第三話
覚えているのは鉄の檻だ。
風景としては、古い西部劇に似ていたように思う。
檻のむこうを、黒やこげ茶、緑の服を着た男女たちがたくさん行き来していた。
ときおり、髭をたくわえた男たちが檻のなかの僕をのぞきこんで、商人らしい男と言葉を交わす。
なにを喋っているのかまったくわからなかったが、指を折ったり言い合いをする様子から、値段の交渉でもしているのだろうと思った。
つまり、僕は奴隷になったのである。
僕を買い付けたのは、腰に長剣を差した、がたいのいい男だった。
檻から出されるなり妙に親しげな表情をうかべて背中だの腰だの、尻だのに触れてくるので、なるほどこれが男色というやつかと思った。
祖父からそういう趣味の人間がいることを聞いていた。
僕は笑みを浮かべて男の腰から剣を抜き、心臓を一突きにして、逃げた。
追ってくるものを五人くらい斬り殺して、けんめいに走り、隠れ、ふと気づくと、運河のほとりに立っていた。
その辺にはいわゆる、乞食が大量にいた。
小石隠すにゃ砂利の中、という。
僕はここに根をおろす気になった。
はじめのうちは悪臭のひどさに辟易したが、じきに慣れた。
そうして市場にふらりと上がっていってはパンや干し肉、果物をくすねて、腹を満たした。
ひとは悲惨な暮らしと思うかもしれない。
けれども僕はわりと楽しかった。
街の乞食たちのなかには教育のある者もいて、僕にいろいろと親切にしてくれた。言葉をわりあい早く覚えることが出来たのも、かれらのお陰である。
僕には剣の心得があったので、こういう暮らしに伴いがちな物騒な問題を、まったく恐れずに済んだのはさいわいだった。
喧嘩になれば躊躇なく剣を抜き、相手を殺して服やカネ、持ち物を奪った。そのうちすぐに、僕は獲物を探して夜の街を歩くようになった。
――そう、強盗になったのだった。
非難するものは非難すればよいと思う。
食えない人間は行儀正しく飢え死にすべきであるという意見の持ち主にたいしては、ああそうですか、のほかに言うべきことはない。
僕はかまわず獲物を見つけて殺し、金を奪って腹を満たすしかなかった。
とくに長雨になって市場から食料が消えるとそうだった。
むろん、こんな暮らしをいつまでも続けていたいとは思わなかったが、その機会がなかった。
なにしろ、乞食として寝たいときに寝て、腹が減れば盗んで喰い、喧嘩になればひとを殺して物を奪う――これほど楽な生活はなかった。
やめたくとも、言葉が満足に喋れないのだから仕方がない。
そうして好き勝手やり、そのうち言葉が分かるようになる頃には、僕は街の裏社会で、すこしばかり顔の売れた存在になっていた。
街で幅をきかせていた盗賊団とトラブルになり、十人くらいの盗賊を斬った。その頃には僕の剣には錆が浮き、刃がほとんど欠けていて、剣というよりは鉄の棒といったほうが実態にちかかった。
その剣でもって殴り殺すのである。
相手はさぞ苦痛だったろうと思う。
が、やらなきゃやられるのだから仕方ない。
僕は躊躇なく盗賊どもを殴り殺した。
そんなある日、盗賊の頭がやってきて僕に詫びを入れてきた。
先生若えのに大したもんだな、良かったらおれたちの用心棒になってくれねえか。
いまよりずっといい暮らしをさせてやれるぜ。
それから盗賊の頭――フィンツといった――は、僕を娼館に連れていって、一番上等な娼婦をあてがった。
僕は十代の旺盛な性欲をぶつけるようにしてその娼婦――ナタルマを朝までなぶった。
最初はひどく喜ばれ、やがて呆れられ、しまいには泣いて詫びられた。
それでも僕は娼婦を離さなかった。
ナタルマはついに失神した。
それ以降、僕を見ると青褪めて悲鳴をあげるようになった。
頭のねじもすこし飛んだらしい。
美人にひでえことをしやがるな、とフィンツに冷やかされたものだ。
僕が彼女にしたことの意味を悟ったのはずっと後のことだった。
ナタルマはいま、大きな穀物商に身受けされて、第二夫人としてお淑やかにやっているようだったが、仕事でひさしぶりに顔を合わせたときには、小さく悲鳴をあげられた。
そして帰り際に、どこかで二人きりで会えませんこと、などとこっそり誘ってきた。
僕は笑って首を振った。
いまのは聞かなかったことにしておきます、どうかご主人を大切になさってください、と。