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幻想の夜叉  作者: 栗山大膳
雨の日の怪獣
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第二話

 僕はあいかわらずアパートの貧乏暮らしで、食事の支度から洗濯から、すべて自分でやらなければならなかった。


 お手伝いさんを雇おうにも、この帝都には派遣型メイドなんて便利なものはなかったから、フルタイムで雇入れるしかなかったが、それは経済的にちと苦しい。


 家事をあれこれやっていたらきりがないのだけれど、せめて身ぎれいにはしておこうと思って、洗濯だけは欠かさないようにしていたが、そのせいで非番の日は半日水仕事に追われている。


 はたして、僕は異世界に洗濯しに来たのだろうか、と思うことさえある。


 こういう生活を送っていると、貴族になったらさぞ楽だろうなあと思いはするが、そのために色々と責任を背負いこまねばならないのは気が重い。


 そんな調子で僕は、ダンジョンで魔物を斬り、密偵たちを使って犯罪者を追い、オフィスでは苦手な書類仕事を片付け、休みの日は街のおばちゃんたちにまじって井戸端で洗濯をするという、地味で単調でめんどうくさい毎日を送っていた。



 そうしてときおり、休みのまえに明け方ちかくまで痛飲して、ぐでんぐでんになってアパートに帰ってきて、自堕落に昼まで寝て過ごすというのをほとんど唯一の楽しみにしていた。


 僕は本質的に怠け者である。


 でなかったら、運河のほとりで数年も寝起きしたりしていない。



 その日は非番だったので、昼まで万年床のベッドのうえで泥のように眠り、心行くまで「魂の洗濯」をするつもりでいたところを、朝っぱらから、なにやら肩を揺さぶる者がいる。



「ねえ、おじさま、おきて。ねえ、おじさま」



 僕はこれでも剣術の修行をそれなりに積んできた。


 だから眠りこけていても、害意をもって近づこうとするものがいれば、忽然と眼が覚める。


 これは運河のほとりで寝起きしていた頃からのことで、どんなに泥酔していてもそうだった。


 だからアパートにもいちいち鍵などかけはしなかった。


 そんな僕の無意識の「警戒網」をかいくぐってここまでやってくるとは大したやつだ。



 僕は壁にむかって寝返りをうって、

「リリィ、頼む、もうすこし寝かせてくれ……」



 泣きを入れたが、子供とは残酷なもので、ちっとも聞きやしない。


 ベッドに這いあがってきて、小さな手で容赦なく腕や背中をおしてくる。



 リリィは僕の義兄弟にして上司のビクター・ラッセル伯爵が養女にむかえたハーフ・デビルの女の子である。



「おいビクター――」

 たまりかねて僕は声をあげた。

「いるんだろう? お願いだから、この怪獣ちゃんをとめてくれ。でないと、僕は死んでしまう」



「ビクターさまならいないわ」

 リリィは、やや不機嫌そうに言った。



 この子は僕をおじさまと呼ぶくせに、ビクターのことは決しておとうさまとは呼ばない。


 それには聞くも涙の理由があるのだが、それは彼女自身に語ってもらうことにして……



 僕はリリィの言葉を聞いて、二度寝を諦め、身体を起こした。



「あー……」



 閉じたカーテンのむこうから、雨音が聞こえてくる。


 バルバラ半島は雨季に入り、ここのところずっと雨だった。


 寝室のなかは薄暗い。



 服と金髪をじっとりと濡らした女の子が、となりにちょこんと座っていた。



 にっこりと笑って、

「おはようございますっ」



「……おはよう」



 僕はベッドからおりて戸棚からタオルをとり、うしろから付いてきたリリィの頭をがさがさと拭いてやりながら、


「もしかして、ひとりでここまで来たのか?」



「そうよ」



「よくたどりつけたな、と褒めてやりたいところだが、屋敷の人にはちゃんと言ってきたんだろうな」



 もちろん、断ってはいまい。


 リリィは養子とはいえ伯爵家の令嬢であり、そんなことを家僕たちが認めるわけがない。


 つまり、黙って出てきたのだ。



 リリィはタオルのなかで首をふるふるとふって、

「わたし、家出してきたの。

 ちゃんと、おきてがみもしてきたのよ。

『たびにでるので、さがさないでください』って」



 やれやれ。



「朝飯は食ってきたのか」



「うん、たべてきた」



 僕はリリィの頭にタオルをかけたままにして、ズボンを穿き、シャツに袖をとおして、カウチに腰をおろした。



「この不良娘め、なんで家出なんかしたんだ?」



「おじさまにお願いがあってきたのよ」



 リリィはカーペットのうえにスカートをひろげて座って、



「わたしをおじさまのうちの子にしてほしいの」



「なんでだ」



「だって、父と娘はけっこんできないでしょう?」



「まあな」



「わたし、しょうらいはビクターさまのお嫁さんになるの。

 だからビクターさまの娘はこまるのよ」



 リリィは、ほんとうに困ったような顔をして、ピンクの頬に手をそえて、首をかしげた。



 その仕草に、僕は思わず噴き出した。



「なるほど」



 だから彼女はビクターをおとうさまと呼びたがらない。


 幼いなりに、本気なのだ。



「そしたら僕はビクターの義弟から義父に格上げだな。

 もうヤツの自業自得の書類仕事に付き合わされずに済むわけだ。

 ……悪くない」



「ね、いいでしょ」



 僕はそれには答えず、食物の棚から林檎をとってきて、菊一文字の鞘から小柄を抜き、皮をむきはじめた。



「リリィも食うか?」



「たべるー」



 皿に載せて出してやり、ひと切れとって、齧りながら窓のそとを眺めた。


 むかいの石造りの建物も、石敷きの通りも、雨ですっかり濡れそぼっている。


 これじゃあ井戸端で洗濯なんかできないし、したとしても乾かない。


 洗濯機と乾燥機があたりまえにある二千年代の日本が普通にうらやましかった。



 僕はむしゃむしゃと林檎を食べる姪をふりかえりながら、ともかくビクターの屋敷の者に連絡しなければなるまいと思った。



「おじさんちょっと買い物があるから家を空けるけど、いい子にしてるんだぞ」



「わかりましたあ」

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