第八話
ともあれ、ジェイド・スターリングのことである。
今回はことがことだけに、ギルドの親父には申し訳ないが冒険者ギルドを通さずに直接、スターリングに話をもっていくことにした。
ダンジョン管理局に届け出られているかれの住まいを尋ねてみると、恋人が借家の裏口にしゃがみこんでしくしくと泣いていた。
メリア・ローゼという名の中堅どころの女戦士で、鳶色のショート・ヘアに水色の瞳をもった可愛らしい娘である。
今日はオフらしく、編み上げのワンピースを着て、腰に剣は佩いていなかった。
そのせいで、なんの変哲もない、ふつうの街の女の子に見える。
「ダンジョン管理局のヴォイド士爵だが――」
僕はふと、朝のことを思い出して、
「準男爵だが、ジェイド・スターリング殿はおられるか」
メリアは泣いて首をふるばかりだった。
「おなじく管理局鑑識のレノという者だけど」
と、シルヴィアは名乗って、
「あなた、どうかしたの?」
「おかあさんの形見のカメオがないの……」
と、メリアは弱々しい声で言った。
「きっとジェイドが持ち出したんだわ。あれだけは絶対にやめてって、言っておいたのに……」
おおかた、質屋にもっていって飲み代に充てたのだろう。
僕はシルヴィアと顔を見合わせて、肩をすくめた。
僕たちは哀れな女の子にひととおりの慰めを言って、それから酒場にむかうことにした。
恋人の母親の形見をカネに変えたろくでなしは、そのまま酒場に直行するに決まっている。
帝都に昼間から酒を飲ませる店など数えるほどしかなく、ほどなく見つかるだろうと思ったのだ。
が、脚を伸ばすまでもなく、スターリングは即刻捕まった。
通りの角から顔を半分出し、メリアの様子を伺っていたのである。
かれにも人なみに罪悪感というものがあると見える。
バーガンディのジャケットをまとい、気取ったジャボを胸元にさげている。
清潔感のある髭に、役者のような整った顔立ち。
なりは悪くないが、そのせいで、かえって胡散臭くみえる。
「やあ、金に困っているようだな」
と、僕はその男――スターリングの肩に手をおきながら言った。
「いい話があるんだが、乗らないか」
「……うまくいけば、恋人のカメオくらいすぐに質出しできるわよ?」
と、シルヴィアが囁くように言う。
スターリングは盛大に目をきょどらせて、
「官憲どもが俺にいったい何の用だ。恋人のカメオだと? 話がさっぱり分からんな」
僕はつい容疑者を牽制するノリで、
「あんたそれでもゲイルランドの農奴たちの英雄なのか。
かれらはさぞ嘆くだろうな。
我らが同胞ジェイド・スターリングがなんと一回り以上も歳の離れた冒険者の娘に我が身を養わせているうえ、恩知らずなことにその娘の大事なカメオをもちだして質に入れ、飲み代に充てたなどと知ったら……」
「祖国の恥、だわ」
シルヴィアが容赦なく決めつける。
その緑の瞳には、女が女の敵を見るときに特有の怒りが滲んでいた。
「せいぜい蔑みたまえ。
あんたたちみたいな役人には、俺のような底辺の人間の苦悩など、けっして分からんよ……」
スターリングは日常的な酔いのせいで不健康ににごった藍色の瞳をもちあげて、青空を仰いだ。
「そうかもしれんな」
と僕は言った。
「でもスターリング、きみは繊細な詩人でもあるだけに、恋人がああして泣き崩れているのを見るのはさぞ心苦しかろう。
僕たちはきみをその苦悩から救い出してあげることができるかもしれない。
……むろん、きみ次第だが」
「わかったわかった……」
スターリングは観念したようにため息をついた。
「俺にいったいなにをやらせたいんだ、黒い瞳の士爵さまよ」
「かれ、準男爵になったのよ」
と、シルヴィア。
「正式な叙勲式は来月だけど」
「おお、それはめでたい。今度、お祝いをしなきゃあな」
スターリングは大げさに喜んで、僕の手をとって握ったり、肩を叩いたりを始めた。
「ヴォイド殿、ぜひ、おたくにお邪魔させていただくよ」
ようするにタダ酒にありつきたいのである。
「いや、来なくていい。
きみが家に来るとワインのストックが減るだけで、なにもいいことがない」
スターリングは興覚めしたと言わんばかりに盛大に鼻を鳴らして、
「あんたの兄貴は立派だよ。
なにしろ気前がいい。
そりゃあ三文芝居の脚本など書くのはやめて文学をやれだの、壮大なゲイルランドの大自然とそのなかで暮らす農奴たちの生活を堂々謳い上げるんだだの、耳の痛いこともおっしゃるが、ちゃんと酒は飲ましてくれるぞ。
ラッセル伯は芸術家を保護するという貴族の役割をちゃんと心得ておられる。
そこへきて、おまえさんはなんだ。
すこしは兄上を見習ったほうがいい」
これでもスターリングには何度かただ酒を飲ませてやっている。
それもこれも、兄貴の友人だと思えばこそだ。
僕は呆れてモノも言えなかった。
かれは続ける。
「冒険者ギルドを通さず、直接俺んところに話を持ってくるくらいだから、どうせロクな話ではあるまい。
御免こうむる、と言いたいところだが、あんたたちも察しているとおり、俺はいま、とてもカネに困っている。
諦めるほかあるまいな。
どこへでも連れていきたまえ。
準男爵、きみの敵をわが魔法の焔で焼き払ってくれようぞ」
戯曲めいた台詞まわしでもって、そんなことを言う。
「魔法使い殿、それは結構な心構えだ」
「きっとゲイルランドの農奴たちもあなたのことを誇りに思うわ」
スターリングは僕たちと並んで街を歩きながら、ふと、
「ゲイルランド、か……。
わが祖国は、信じられないほど水のきれいなところでな。
ブナやクヌギの葉を透かした日光がせせらぎに乱反射するさまは、なんとも言えず美しかったよ。
いちめんの麦畑の、青々とした穂が、夏の野分に波打つさまは、それはもう壮観だった。
こう、真っ白な風車が点々とあってなあ。
ああ……もう、何年も見ていないんだ」
と、ひとりごとのように言った。