第九話
砦の普請が行われていた場所は、行政管理の都合上、第二区画と呼ばれているエリアの、通称・大広間であった。
だだっ広い空間に、鍾乳石の円柱がまばらに立ちならぶ、荒涼とした場所で、ここに土嚢を積み上げ、丸太を組んで、きたるべき対リザード・マン戦の、さしあたっての防衛拠点とすることになっていた。
むろん、だだっ広いといっても平坦ではなく、人ひとりから三人分の背丈ほどの段差をつくりながら、奥にむかってなだらかにくだっている。
ダンジョン管理局では、ここをあがってくる魔物どもを、弩やロング・ボウで撃ち減らし、杭を仕込んだ落とし穴にはめ、火薬を仕込んだ偽の砦に導いて爆死させ、――という戦略を立てていた。
ゴブリン、オーガ、トロルなどのグリーンスキンや、リザード・マンなどが大挙して押し寄せてきても、五〇〇いようが一〇〇〇いようが、それ自体はたいしたものではない。
人間だろうが魔物だろうが、烏合の衆など他愛ないものだ。
しかし、それらの種族は優れた個体を君主として仰ぎ、団結することがあり、こうなると俄然、手ごわい敵となってくる。
リザード・マンの君主は、人間どもが砦を完成させるまで手をこまねいて見ているのは得策ではないと判断したらしい。
僕が普請の現場に辿り着いたころには、すでにリザード・マンの大群が押し寄せて、激しい戦闘になっていた。
篝火のひかりがあちこちに輝き、鍾乳石のおおきな影を天井に投げかけている。
ときおり、魔法の焔があざやかに地を流れ、また花火のように虚空に弾けた。
剣戟の甲高い音や、人間たちの鬨、魔物たちの咆哮が、ダンジョンの暗がりからどっと湧き上がってくるようだった。
僕はリザード・マンの小集団に斬り込んで、さっそく菊一文字の切れ味を試した。
すばらしいという他なかった。
数打ちの剣と比べたら月とすっぽん、雲と泥である。
リザード・マンの硬い鱗が、触れただけでパッと裂けるようだった。
具合を確かめながら六匹ほど斬り散らして、おっとこんなことをしている場合ではないと思い至った。
土嚢を積んだむこう側で、同僚のひとり――これは去年、ダンジョン探索の隠れ副業に手をだしたあげくに大怪我をして包帯をぐるぐるに巻いて出てきたあの男で、名をピート・マリーノという――が、冒険者で編成された弓隊を指揮して、崖にとりつこうとするリザード・マンの群れに矢の雨を降らせていた。
駆け寄って、声をかけた。
「おいマリーノ、これはいったいどういうことだ」
「知らねえよ、俺に聞くな――」
マリーノは気が立っていた。
髭面をいからせて、
「あのクソとかげ野郎ども、いきなり奇襲をかけてきやがった。
俺たちもぜんぜん状況を把握できてないンだ。
左翼のほうでは、けっこうな被害が出ているみたいだがな……」
「ダンジョン管理局には」
「もう報せた。
ラッセル伯にもな。
近衛軍団から精鋭を引き抜いて、ただちに駆けつけるから、それまでなんとか踏ん張れとのことだ」
「この騒ぎでは、それどころじゃなかったと思うが……カルディオネは見つかったか」
マリーノは舌打ちをして、首を振った。
「あのお嬢ちゃんはさらわれたんじゃなく、自分から奥へむかったらしい。
彼女は作業中にリザード・マンの斥候をたまたま見つけ、捕らえて尋問し、この奇襲計画をつかんだ。
それで現場の責任者に伝令を出し、自分はリザード・マンどもの動きを掴むつもりで偵察に出た。
カルディオネの持ち場では死人は出ていない。
ほかの現場が奇襲を受けて壊滅したらしいが、その件と情報が錯綜したようだな」
「こまったじゃじゃ馬だ……」
僕は弓に矢をつがえ、柵に取りつこうとするリザード・マンを射殺しながら言った。
「ここはいいから、行ってやってくれ、ヴォイド」
「しかし……」
「そりゃあ、おまえがいれば心強いが、二十歳まえの小娘を見捨てたとあっちゃあ、ダンジョン管理局の名折れだ。
あの命知らずのガキんちょの襟首をつかんで、ここまで引きずってきてくれ」
「……わかった。
が、マリーノ、くれぐれも無理はするなよ」
「おまえも、な」
マリーノは、おーい、サンディ、とひとりの女冒険者を呼んだ。
「こいつは俺の同僚の騎士、マキシム・ヴォイドだ。
腕は立つが、あいにく魔法が使えん。
すまないが、照明役をやってくれないか」
弓使いらしきオレンジ色の髪のその女は、僕を見上げてにっかりと笑い、
「あたしサンディ。
あんたの名前はよく聞くよ。
よろしくね!」
「世話をかける」
僕たちはリザード・マンの軍勢を迂回するように、進路をとった。
そこかしこに、激しい戦闘の痕跡があって、冒険者とリザード・マンの死体が折り重なるように散らばっていた。
魔物の軍勢の裏手に抜けるまでに、十数匹のリザード・マンを斬り殺した。
しかし、それでも、菊一文字の切れ味はほとんど衰えなかった。
僕はサンディの照明魔法のひかりに刀をかざして、刃こぼれがまったくといっていいほどないのを見て、これは案外本物かもしれないと思った。
「あんた……噂以上だね」
と、サンディが青い顔をして言った。
眼のまえでトカゲの魔物の首がとびまくるのを見て、気分が悪くなったらしい。
「まだまだ物騒なものをお見せしなきゃならんと思うが……大丈夫か」
僕は刀を鞘におさめながら言った。
「あんたも冒険者をやればいいのに。
それだけ強かったら大金を稼げるよ」
「そうしたいのはやまやまだが、しがらみがあってな」
「知ってる。
ラッセル伯爵さまの弟なんだっけ」
そのとき、僕は緑の三角帽子からはみ出たサンディの耳が、すこし尖っているのに気がついた。
「おまえさん、エルフか」
サンディは、ううん、と首を振って、
「クオーター。おばあちゃんがエルフだったんだ」
「それで弓と魔法が上手なんだな」
「えへへ……」
その女の子らしい笑みが、ズバッという物音とともに、凍り付いた。
……一本の矢が、彼女の細い首を貫いている。
サンディが仰向けにどさりと倒れて、照明魔法が途切れ、あたりが闇に沈む。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
矢羽根が空を切る音だ。
急いで身を屈め、地面をころがったが、一本の矢が僕の背につきたった。
傷口から腰のあたりにかけて、生温いものが伝う。
じわじわと痛みが増してくる。
やがてそれは、うめき声をもらしそうになるほど酷くなった。
眼が闇になれてくるにつれて、なだらかな丘のうえに、松明を手にしたリザード・マンのすがたを見つけた。
そのそばに、弓を手にした配下らしいのが、あわせて五匹ほどいた。
僕はサンディの傍に這って近づき、口元に手を当ててみたが、呼吸は既にとまっていた。
考えてみれば、こんな場所で照明魔法のひかりを灯したままウロウロしていれば、的にして下さいと言っているようなものだ。
サンディは、僕の甘さのせいで死なせてしまったようなものだった。
舌打ちが出た。
が、悔いても始まらない。
こんどは闇に埋もれたのは僕のほうで、松明を掲げて標的になったのはあいつらのほうだ。
僕はサンディの肩からロング・ボウと矢筒をとって、リザード・マンを一匹ずつ射殺していった。
地面におちた松明の火が、鍾乳石の影をゆらゆらさせる。
背につきたった矢が、歩くたびに揺れて、激痛が走る。
治癒魔法でも使えれば無理して引っこ抜くこともできるだろうが、いまそれを無理にやって肉を抉ってしまえば、血がとまらなくなり、命にかかわる危険があった。
こういうとき、魔法が使えないというのはつくづく不便だった。