第一話
ダンジョンで負った矢傷は、翌日にはすっかり塞がり、三日後には瘡蓋がとれ、刀を振るうにもまったく支障がなくなった。
あとで聞けば、あのとき手当をしてくれた医僧のウルヴァンは、一時期、皇帝陛下の典医も務めたことがあるほどの名医で、ビクターに頼みこまれて連れてこられ、充分な数の護衛を付けられたうえで僕たちの探索に出されたらしい。
ビクターはかつてウルヴァンから相談を受けて、薬の材料の調達を手伝ってやったことがあったようだ。
かれが普段より、あちこちから持ち込まれる頼みごとを聞いてやっていたのが功を奏したかたちである。
兄貴には礼を言わなきゃならないとは思うのだが、仕事の報告などでかれのオフィスに行くたびに、トレイに積みあがる書類のほうへ眼がいってしまい、つい小言が出てしまう。
かれには書類仕事をためこむ悪い癖があり、その後始末に、決まって僕を付きあわせるのである。
傷はすっかり良くなったが、しかし、痕は残った。
このあいだ公衆浴場へいき、全身鏡に背中を映したとき、それが幼いころに見た祖父の背中とあまりに酷似していて、驚いたものだった。
ラミアの怪我のほうも相当にひどかったが、帝国最高レベルの応急処置と治癒魔法のおかげで一命をとりとめ、一週間もすると、《暁の雲》を佩いて元気に出てきた。
ただ、そこはやはり女の子で、傷跡が残るのはどうしても避けたかったらしく、たまたま管理局の鑑識に美容関係の得意な女性の錬金術師がいて、彼女のところへ行って軟膏をわけてもらい、朝昼晩、矢傷の跡に熱心にすりこんでいるようだった。
それが、かなりの痛みを伴うものらしく、一時期、管理局の女子更衣室には昼間から幽霊が出ると噂が立ったほどだ。
女性の職員たちが一念発起して、陰鬱なうめき声のもれてくる個室を恐る恐るノックしてみたところ、ラミアの明るい声が返ってきた、という顛末であった。
彼女のほうはそんな調子だったが、屋敷のほうではひと悶着あったらしい。
無理もないことなのだが、父親のカルディオネ公爵とその家臣たちが今度のことに驚いてしまって、ダンジョン管理局の職を辞すようしつこく説得してきたらしいが、むろんそんなことに耳を貸すラミアではなかった。
ただ彼女にとっては残念なことに、剣に宿っていた蛮族の勇者ゲネスは、百年の宿願を果たして、あの世に旅立つことに決めたらしく、夢のなかでラミアに別れを告げにきたという。
そのとき、ゲネスから、あの黒い瞳の騎士にくれぐれも礼を言っておいてほしい、と頼まれたらしい。
「オレカンドウシタ!
『サムライ』ハオトコノナカノオトコ!
オレモ、ウマレカワッタラ『サムライ』ニナルー!
って、言ってました。
『さむらい』ってなんですか?」
ラミアは小首をかしげて、そんなことを聞いてくる。
「侍、か……。
正直、僕にもよく分からない。
ただ、かれが僕をそのように思ってくれたのなら、光栄なことだな」
それにしても、ゲネスはよく侍なんて言葉を知っていたものだ。
あるいは、あの戦いのなかで、僕の佩刀である菊一文字からなにかを感じ取ったのかもしれない。
では、万事めでたく落着したのかというと、実はそういう訳でもなく、彼女とのあいだに、ひとつの懸案が持ち上がった。
それは、リザード・マンの主君ガガーマンを討ち取った手柄をどちらに帰すべきかの問題である。
僕は人も斬るが魔物もさんざん斬っており、武勲のうえではいつ準男爵の叙勲を受けてもおかしくない状況であった。
というのも、大陸では、我が帝国のみならずどこの王国でもそうなのだが、魔物を討ち払って民を安んずるということを、統治を正当化する主たる理由としていた。
魔物を倒しまくっている者を冷遇することは封建国家として自己否定に等しい。
そんなところへきて、ガガーマンみたいな大物を討ったとなれば、僕は確実に準男爵にされてしまう。
ビクターなどは一足飛びに男爵に推薦する気になっている。
こうなると僕はもう立派な貴族だ。
冗談ではない。
面倒な領地の管理も、家来や貴族連中との付き合いも、宮廷作法のお勉強も、ひらにご容赦ねがいたい。
だいいち、ガガーマンにとどめを刺したのはまぎれもなくラミアなのだから、手柄は彼女に帰すべきである。
僕は強硬にそう主張したが、当のラミアが、あれは「貰い首」だと言って譲らない。
彼女は正直で邪心のない人柄ではあったけれども、自分の手柄にしたがらないのにはちゃんと計算があるのではないか、と僕は見ている。
ラミアは恐らく、カルディオネ公爵家において求心力を持ちたくないのだ。
彼女の家は武門の家柄で、令嬢といえども武張ったことで手柄をあげたとなれば、領民や家臣たちの人気が集まる。
いや、むしろ令嬢だからこそ話題になり、耳目を集めてしまう。
こうなると、自然、ラミアが次期当主になることを期待して、これにとりいって出世しよう、利権にありつこうとする者が出てくる。
嗣子であるラミアの長兄はきっと面白くない。
少なくとも、長兄の側近たちは快く思わないはずだ。
そこから感情の行き違いが生じて、家のなかが乱れたりする。
こうして相続問題から内乱に発展し、失政の責任を取らされて領地を召し上げられた貴族の家は少なくない。
ラミアには冒険ばかのところがあったけれども、貴族の子女として、そういう思慮がまわる一面もあわせもっていた。
ダンジョン管理局の同僚たちには、とても謙虚な譲り合い、美談の類として見えただろうが、とんでもない、僕もラミアも必死だったのだ。
手柄を押し付けあっているうちに話はうやむやになり、やがて季節が過ぎた。
第三話は短くなる予定です。