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幻想の夜叉  作者: 栗山大膳
雨の日の怪獣
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第三話

 近所に宰相府に勤めている顔見知りの騎士が住んでいて、そこの若党を借りてビクターの屋敷まで使いに行ってもらおうと思い、階段を降りると、むかいの雑貨屋の軒先に、ビクターの家来の騎士が立っていた。



 名はレダ・シオンと言い、背丈のある頑強な体躯の男で、歳は四十にせまるくらいだったと記憶している。


 いかにも武人らしい精悍な顔立ちで、ダークブラウンの髪をオールバックにしている。


 ラッセル伯爵家の領地のランクール郡の出身であり、軍歴が長く、皇帝直参の騎士に取り立てられるという話もあったらしいが、それを辞退してビクターの家来に留まっている忠義者だった。



 僕もかれも騎士という点ではおなじだが、僕は皇帝陛下の直参ということで格上になる。


 江戸時代の制度で例えるなら、僕は旗本御家人で、かれは小藩の家老や上士、といったところだった。


 加えて、僕はビクターの義弟であるから、シオンから見て主筋の人間にあたる。


 だからかれは僕にへりくだって接してくれる。



 シオンは僕に気づくと一礼して雨のなかへ出てきて、

「ヴォイド様、お嬢様のことでお話が……」



「ちょうどよかった、いま屋敷のほうに知らせようと思って出てきたところで」



「ええ、そのことなのですが……」



「立ち話もなんですから、うちにお越しください。

 謙遜抜きでむさくるしいところで恐縮なのですが、雨風はいちおう凌げます」



「お気遣いありがたいのですが、ここで大丈夫です」



 あるいはシオンは、リリィと顔を合わせたくないのかもしれない。


 僕もそれ以上は勧めずにおいた。



 僕たちは雨の当たらないアパートの軒下に入り、


「そうですか。しかし、あの子がここに来ているとよく分かりましたね」



「ええ」

 と、シオンは苦笑いを浮かべる。

「リリィ様が、ヴォイド様のお宅までの道順を、メイドたちに尋ねてまわっていると、報告を受けておりましたから」



「なるほど」



 見たところ、シオンは困っているふうではあったが、慌てているふうではなかった。


 あるいは、リリィがここにくるまで、シオンがちゃんとあとをつけて、見守っていたのかもしれない。


 しかし、となると、屋敷の人間たちがリリィの家出を黙認したことになるが、とすれば、ビクターから連絡がないのは奇妙だった。



「ヴォイド様、おそれいりますが、お嬢様をしばらく預かって頂くわけには参りませんか」



「僕もリリィが望むのなら置いてやりたいところですが、なにしろ男の一人住まいだし、仕事もあるしで……」



「それなら屋敷のほうでひとを手配しましょう」



「そうしてもらえると助かります。

 しかし……なにかあったのですか」



「じつは昨夜、ビクター様がリリィ様を厳しくお叱りになりましてね――」

 と、かれは言った。

「ヴォイド様もご存じだと思いますが、長雨の季節になるとビクター様は持病の片頭痛がひどくなって、いささかご機嫌が悪くなる。

 そこへきて、浴室にれいの蛙の死骸が置いてあったものだから、リリィ様を呼ばれて大声で叱責なさったというわけで……」



「なるほど」



 リリィはハーフ・デビルである。


 実父は人間の冒険者だったが、母親が魔物のサキュバスだった。


 魔物の血が半分、入っているのだ。


 すべてがそうではないけれど、ハーフ・デビルは生まれつき冷酷残忍な者が多かった。


 恐らくはその影響だろうが、リリィは小鳥や蛙などの小動物を捕まえては解剖して殺すのを趣味にしており、ビクターが諭してもなかなかやめようとしなかった。



 シオンは、訥々と続ける。


「リリィ様のほうは案外けろっとしておられましたが、ビクター様のほうがその後、自己嫌悪に陥られたようで、書斎に閉じこもってしまわれましてね。

 ……そのことと、リリィ様が家出を思い立ったこととの関連については、私には推測しかねますが、あるいはリリィ様にも、幼いなりになにか思うところがあったのかもしれない。

 いずれにせよ、我が君はああ見えて繊細なところのあるお方ですから、せめて長雨の季節が終わるまで、おふたりには距離を置いて頂いたほうがよいかもしれないと思いまして……」



 それから僕はシオンと今後のことを打ち合わせてかれと別れ、近所の食料品店でパンとチーズと缶詰とワインを買ってアパートに戻った。



「ただいまあ。いい子にしてたかあ」



 奥からすぐに、してたー、と声が返ってきた。



 買い物の紙袋を椅子のうえに置いて、ふと、からの硝子の花瓶のそこで、妙な虫がうごめいているのに気づいた。


 それはよく見れば、脚をもがれた絡新婦だった。


 体液を垂らしながら、胴体をよじっている。



「リリィ、こいつはおまえさんがやったのか」



「うん」



「虫が苦しんでいるのを見るのは楽しいか」



 リリィは、どうしてそんなことを聞くの、という顔をして、僕を見上げた。



「かわいそうに。

 この蜘蛛はもう、網をはって獲物を取ることができない。

 生き物は食えくなりゃあ、いずれ死ぬ。

 つまり、こいつは生きる望みを断たれたってことだ」



「………」



「生きる望みを絶たれてなお生かされている悲しさ、絶望感、無念の思いくらいは分かるようになって欲しいよ、おじさんは」



「………」



「僕は小動物をいたぶるなとは言わない。

 どうしてもそうしたいんなら、そうすればいい。

 それがおまえの生まれもっての性格なんだったら、しょうがないもんな。

 ……が、もう飽きたのなら、せめてとどめくらいはさしてやれ、リリィ」



 僕は哀れな蜘蛛をつまみあげると、小柄をとって、リリィの目の前で真っ二つに斬ってみせた。

第三章終了です。

おつかれさまでした。

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