっぽうだった。
「……失礼しました、どうか寛恕を願います」
と、僕はすぐに声を整えて、
「霊亀の手配は明日の何時ごろに?」
「明け方には着くでしょう。それから魔法陣の描画や祭壇の準備がありますから……一〇時までにはなんとか」
「場所は」
「本棟の第三聖堂を予定しています」
聖堂とは文字通りのものではない。
魔術では儀式を行う場を神殿に見立てることになっている。
それで儀式魔術を執り行うことを専門にするスペースは聖堂と呼ばれている。
「わかりました。
では探索に必要な道具はそこに搬入させましょう。
われわれは一〇時に第三聖堂に参上します」
僕は、それでいいな、とシルヴィアとスターリングに確認した。
ふたりは黙ってうなづいた。