第四話
「それは分かったが――、そのことが、ダンジョン管理局の仕事とどう関係してくるんだ」
「あのな、マキシム」
ビクターは呆れたように顔をしかめて、
「《永久機関》が開発されつつあるということの意味が分からないか?
この世界に激震が走ることになるだろう。
それも、産業革命をゆうに超える大変動だよ。
言うまでもないが、《永久機関》を開発した国は、この大陸の覇者となることは違いない」
「……なんだ、えらいことじゃないか」
「ちなみに、この話は国家機密だ。他言するなよ」
「それを最初に言え。
うっかりリリィに話して聞かせてしまうところだった。
あと二十年もすれば汽車や蒸気船ができるかもしれない、楽しみにしていろ、ってな」
ビクターは窓のほうを見やって、
「……リリィには話しても構わないよ。
どうせ意味なんて分からないだろうし」
「きっとあの子は喜ぶだろうな。
こういう話が大好きだから。
けれども、話の下手な僕より、君が話して聞かせてやったほうがいいんじゃないか」
かれは微笑して軽くうなづいたが、すぐに表情をひきしめ、
「ただ、難しい問題もある。
僕たちがいた世界では、産業革命の結果、ロンドンの労使環境が劇的に悪化し、帝国主義が世界を席巻した。
そんなふうにして弱い立場にあるひとたちをとことん苦しめた時代という名の猛威は、長い時間をかけてゆっくりと根付いた人道主義によって相殺されたが、ともかく、世界中にたいへんな悲劇をばら撒いた。
僕はこの『世界』が『永久機関』の発明によって引き起こされるであろう大激変に耐えられるか、かえってとんでもない惨劇を引き起こしはしないかと、そのことを心配している」
「なるほど、な……」
「僕は、文明の発達した異世界からやってきた人間のひとりとして、この世界が産業革命を迎えるにはまだ早すぎるように思っている。
なにしろ諸々の社会科学の土壌となるべき思想哲学のレベルはまだまだお粗末だし、人道主義に至ってはまったく根付いていない。
民は各地で虐げられているし、ひとの命は羽毛のように軽んじられている。そんなところへきて、一足飛びに、十八世紀、十九世紀のような昏い時代がやってきたらどうなる。
到底、容認しがたいよ。
けれども残念なことに、僕はただの書生ではない。
帝国の貴族だ。
帝国の国益と臣民の利益を第一に考える義務がある……」
「ビクター、気持ちはわかるが――」
僕は慰めるように言った。
「きみが心配しても仕方のないことだろう。
ものごとはなるようにしかならないよ。
とくに歴史だの時代の流れだのというのは」
「それが……そうでもないみたいなんだ」
ビクターは黒髪に指をさしいれ、耳のうえあたりをしきりに揉みながら言った。
「僕たちの裁量ひとつで、《永久機関》の理論と技術を闇に葬れるかもしれない」
「どういうことだ」
「さっき言っただろう、《永久機関》を実現させるためには魔物の力が必要だ。
むろんそれはガレー船の漕ぎ手みたいに魔物を鎖につないで機関を回転させるという意味じゃない。
ダンジョンの奥底に漂っている《瘴気》を用いるんだ。
魔物はこの《瘴気》が凝って生まれてくるとされているが、これを結晶化してシステムの中核部分に埋め込むらしい」
「なんだかよく分からんが」
僕は髪をがさがさとかいて、
「……ま、説明してもらってもどのみち僕には分からないだろうな。
続けてくれ」
「《永久機関》の研究開発をしている帝国大学第四研究所は、ダンジョンの深層にある。
というのも、そこいがいに《瘴気》がふんだんにある場所はない」
「それは初耳だ」
「なにしろ国家機密だからな。
政府内でもごく一部の者しか知らない」
「しかし、学者や研究者の出入りはどうしているんだ。
それに物資の運搬もあるだろう。
深層となれば腕利きの冒険者だってそう易々とは行けないぞ。
……まさか」
「……そう、転移魔法だよ」
ビクターは皮肉っぽい笑みを浮かべて、腕を組んだ。
転移魔法――それは、僕やビクターのように異世界からやってきた人間にとって、特別な響きをもつワードだった。
言うまでもないだろうが、僕たちがこの世界に迷い込んで最初に考えたことは、もちろん、もとの世界に戻ることだった。
こっちへ来て十年ほど経ったいまでも、故郷はやはり故郷であり、ときどき狂おしいほどの郷愁の念に駆られることがある。
日本にいたころはごくあたりまえだった駅前のモダンでにぎやかな風景だとか、父に連れていってもらったドームの球場だとか、大迫力の映画館のスクリーンだとか、燦然たる大都市の夜景だとかが、きまぐれに記憶の底から鎌首をもたげて、僕たちを苛むのだった。
恐らく、それらには、もう二度とお目にかかれないだろう。
さすがに半分諦めてはいる。
けれども、たったひとつ、もとの世界に戻れる可能性があるとすれば、それは転移魔法のほかに考えられなかった。
この魔法をつかえば、ある地点からべつの地点まで瞬時に移動することができる。
そのあいだをどんな厚い壁がさえぎっていようと関係ないし、物資を移転させることも可能だ。
ただし、事故が起これば移転者は永遠に亜空間に閉じ込められてしまう。
術の成立に万全を期すためには強い魔力をもった魔術師や僧侶を何人も集めなければならなかったし、天文や暦のむずかしい計算を含んだ複雑な魔方陣をそのつどていねいに書き上げる必要があって、よほど学識のある魔術師でないと術式を構築できないとされていた。
そのうえ、転移魔法は軍事面においても治安面においても、国家にとっては甚だ不都合なものだった。
転移魔法でもって暗殺者の集団を宮殿の奥深くに送り込まれたら大変なことになるし、ダンジョンの正面入口を迂回してダンジョンに勝手に出入りされれば、魔物や危険な素材の流出を招くことになりかねないし、ダンジョンの内部に犯罪組織の拠点を作られることにもなりうる。
実際、過去には、闇ギルドがダンジョンの内部に本部を置き、移転魔法でもってネディロスの市街の各所と行き来をして、凶悪な犯罪を繰り返したこともあった。
そのような次第で、転移魔法は帝国政府により厳しく規制されている。
さらに、この魔法を執り行うには、「時間」と「空間」を象徴するとされている霊亀という聖獣の甲羅が必要で、この霊亀を許可なく狩ったり、甲羅を取引したりすれば、厳罰が課されることになっていた。
初犯でも最低十年は監獄に入っていなければならないだろう。
ビクターの皮肉な笑みには、恐らくふたつの意味がある。
ひとつは十代のころにさんざん故郷に恋焦がれて結局戻ることがかなわなかったことへの苦い思い。
もうひとつは、当の政府がその弊害を重くみて厳しく規制しておきながら、《永久機関》の研究のためにその使用を認めていたこと。
「……科学院や軍務省が《永久機関》の開発を急ぎたがる気持ちはよくわかる」
と、ビクターは机のうえにブーツを乗せて言った。
「……が、こういうことは急ぎ過ぎるとロクなことにならない。
移転魔法の使用を許可したのも焦りの現れだろうな。
なにしろその技術が民間に洩れれば自分の首を絞めることになるのだから。
……案の定、第四研究所で大規模な事故が起こった。
それで、ダンジョン管理局にその後始末が一任された、という訳だ」
「やれやれ」
「ノルウェイの森ではないが、ほんとうに『やれやれ』だよ」
ビクターは吐き棄てるように言った。
ストックが……乏しくなって参りました。。。
更新間隔が大きく開くと思うので、期待せずにお待ち頂けると幸いで御座います。